4月29日
今日はイラン観光の目玉の一つ、ペルセポリスへ。
朝食は典型的イラン式。ジャムがサクランボとニンジンなのもイラン式。
遺跡は暑くなるから、と早めの朝8時に出発。
途中の八百屋さんで果物を仕入れたが、野菜類の色鮮やかなこと。
ペルセポリスの遺跡にはシラーズ市内からちょうど1時間で到着。
まだあまり車の入っていない大きな駐車場に車を停め、土産物屋の前を通って広い通路を遺跡へ。
本日の天気は薄曇り。青空をバックの写真を撮れないのは残念だが、早くも暑くなりはじめているのでこの天気は幸いかも。
少し行くと見えてくる宮殿への大階段。馬で登りやすいように段差が低くなっているそうだが、早くも観光客でいっぱい。
ペルセポリスは紀元前520年に即位したアケメネス朝ペルシャのダリウス一世が着手し、その後150年に渡って建設が続けられたと言う宮殿。ただしアケメネス朝の首都はスーサにあり、他にも夏宮や冬宮があって、ペルセポリスは春の正月儀式のために1年間に12日間しか使われない宮殿だったとか。たったそれだけのためにこんな規模のものを作ってしまうとは。
アケメネス朝ペルシャ、ダリウス大王と言う名前も懐かしく、ロマンがいっぱい。学生時代にヘロドトスの「歴史」を読もうとしたけど、最初の数ページで挫折したっけ。
階段を上がったところにあるのは万国の門。
人面有翼獣に守られたここを通り抜けると
儀仗兵の通路。両脇に居並ぶ兵士の前を要人が通ったのだろう。
柱頭に乗っていたであろうホーマー(イラン航空のシンボルの鷲)や牡牛が今は地面に置かれている。
ここを右に折れるとたくさんのレリーフを刻まれた門があるが
これは紀元前331年にアレキサンダー大王がこの宮殿を破壊してしまったために未完成に終わったのだそうだ。
そんなわけでその先に広がる100柱の宮殿も
柱がゴロゴロ転がるばかり。
そしてこの右手にあるのが
謁見の間への階段。
謁見の間そのものには柱がわずかに残るばかりで、そこも現在は修復中で入ることができない。
しかし階段の壁には兵士やら文官やら貢物を捧げる外国人たちの姿がびっしりと浅浮彫にされていて、2次元フェチにはたまらない。
というわけで、2500年前の見事なレリーフはこちら
謁見の間の隣にはダリウス一世やクセルクセス一世の私的な宮殿跡があるが、ここも現在修復中で立ち入り禁止。
その前に広がる広大な敷地は宝物庫の跡。ここにあったお宝はすべてアレキサンダーが何千頭ものラクダやロバに積んでかっぱらっていったんだそうだ。
宮殿の見どころはこれで一回りしたが、宝物庫の向こう、丘の中腹には王様の墓があるのでそこまで登ってみることにする。
乾いた土にけなげに咲く花を見ながら登ると
丘に向かって右側がアルタクセルクセスⅢ世、左側に少し離れてアルタクセルクセⅡ世の墓だが、様式は全く一緒。
ここからペルセポリスの全景を見渡すことができる。
さて広大な遺跡を歩き回って、その規模は実感できたが、階段のレリーフ以外に往時の壮麗な姿を想像させるものは少ない。
そこでロンプラに紹介されているのがこちらのサイト。
http://www.persepolis3d.com
彩色された壁や、レバノン杉でできていたという屋根があった時にはどのような姿だったかがわかりやすくてすごい。
ついでにこちらはルーブル美術館にあるスーサ出土の彩色タイルの壁。
ペルセポリスにもこんな装飾があっただろうと考えるとドキドキする。
この写真はなんと17年も前のものだが、ルーブルの中東・イスラム部門は最近リノベーションされたらしいので、また行ってみたいなあ。
薄曇りとは言え、謁見の間の階段部分以外日陰のない遺跡めぐりで大汗かいた。
これでピーカン晴れだったらどれだけ大変だったことか、とバスでいっぱいになっている駐車場まで戻ると
運転手さんが氷で冷やしたスイカを切っていてくれた。申し訳ないがスイカはきらいで食べられないと言うと、すかさずメロンも切ってくれる。
この先ずっとテヘランまで運転してくれるこのドライバーさん、細かい気配りで素晴らしかった。
一息入れたところで、さあ、次へ行こう。
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今日はイラン観光の目玉の一つ、ペルセポリスへ。
