しばらく前のこと、お友達の元コッコロ・マダムが高松のイサム・ノグチ庭園美術館へ行ったとブログ記事をあげていて、それが大層面白そうだった。
イサム・ノグチが日米混血の彫刻家であることは知っていたが、あまり詳しいことは知らないので興味を持ち、アマゾンで探してこんな本を読んでみた。
ドウス昌代著「イサム・ノグチ 宿命の越境者」
ドウスさんの本を読んだのも初めてだったが、両親の書簡など古い資料を丹念に集め、まだ健在だったノグチを直接知る人たちにインタビューをして、実に説得力ある伝記になっていて一気に読んでしまった。
何と言ってもこの両親が全く普通ではない。何のつてもないのにアメリカに渡って、英語もそれほど得意そうではないのに英語詩で名をあげる父親に、子供の認知さえしてくれないのに日本へ来てしまう母親。
混血児が珍しかった時代に日本で散々いじめられて、アメリカに行ってもアイデンティティに悩むイサムが複雑な人間になるのも当然だろう。
そんな複雑な生い立ちながらイサム・ノグチは芸術家としては驚くほど恵まれていたように思う。
もちろん本人の才能あってのことではあろうが、人たらしでもあり、意外にちゃっかり憎む父親の名前を利用していたりもして、余計に彼の作品に興味がわいた。
そこで東京都美術館で開催中の「イサム・ノグチ 発見の道」展へ。
まずは1階の真ん中、たくさんの「あかり」を背景に「黒い太陽」に迎えられる。
左手には40~50年代のブロンズ作品が並び
ここいらへんは結構露骨に性的なモチーフが多くて、さすがモテ男の面目躍如。
右手の石の彫刻も面白いけれど
唯一結婚した淑子さん(山口淑子)の陶器の人形がかわいい。
2階に上がるとここにも「あかり」が部屋の隅を照らし
その間を埋める作品は鋼板を折り紙のように曲げたものが多く、日本の影響が濃い。
なぜかここだけ撮影禁止の3階には晩年の石の彫刻が庭のように置かれていて、題もほとんどついていない作品の数々はシンプルそのもの。最後に石そのものに回帰したようで、ノグチの遺骨が納められたという卵型の石の写真に感動。
基本二次元の表現物に反応するたちなので彫刻にはあまり興味なく、まして現代美術にはほとんど関心がなかったのだが、作家の伝記から作品に入るのもたまには面白いと感じた今回の展覧会。
会場では晩年になってもセクシーなノグチのインタビュー・ビデオを若い女性たちが熱心に見ていて、ずっと2,30代の美女にしか興味を示さなかったという作家もご満悦だろうと面白かった。
都美術館の隣では雨にもかかわらず動物園の入場に行列ができていたけれど
今回も上野駅2階の「騒豆花」で芋圓豆花を食べてさっさと撤収した。
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