4月27日 続き
陽もちょっと傾きだした午後、ようやくこの町の目玉を見学にホテルを出発。
ホテルのすぐ前には大きなロータリーがあり、ここから伸びる道にはお土産屋さんがいっぱい。
石鹸のように見えるものはシーア派の信徒がお祈りの際に額を付けるもの、お供え物のセットのように見えるものは巡礼記念のお土産、とさすが聖地だ。
ここをちょっと行くともうイマム・レザー廟の敷地が始まり、いくつものモスクや神学校、中庭を擁するエリアはハラム(聖なる場所)と呼ばれている。
イマム・レザーは9世紀のシーア派指導者。世俗の政争のためにこの地で毒殺され埋葬されたので、以来この地はシーア派にとってメッカに次ぐほどの巡礼地となり、ハラムは寄進によって今もどんどん膨張しているんだそうだ。
ハラム内に入るにはまずここでバッグやカメラなどをすべて預けなければならない。そして女性は長いコートやスカーフをかぶっていても必ずチャドル着用なので、必要であればここで借りることができる。
レンタル・チャドルはきちんとアイロンまでかけられ、ビニール袋に入れられた清潔なものなのに感心。
その後は男女に分かれて小さな入口を入り、簡単なボディチェックを受けてやっと敷地内へ。
さて、初めてのチャドル。自分はてっきり四角い一枚布だと思っていたのだが、実は大きな半円形になっていて、だから後ろがゆったり下まで隠れるのだとやっとわかった。
しかしそのおかげで足元に絡みつき、前をしっかり掻き合わせないと自分の裾を踏んづけて転びそうになるし、頭はずれるわ、しっかり掻き合わせると暑いわで、想像していたよりもずっと大変。
で前髪が少々(どころか大幅に)見えても街中では何もとがめられないが、さすがにこの聖域内では怒られる。
そのために「風紀委員」のボランティアが大勢いるのだが、これがおかしくて
この緑のダスターが風紀委員の印。これで「こらこら」と指されるわけだ。
上の写真はマシャドではなくイスファハンで撮ったので、どうもどこでも係りはダスターを持っているらしい。
しかしなんでダスターなんだろうか。自分は最初、お掃除の人に注意されたのかと思った。
敷地内ではまず博物館に入る。
ここには英語のボランティアガイドがいて、ハラム内ではこの人について行かなければならない。
がガイドと言っても説明は必要最小限以下、すごいスピードでどんどん先に行ってしまうのだが、このガイドの役割は異教徒が進入禁止の所に入らないように見張り、なるべく早く敷地内から出すことだと見た。
博物館の中は玉石混交、モスクの古い扉や道具類もあるが、寄進されたオリンピック・メダルやら絵画やら、わけわからんものもいっぱいある。
次に入った中庭にはきれいな黄金屋根の手洗い場があり、その奥に大きな青いドームのゴハルシャード・モスクが見える。
イラン人は盛んに携帯で写真を撮っているのでガイドに聞いてみると、「ここはカメラは禁止。でも携帯はカメラじゃないでしょ。だからいくらでも写真撮っていいんだよ」と、融通が利くんだか利かないんだかわからないお返事。
しかし携帯はOKらしいと言う噂を信じてポケットに入れておいてよかった。これで正式にお墨付きをもらえたので、この先は遠慮なく写真を撮らせていただく。と言ってもガイドが走るように行ってしまうので思うようには撮れなかったのだが。
ゴハルシャード・モスクは15世紀、ティムール朝時代のもの。残念ながら異教徒は入れず、
中庭の周りの建物は新しいものだろうが、タイルは見事。
こちらの建物は扉の中を覗くと、どうも小さな鏡のモザイクになっているらしい。
途中の外国人用情報センターでは短いビデオを見せられ、
イマーム・レザーの教えのパンフレットやらきれいな写真集やらをお土産にいただく。ここには立派な広報室があるようだ。
さらにすすんでジョムフーリエ広場。
ここにはたくさんの絨毯が敷かれ、大勢の人たちがのんびりとお祈りの時間を待っているが
正面には金色に輝く入口があり、この奥にこそ異教徒立ち入り禁止のイマーム・レザーのお墓がある。
その金色のドームは遠くからは見えるが敷地内では他の建物に隠れて見えない。
お土産にもらった写真によるとこんな姿。内部はさらに豪華らしい。
ここを抜ければまた新しいミナレットを建設中の正面広場に戻ってツアー終了。
もっとじっくり見たかったが、とにかく広い境内、チャドルと格闘しながら走り回り、写真を撮っていたらくたびれ果ててしまった。
ついでに夜中、ホテルの部屋の窓から首を伸ばすとライトアップされたハラムが見えた。
入口の広場にはまだ結構な人影が見え
輝くドームは神秘的。
やっぱり中も覗かせていただきたいイマーム・レザー廟だった。
←人気ブログランキングへ一票、お願いします。