朝食は典型的イラン式。ジャムがサクランボとニンジンなのもイラン式。
遺跡は暑くなるから、と早めの朝8時に出発。
途中の八百屋さんで果物を仕入れたが、野菜類の色鮮やかなこと。
ペルセポリスの遺跡にはシラーズ市内からちょうど1時間で到着。
まだあまり車の入っていない大きな駐車場に車を停め、土産物屋の前を通って広い通路を遺跡へ。
本日の天気は薄曇り。青空をバックの写真を撮れないのは残念だが、早くも暑くなりはじめているのでこの天気は幸いかも。
少し行くと見えてくる宮殿への大階段。馬で登りやすいように段差が低くなっているそうだが、早くも観光客でいっぱい。
ペルセポリスは紀元前520年に即位したアケメネス朝ペルシャのダリウス一世が着手し、その後150年に渡って建設が続けられたと言う宮殿。ただしアケメネス朝の首都はスーサにあり、他にも夏宮や冬宮があって、ペルセポリスは春の正月儀式のために1年間に12日間しか使われない宮殿だったとか。たったそれだけのためにこんな規模のものを作ってしまうとは。
アケメネス朝ペルシャ、ダリウス大王と言う名前も懐かしく、ロマンがいっぱい。学生時代にヘロドトスの「歴史」を読もうとしたけど、最初の数ページで挫折したっけ。
階段を上がったところにあるのは万国の門。
人面有翼獣に守られたここを通り抜けると
儀仗兵の通路。両脇に居並ぶ兵士の前を要人が通ったのだろう。
柱頭に乗っていたであろうホーマー(イラン航空のシンボルの鷲)や牡牛が今は地面に置かれている。
ここを右に折れるとたくさんのレリーフを刻まれた門があるが
これは紀元前331年にアレキサンダー大王がこの宮殿を破壊してしまったために未完成に終わったのだそうだ。
そんなわけでその先に広がる100柱の宮殿も
柱がゴロゴロ転がるばかり。
そしてこの右手にあるのが
謁見の間への階段。
謁見の間そのものには柱がわずかに残るばかりで、そこも現在は修復中で入ることができない。
しかし階段の壁には兵士やら文官やら貢物を捧げる外国人たちの姿がびっしりと浅浮彫にされていて、2次元フェチにはたまらない。
というわけで、2500年前の見事なレリーフはこちら
謁見の間の隣にはダリウス一世やクセルクセス一世の私的な宮殿跡があるが、ここも現在修復中で立ち入り禁止。
その前に広がる広大な敷地は宝物庫の跡。ここにあったお宝はすべてアレキサンダーが何千頭ものラクダやロバに積んでかっぱらっていったんだそうだ。
宮殿の見どころはこれで一回りしたが、宝物庫の向こう、丘の中腹には王様の墓があるのでそこまで登ってみることにする。
乾いた土にけなげに咲く花を見ながら登ると
丘に向かって右側がアルタクセルクセスⅢ世、左側に少し離れてアルタクセルクセⅡ世の墓だが、様式は全く一緒。
ここからペルセポリスの全景を見渡すことができる。
さて広大な遺跡を歩き回って、その規模は実感できたが、階段のレリーフ以外に往時の壮麗な姿を想像させるものは少ない。
そこでロンプラに紹介されているのがこちらのサイト。
http://www.persepolis3d.com
彩色された壁や、レバノン杉でできていたという屋根があった時にはどのような姿だったかがわかりやすくてすごい。
ついでにこちらはルーブル美術館にあるスーサ出土の彩色タイルの壁。
ペルセポリスにもこんな装飾があっただろうと考えるとドキドキする。
この写真はなんと17年も前のものだが、ルーブルの中東・イスラム部門は最近リノベーションされたらしいので、また行ってみたいなあ。
薄曇りとは言え、謁見の間の階段部分以外日陰のない遺跡めぐりで大汗かいた。
これでピーカン晴れだったらどれだけ大変だったことか、とバスでいっぱいになっている駐車場まで戻ると
運転手さんが氷で冷やしたスイカを切っていてくれた。申し訳ないがスイカはきらいで食べられないと言うと、すかさずメロンも切ってくれる。
この先ずっとテヘランまで運転してくれるこのドライバーさん、細かい気配りで素晴らしかった。
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