11月4日
本日は5時に起床、5時半に宿を出て真っ暗な中、阿弥陀堂への参道を登る。
阿弥陀堂は古い建物の多くが失われてしまった大山寺では貴重な室町時代の建物。
重文指定をされており、普段は扉が閉ざされているのだが、今朝はこの中で座禅をするため、宿坊のご住職に開けていただく。
上の写真はお堂を出た後に撮ったものだが、到着した時はまだ薄明り。
お堂の中に電気は通っておらず、お仏前にろうそくを何本か灯してご住職のお話を聞く。
このお堂のご本尊は名前の通り阿弥陀如来、向かって右が観音菩薩、左が勢至菩薩。
阿弥陀様の頭は天井に着きそうなのだが、これは元々の大きな建物が洪水で流されてしまい、今のこじんまりとした建物は残った建材で建て直されたためとか。
それから座禅の説明を受けて「体験座禅」。
お尻に円座を敷き、脚はあぐら、目は閉じると寝てしまうので半眼にしてひたすら自分の呼吸を数える。
扉をあけ放った入り口からは冷たい空気とともに鳥の声が聞こえ、次第に明るさが増してくる。
背筋を伸ばして呼吸に神経を集中していると確かに余計なことはあまり考えず、感覚が鋭くなったような気がする。
前を歩く住職の足元だけが見え、長い時間のような、ほんの短い時間のような。
リンが次第に大きく鳴らされて座禅体験終了。
「5分経過です」と言われるかと思ったら20分近く座っていたらしい。
へえ、って感じだが、嫌いじゃないかも。
阿弥陀堂から延びる道の両脇には昔は僧房が何十と並んでいたという。
最盛期には何百もの僧侶、さらに多くの僧兵を抱えていた大山寺も現在はたった5人のお坊さんがいるだけとか。
我が住職も童顔で一見とても若く見えたが、お話の巧みさから思った以上に経験を積んでいらっしゃる様子。ライバルの三徳山の住職とは180度違うタイプだったが。
宿坊に戻って出発前にあわただしく朝食。
朝は精進じゃない。
大山からは海辺へ戻って名和へ。
この町の長綱寺という小さなお寺の裏に名和一族の墓がある、それを見に来たのだ。
名和一族とはこの地にいた、おそらくは漁師などを束ねていた有力者。後醍醐天皇が隠岐から脱出して再起しようとした時、大山にいた弟の信濃坊源盛、それが引き連れてきた僧兵ともども幕府方と戦って、善戦むなしく破れてしまったという。
一族郎党おそらくは皆殺しにされて、しかもこの墓は人目を忍んで埋められていたらしい。
そんな話を郷土史家から伺おうとしたのだが、こんなところに来るからには当然名和氏のことはよく知っているだろうという前提で話されるものでこちらはちんぷんかんぷん。
お互いにもったいないことだった。
次に向かったのはぐっと時代をさかのぼった弥生時代の遺跡、妻木晩田。これで「むきばんだ」と読む。
広い敷地の真ん中にはりっぱな展示館があり、ここで模型など見ながら説明を受けてから遺跡の中へ。
一番見晴らしの良い所にあるのは王族の墓。
その近くに復元されているのはシャーマンの家とされているそうだが、なにしろ記録もない2000年近くも昔のこと、すべては推測と想像をするしかない。その推理過程の話が面白かったりする。
ここからは道を西にとって鳥取県を離れ、島根県へ。
お昼はバスの中で
吾左衛門鮓「燻し鯖寿司」。
なんと箱の中にオリーブオイルとブラックペッパーが入っていて、これをつけ、赤ワインを飲みながら食べるとおいしいというおしゃれ鮓だが、これが立派な鯖で本当においしい。
揺れるバスの中で食べるにはおしい鮓だったが、これぞ秘境添乗員ツアー。
遺跡めぐりはまだまだ続く。
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本日は5時に起床、5時半に宿を出て真っ暗な中、阿弥陀堂への参道を登る。
阿弥陀堂は古い建物の多くが失われてしまった大山寺では貴重な室町時代の建物。
重文指定をされており、普段は扉が閉ざされているのだが、今朝はこの中で座禅をするため、宿坊のご住職に開けていただく。
