京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

「蓮如上人御影道中」

2019年05月09日 | 催しごと
本願寺中興の祖・蓮如は1415年本願寺七世の長子として東山大谷に生まれた。母は父の使用人だった。後継争いを経て八世に就く。
室町時代、迫害を受けた蓮如は京都を逃れ、福井県の吉崎に布教の拠点を移した。吉崎には多くの門徒が群がり、一大寺内町(じないちょう)が出現するほどだったという。真宗寺院を中心に周囲に塀や土塁などが巡らされた。


江戸中期、蓮如上人を偲び吉崎に本山から御影を迎えたのが「蓮如上人御影道中」の始まりで、京都から吉崎別院への「御下向」(4/17-4/23)は琵琶湖西岸を、東本願寺に戻る御上洛(5/2-5/9)では琵琶湖東部を、それぞれ1週間かけて歩き、その距離はおよそ280kmになると。
御影は専門の御輿に載せられ、花で彩られたリヤカーに積まれ、ゆかりの寺やご門徒の家に立ち寄っていく。
吉崎では4月23日から5月2日まで蓮如忌が営まれる。最大の年中行事で、蓮如上人の御影が滞在する10日間は祭りで華やぐのだそうな。


今日、大津市で友人と会うために車で逢坂山を越えようと、ちょうど追分の「逢坂山関址」の碑がある辺りにさしかかったとき。
午後12時15分頃だった。反対車線側にある歩道を登ってくる小団があった。何かウオーキングのグループか?と思ったが、先頭を2人、衣装、笠、花に飾られたものを引く姿などが目に飛び込んできて…、すれ違いざまには思った。花の飾り。今日は9日。間違いない、あの御一行だろう、と。
この先山科別院へ。そして五条大橋を渡り、東本願寺が終着となる。確か午後3時も回っての到着ではなかったか。

ニュース映像か新聞紙上で拝見するだけだったから、一行の姿をちらっと見かけただけに過ぎないものの、ありがたい!!と思えた。
本当にありがたいことでした。このところの晴れない気分も一瞬吹っ飛んだ、かな。ありがたい思いに満たされた。お疲れ様でした。

コメント (8)
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