2014年4月25日から5月6日まで イランの旅
4月25日
22時30分の予定が22時10分と早くなったカタール航空で成田を出発。
GWのせいか機内は満席。
出発2時間前にチェックインしたのに、3人並びはもとより通路側、中央ブロックも既に空席なし。
久しぶりに窓側に押し込められてつらい。
4月26日
窓の外にまっすぐ伸びる街路灯が見えてきて、まだ真っ暗なドーハ空港に4時10分に到着。
空港ターミナルは入国者用、ファースト・ビジネスクラス客用、エコノミーの乗り継ぎ客用と3つに分かれているがほとんどは乗り継ぎ客。
ドバイ空港に比べると地味なもので見るべきものもあまりないが、ここも24時間、フィリピンや中国系とおぼしき店員たちが働いている。
乗り継ぎ時間は3時間ほどあったが、搭乗時間は出発の1時間前。
それというのもこの空港にはボーディングブリッジがなく、すべてバスでの移動。しかも空港がとてつもなく広いので、搭乗機に到達するまで時間がかかるのだ。
たくさん見える飛行機はほぼすべてカタール航空。
遠くにビル群を見て、ドーハ観光終了。
ドーハを出発すると飛行機はペルシャ湾を越えてすぐにイランに入る。
眼下はほとんど乾燥した景色に山脈、時々塩湖。
砂漠の中を突っ切るハイウェイと、いささかの緑が見えてきたらテヘラン到着。
頭にスカーフをかぶり、薄いコートを着て飛行機を降りる。
今回は友人たちと3人での旅行だが、入国審査で一人はすぐに通され、もう一人と自分は別室に行けと止められた。
同じ便の日本人ツアーも女性たちばかりが何人か別室に呼ばれたが、先頭の友人のパスポートを入念にチェックし、指紋を取ったらそれで満足したらしく、他はもういい、と追い払われた。どんな基準で呼ばれたのか、さっぱりわからず。
それでも到着からたったの50分、12時には今回の日本語ガイドの女性に迎えられ、空港を後にすることができた。
国際空港からテヘラン市内までは小一時間。
市内に入るとイランの国旗やホメイニ師、現大統領のロウハニ師の写真が早速お目見得。
道路は広く、ビルが立ち並ぶが、大きな建物はほとんどお役所のようだ。
まずは両替、と街中の両替所に立ち寄ってもらう。
2014年4月末のレートは1ドルが32,500リアル。325リアルで1円、以後は10,000リアルがほぼ30円と計算していたが、お札の0が多いので混乱しまくり。その上、やはり桁が多いためにイラン人は普段0が一つ少ないトマンという数字を使う。つまり1000と言われたらそれは1000トマン=10,000リアルということ。どうせなら0を二つ三つ取ればいいのに、紛らわしいことこの上ない。
現金を入手したところで、まず観光に向かったのは旧アメリカ大使館。
映画「アルゴ」でおなじみ、1979年の占拠事件の舞台だが、一部の部屋が「アメリカ・スパイの巣窟」として博物館化していると聞き行ってみたいと問い合わせたところ、めったに下りないらしい許可が下りたのだ。
この塀の向こうにある建物が旧大使館。
ガイドさんと一緒に門をくぐり、敷地内には確かに入れたが、守衛小屋のところから建物を眺めるだけでそこから先には入れてもらえず肩透かし。入口にはなぜか小さな自由の女神像が立っていたが、写真も撮ることができなかったのが残念。
しかし今内部は革命防衛隊訓練施設になっていると聞けばそれも納得。ロンプラには2月の10日間ほどしか内部は公開されないとあったし、敷地内に入れただけでもよしとしよう。今の雪解けムードからすると建物内に入れるようになる日も近いかもしれない。
大使館の次にはごくまっとうに国立博物館へ。
1928年にフランス人建築家によって設計されたと言う建物はペルシャ風味のアールデコ様式ですっきりときれい。
内部の展示法もクラシックそのものだが、なにせ文化の宝庫のペルシャなので
渋い動物紋の陶器やらかわいい置物やら、結構ツボ。
これから行くペルセポリスの予習もちょっぴり。
そして岩塩鉱から発見されたという1700年前のミイラはこの博物館のスター。
この周りには人だかりがしていたが、顔だちまでわかる頭部など保存状態がすこぶるいい。
イスラム以降を扱う別館はもう何年も閉館中とのことなので国立博物館の見学はここまで。
次はこちらの希望でガラス&陶磁器博物館へ案内してもらう。
1910年に権力者の私邸として建てられたと言う建物はとても優美。
そしてこちらの博物館は展示方法もおしゃれで
1階にもこまごまと面白いものが並んでいるが
2階に上がると四面にぎっしり小さなガラス器を収めた棚とか、柱が並んだような展示ケースとかまるで宝石店のよう。
有名な涙の壺が階段の上に地味に置かれていたのはちょっと意外。
出征した兵士の妻の涙を集めるための壺と言われ、確かリルケの詩にもなっているが、実際の用途は不明らしい。
そしてこちらの部屋に並んでいるのはすべてラスター彩!