上の写真はお堂を出た後に撮ったものだが、到着した時はまだ薄明り。
お堂の中に電気は通っておらず、お仏前にろうそくを何本か灯してご住職のお話を聞く。
このお堂のご本尊は名前の通り阿弥陀如来、向かって右が観音菩薩、左が勢至菩薩。
阿弥陀様の頭は天井に着きそうなのだが、これは元々の大きな建物が洪水で流されてしまい、今のこじんまりとした建物は残った建材で建て直されたためとか。
それから座禅の説明を受けて「体験座禅」。
お尻に円座を敷き、脚はあぐら、目は閉じると寝てしまうので半眼にしてひたすら自分の呼吸を数える。
扉をあけ放った入り口からは冷たい空気とともに鳥の声が聞こえ、次第に明るさが増してくる。
背筋を伸ばして呼吸に神経を集中していると確かに余計なことはあまり考えず、感覚が鋭くなったような気がする。
前を歩く住職の足元だけが見え、長い時間のような、ほんの短い時間のような。
リンが次第に大きく鳴らされて座禅体験終了。
「5分経過です」と言われるかと思ったら20分近く座っていたらしい。
へえ、って感じだが、嫌いじゃないかも。
阿弥陀堂から延びる道の両脇には昔は僧房が何十と並んでいたという。
最盛期には何百もの僧侶、さらに多くの僧兵を抱えていた大山寺も現在はたった5人のお坊さんがいるだけとか。
我が住職も童顔で一見とても若く見えたが、お話の巧みさから思った以上に経験を積んでいらっしゃる様子。ライバルの三徳山の住職とは180度違うタイプだったが。
宿坊に戻って出発前にあわただしく朝食。
朝は精進じゃない。
大山からは海辺へ戻って名和へ。
この町の長綱寺という小さなお寺の裏に名和一族の墓がある、それを見に来たのだ。
名和一族とはこの地にいた、おそらくは漁師などを束ねていた有力者。後醍醐天皇が隠岐から脱出して再起しようとした時、大山にいた弟の信濃坊源盛、それが引き連れてきた僧兵ともども幕府方と戦って、善戦むなしく破れてしまったという。
一族郎党おそらくは皆殺しにされて、しかもこの墓は人目を忍んで埋められていたらしい。
そんな話を郷土史家から伺おうとしたのだが、こんなところに来るからには当然名和氏のことはよく知っているだろうという前提で話されるものでこちらはちんぷんかんぷん。
お互いにもったいないことだった。
次に向かったのはぐっと時代をさかのぼった弥生時代の遺跡、妻木晩田。これで「むきばんだ」と読む。
広い敷地の真ん中にはりっぱな展示館があり、ここで模型など見ながら説明を受けてから遺跡の中へ。
一番見晴らしの良い所にあるのは王族の墓。
その近くに復元されているのはシャーマンの家とされているそうだが、なにしろ記録もない2000年近くも昔のこと、すべては推測と想像をするしかない。その推理過程の話が面白かったりする。
ここからは道を西にとって鳥取県を離れ、島根県へ。
お昼はバスの中で
吾左衛門鮓「燻し鯖寿司」。
なんと箱の中にオリーブオイルとブラックペッパーが入っていて、これをつけ、赤ワインを飲みながら食べるとおいしいというおしゃれ鮓だが、これが立派な鯖で本当においしい。
揺れるバスの中で食べるにはおしい鮓だったが、これぞ秘境添乗員ツアー。
遺跡めぐりはまだまだ続く。
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座禅っていっぺんやってみたいんです。
こういう機会があるといいですね。
風土記の丘の埴輪はたくさんあるのでしょうか?
土器好きなんでこれも行ってみたいかもです。
座禅は私も一度やってみたいと思っていたので、この体験座禅はちょうどいい機会でした。
確かに気持ちのいいものでしたが、舞台が整わないとなかなか自分ではできませんね。
埴輪や土器はこの後に登場する古代出雲歴史博物館の方がありましたが、一番たくさんあるのは東京国立博物館かも?