京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

「たのしみは…心をいれて書を見るとき」

2019年05月03日 | 催しごと
娘家族が帰ったあと、どれだけ洗濯機を回したことか。幸い天気に恵まれて、二日半がかりで片付け終えた。


みやこめっせ(左京区)で「春の古書大即売会」が開催中(~5日)とあって、昼から行ってみることにした。
いつもいつも文学中心に背表紙を追ってしまう。小説、随筆、詩歌、古典、歴史、哲学、宗教、美術、音楽、翻訳もの…、とジャンルは種々あるにもかかわらず、決まって狭い範囲でしか目は働きません。

何かしら手に持って、あるいはスーパーなどで見かけるカゴに選んだ本を入れながら会場内を歩いている人が多い。読みたい本がいっぱいあるんだ、いいなあ、なんて人の手元を見ながら私も回ったが、今回結果は、なあ~~んも…、でした。読みかけのもの、買い置いてあるものを先に、ということかな。

「幅広い読書やゆとりのある思索の時間からある種の『化学反応』を経て生まれてくる何者かが「教養」である」、と京大の根井雅弘教授(経済学者で書評家)の言葉に触れたことがあった。
「自分にわかる本だけ読んでいても勉強にならない。ハウツー本など読んでも教養が身につくはずがない。教養とは知識の寄せ集めではない。わかりやすさを優先しても、古典をきちんと読みこんでいる人にはかなわない」と手厳しかった。
「幅広い読書」、これが欠けているのはわかっていても、今更…という感はあり、難しい書を頭抱えてという気は起らない。ただ、読書なしでは寂しい人生だ。我が道を行こうっと。

「たのしみは人も訪ひこず事もなく心をいれて書をみるとき」 
「たのしみは世に解がたくする書の心ひとりさとり得しとき」(橘曙覧 独楽吟」)

コメント (6)
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