陽もちょっと傾きだした午後、ようやくこの町の目玉を見学にホテルを出発。
ホテルのすぐ前には大きなロータリーがあり、ここから伸びる道にはお土産屋さんがいっぱい。
石鹸のように見えるものはシーア派の信徒がお祈りの際に額を付けるもの、お供え物のセットのように見えるものは巡礼記念のお土産、とさすが聖地だ。
ここをちょっと行くともうイマム・レザー廟の敷地が始まり、いくつものモスクや神学校、中庭を擁するエリアはハラム(聖なる場所)と呼ばれている。
イマム・レザーは9世紀のシーア派指導者。世俗の政争のためにこの地で毒殺され埋葬されたので、以来この地はシーア派にとってメッカに次ぐほどの巡礼地となり、ハラムは寄進によって今もどんどん膨張しているんだそうだ。
ハラム内に入るにはまずここでバッグやカメラなどをすべて預けなければならない。そして女性は長いコートやスカーフをかぶっていても必ずチャドル着用なので、必要であればここで借りることができる。
レンタル・チャドルはきちんとアイロンまでかけられ、ビニール袋に入れられた清潔なものなのに感心。
その後は男女に分かれて小さな入口を入り、簡単なボディチェックを受けてやっと敷地内へ。
さて、初めてのチャドル。自分はてっきり四角い一枚布だと思っていたのだが、実は大きな半円形になっていて、だから後ろがゆったり下まで隠れるのだとやっとわかった。
しかしそのおかげで足元に絡みつき、前をしっかり掻き合わせないと自分の裾を踏んづけて転びそうになるし、頭はずれるわ、しっかり掻き合わせると暑いわで、想像していたよりもずっと大変。
で前髪が少々(どころか大幅に)見えても街中では何もとがめられないが、さすがにこの聖域内では怒られる。
そのために「風紀委員」のボランティアが大勢いるのだが、これがおかしくて
この緑のダスターが風紀委員の印。これで「こらこら」と指されるわけだ。
上の写真はマシャドではなくイスファハンで撮ったので、どうもどこでも係りはダスターを持っているらしい。
しかしなんでダスターなんだろうか。自分は最初、お掃除の人に注意されたのかと思った。
敷地内ではまず博物館に入る。
ここには英語のボランティアガイドがいて、ハラム内ではこの人について行かなければならない。
がガイドと言っても説明は必要最小限以下、すごいスピードでどんどん先に行ってしまうのだが、このガイドの役割は異教徒が進入禁止の所に入らないように見張り、なるべく早く敷地内から出すことだと見た。
博物館の中は玉石混交、モスクの古い扉や道具類もあるが、寄進されたオリンピック・メダルやら絵画やら、わけわからんものもいっぱいある。
次に入った中庭にはきれいな黄金屋根の手洗い場があり、その奥に大きな青いドームのゴハルシャード・モスクが見える。
イラン人は盛んに携帯で写真を撮っているのでガイドに聞いてみると、「ここはカメラは禁止。でも携帯はカメラじゃないでしょ。だからいくらでも写真撮っていいんだよ」と、融通が利くんだか利かないんだかわからないお返事。
しかし携帯はOKらしいと言う噂を信じてポケットに入れておいてよかった。これで正式にお墨付きをもらえたので、この先は遠慮なく写真を撮らせていただく。と言ってもガイドが走るように行ってしまうので思うようには撮れなかったのだが。
ゴハルシャード・モスクは15世紀、ティムール朝時代のもの。残念ながら異教徒は入れず、
中庭の周りの建物は新しいものだろうが、タイルは見事。
こちらの建物は扉の中を覗くと、どうも小さな鏡のモザイクになっているらしい。
途中の外国人用情報センターでは短いビデオを見せられ、
イマーム・レザーの教えのパンフレットやらきれいな写真集やらをお土産にいただく。ここには立派な広報室があるようだ。
さらにすすんでジョムフーリエ広場。
ここにはたくさんの絨毯が敷かれ、大勢の人たちがのんびりとお祈りの時間を待っているが
正面には金色に輝く入口があり、この奥にこそ異教徒立ち入り禁止のイマーム・レザーのお墓がある。
その金色のドームは遠くからは見えるが敷地内では他の建物に隠れて見えない。
お土産にもらった写真によるとこんな姿。内部はさらに豪華らしい。
ここを抜ければまた新しいミナレットを建設中の正面広場に戻ってツアー終了。
もっとじっくり見たかったが、とにかく広い境内、チャドルと格闘しながら走り回り、写真を撮っていたらくたびれ果ててしまった。
ついでに夜中、ホテルの部屋の窓から首を伸ばすとライトアップされたハラムが見えた。
入口の広場にはまだ結構な人影が見え
輝くドームは神秘的。
やっぱり中も覗かせていただきたいイマーム・レザー廟だった。
←人気ブログランキングへ一票、お願いします。