なんと贅沢なことか。
と、この博物館の収蔵品はすべて好みなのでこちらに写真を集めてみた。
あのちびっこガラスでいいから一つほしいなあ。
博物館で興奮したので、その後はカフェでクールダウン。
ここは文化人などに人気の老舗カフェとのことだが、アイスクリームはまあ、普通。
しかし予想していたよりも既に暑いテヘラン、冷たいものはありがたかった。
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4月25日
22時30分の予定が22時10分と早くなったカタール航空で成田を出発。
GWのせいか機内は満席。
出発2時間前にチェックインしたのに、3人並びはもとより通路側、中央ブロックも既に空席なし。
久しぶりに窓側に押し込められてつらい。
4月26日
窓の外にまっすぐ伸びる街路灯が見えてきて、まだ真っ暗なドーハ空港に4時10分に到着。
空港ターミナルは入国者用、ファースト・ビジネスクラス客用、エコノミーの乗り継ぎ客用と3つに分かれているがほとんどは乗り継ぎ客。
ドバイ空港に比べると地味なもので見るべきものもあまりないが、ここも24時間、フィリピンや中国系とおぼしき店員たちが働いている。
乗り継ぎ時間は3時間ほどあったが、搭乗時間は出発の1時間前。
それというのもこの空港にはボーディングブリッジがなく、すべてバスでの移動。しかも空港がとてつもなく広いので、搭乗機に到達するまで時間がかかるのだ。
たくさん見える飛行機はほぼすべてカタール航空。
遠くにビル群を見て、ドーハ観光終了。
ドーハを出発すると飛行機はペルシャ湾を越えてすぐにイランに入る。
眼下はほとんど乾燥した景色に山脈、時々塩湖。
砂漠の中を突っ切るハイウェイと、いささかの緑が見えてきたらテヘラン到着。
頭にスカーフをかぶり、薄いコートを着て飛行機を降りる。
今回は友人たちと3人での旅行だが、入国審査で一人はすぐに通され、もう一人と自分は別室に行けと止められた。
同じ便の日本人ツアーも女性たちばかりが何人か別室に呼ばれたが、先頭の友人のパスポートを入念にチェックし、指紋を取ったらそれで満足したらしく、他はもういい、と追い払われた。どんな基準で呼ばれたのか、さっぱりわからず。
それでも到着からたったの50分、12時には今回の日本語ガイドの女性に迎えられ、空港を後にすることができた。
国際空港からテヘラン市内までは小一時間。
市内に入るとイランの国旗やホメイニ師、現大統領のロウハニ師の写真が早速お目見得。
道路は広く、ビルが立ち並ぶが、大きな建物はほとんどお役所のようだ。
まずは両替、と街中の両替所に立ち寄ってもらう。
2014年4月末のレートは1ドルが32,500リアル。325リアルで1円、以後は10,000リアルがほぼ30円と計算していたが、お札の0が多いので混乱しまくり。その上、やはり桁が多いためにイラン人は普段0が一つ少ないトマンという数字を使う。つまり1000と言われたらそれは1000トマン=10,000リアルということ。どうせなら0を二つ三つ取ればいいのに、紛らわしいことこの上ない。
現金を入手したところで、まず観光に向かったのは旧アメリカ大使館。
映画「アルゴ」でおなじみ、1979年の占拠事件の舞台だが、一部の部屋が「アメリカ・スパイの巣窟」として博物館化していると聞き行ってみたいと問い合わせたところ、めったに下りないらしい許可が下りたのだ。
この塀の向こうにある建物が旧大使館。
ガイドさんと一緒に門をくぐり、敷地内には確かに入れたが、守衛小屋のところから建物を眺めるだけでそこから先には入れてもらえず肩透かし。入口にはなぜか小さな自由の女神像が立っていたが、写真も撮ることができなかったのが残念。
しかし今内部は革命防衛隊訓練施設になっていると聞けばそれも納得。ロンプラには2月の10日間ほどしか内部は公開されないとあったし、敷地内に入れただけでもよしとしよう。今の雪解けムードからすると建物内に入れるようになる日も近いかもしれない。
大使館の次にはごくまっとうに国立博物館へ。
1928年にフランス人建築家によって設計されたと言う建物はペルシャ風味のアールデコ様式ですっきりときれい。
内部の展示法もクラシックそのものだが、なにせ文化の宝庫のペルシャなので
渋い動物紋の陶器やらかわいい置物やら、結構ツボ。
これから行くペルセポリスの予習もちょっぴり。
そして岩塩鉱から発見されたという1700年前のミイラはこの博物館のスター。
この周りには人だかりがしていたが、顔だちまでわかる頭部など保存状態がすこぶるいい。
イスラム以降を扱う別館はもう何年も閉館中とのことなので国立博物館の見学はここまで。
次はこちらの希望でガラス&陶磁器博物館へ案内してもらう。
1910年に権力者の私邸として建てられたと言う建物はとても優美。
そしてこちらの博物館は展示方法もおしゃれで
1階にもこまごまと面白いものが並んでいるが
2階に上がると四面にぎっしり小さなガラス器を収めた棚とか、柱が並んだような展示ケースとかまるで宝石店のよう。
有名な涙の壺が階段の上に地味に置かれていたのはちょっと意外。
出征した兵士の妻の涙を集めるための壺と言われ、確かリルケの詩にもなっているが、実際の用途は不明らしい。
そしてこちらの部屋に並んでいるのはすべてラスター彩!
なんと贅沢なことか。
と、この博物館の収蔵品はすべて好みなのでこちらに写真を集めてみた。
あのちびっこガラスでいいから一つほしいなあ。
博物館で興奮したので、その後はカフェでクールダウン。
ここは文化人などに人気の老舗カフェとのことだが、アイスクリームはまあ、普通。
しかし予想していたよりも既に暑いテヘラン、冷たいものはありがたかった。
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