藤原緋沙子さんに続いて柚月裕子さんの作品を手にした。名前を知ったのは、というか意識のどこかに収まったのは『慈雨』あたりからだったと思っている。ただ、警察小説とだけ作風をとらえていたので手を出さなかった。
今回ブログを通じてこの機会をいただけることになって、感謝です。

岩手県で南部鉄器工房を営む父と息子のところに、盛岡家庭裁判所から調査員がやってきた。息子は、父がひと月ほど前から勝手に〈補導委託〉の引き受け話を進めていたことを知る。
〈補導委託〉とは、罪を犯した少年を受託者(施設や事業の経営者)が一定期間預かる制度で、父はその委託を受けるということだった。少年は住み込んで指導を受けながら更生に取り組む。

【父の思いもよらない行動に戸惑う悟。納得いかぬまま迎え入れることになった少年と工房で共に働き、同じ屋根の下で暮らすうちに、悟の心にも少しずつ変化が訪れて…】と帯裏に。
【落涙の家族小説】という言葉も見える。
人の一生は決して見通せない。定まったものなど何一つないのだ。日々の積み重ねで、どのようにも変わり、いかようにも変えられる。行く先々に選択肢はある。
「人の定めは人の力で変えられます。必ず、ね」
弥勒シリーズ(あさのあつこ)で描かれる清さんの言葉を思いだしながら、少年春斗の行く末は、父と息子の関係はと思いがとぶ。

「紙の本だけにあるもの。それは束(つか)である。束とは本の分厚さのこと。
本の重心が左手から右手に移動していくにつれ、本の中に封じ込められていたものが立ち上がる。それは主人公と彼が生きた時代、それを書いた著者の時間軸である。これを得ることが読書の楽しさであり、ネット情報との違い。…」
福岡伸一氏が何かで書いていた。
まだ左手に全重さがかかるほどで、序の口を読みだしたばかりだが、作品の中の言葉に促され、記憶をたどり返すことがあるだろう。琴線に触れれば、感動が生まれるというものだ。
読み進むにつれて、そこに生きる人間の成長譚は立ち上がるだろうか。
私自身の人生を手繰り寄せて、読み進めよう。
このこけし型をしたのは南部鉄器の製品で、夫が修学旅行の引率で東北、北海道を訪れた折の土産品。文鎮として今も愛用している。量ってみたら一つ135グラムあった。
今回ブログを通じてこの機会をいただけることになって、感謝です。

岩手県で南部鉄器工房を営む父と息子のところに、盛岡家庭裁判所から調査員がやってきた。息子は、父がひと月ほど前から勝手に〈補導委託〉の引き受け話を進めていたことを知る。
〈補導委託〉とは、罪を犯した少年を受託者(施設や事業の経営者)が一定期間預かる制度で、父はその委託を受けるということだった。少年は住み込んで指導を受けながら更生に取り組む。

【父の思いもよらない行動に戸惑う悟。納得いかぬまま迎え入れることになった少年と工房で共に働き、同じ屋根の下で暮らすうちに、悟の心にも少しずつ変化が訪れて…】と帯裏に。
【落涙の家族小説】という言葉も見える。
人の一生は決して見通せない。定まったものなど何一つないのだ。日々の積み重ねで、どのようにも変わり、いかようにも変えられる。行く先々に選択肢はある。
「人の定めは人の力で変えられます。必ず、ね」
弥勒シリーズ(あさのあつこ)で描かれる清さんの言葉を思いだしながら、少年春斗の行く末は、父と息子の関係はと思いがとぶ。

「紙の本だけにあるもの。それは束(つか)である。束とは本の分厚さのこと。
本の重心が左手から右手に移動していくにつれ、本の中に封じ込められていたものが立ち上がる。それは主人公と彼が生きた時代、それを書いた著者の時間軸である。これを得ることが読書の楽しさであり、ネット情報との違い。…」
福岡伸一氏が何かで書いていた。
まだ左手に全重さがかかるほどで、序の口を読みだしたばかりだが、作品の中の言葉に促され、記憶をたどり返すことがあるだろう。琴線に触れれば、感動が生まれるというものだ。
読み進むにつれて、そこに生きる人間の成長譚は立ち上がるだろうか。
私自身の人生を手繰り寄せて、読み進めよう。
このこけし型をしたのは南部鉄器の製品で、夫が修学旅行の引率で東北、北海道を訪れた折の土産品。文鎮として今も愛用している。量ってみたら一つ135グラムあった。