Luntaの小さい旅、大きい旅

ちょっとそこからヒマラヤの奥地まで

イランの旅 2 マシャド行き夜行寝台列車

2014-06-09 14:06:39 | 中近東/北アフリカ
4月26日 続き

博物館めぐりの後はマシャドへの列車に乗るため駅へ向かう。

が、その前に果物を買いたい、とローカルな市場にちょっと寄ってもらう。
 
魚屋さんにはペルシャ湾の魚だろうか、ちょっと見慣れない姿の魚も並び、果物屋さんの店頭は色鮮やか。
 今の季節はミカン類と、乾燥地帯で採れると言うスイカ、メロンがどこでも山盛り。
イチゴは一山200円以上もして酸っぱかったが、メロンは一つ70円ぐらい、甘くておいしかった。

出発までまだ時間がたっぷりあるので、駅の周辺もちょっと散歩。

人だかりがしていた店はパン屋さん。
  
窯の中には熱せられた石がたくさん入っていて、伸ばしたパンはまるで棒高跳びのような長~い棒で窯の中に入れられる。
 焼きあがるのはこれまた長くて薄いパン。これを待っていたおばちゃんはすぐにジョキジョキとはさみで持ち運びやすいように切って、「イランを楽しんでね」と我々に一枚くれた。焼き立てパンは香ばしくておいしい!

さらに本屋さんに入ると
 
なんちゃってキティに「日本のマシイシメント」。
キティちゃんのユニバーサルな魅力ってなんなのだろう。

 さて、そろそろ駅へ。
 
テヘラン駅は国中への列車の出発点なのでさすがに大きくて立派、乗客も大勢行き交っている。
  
構内には巨大なコーランがあり、お菓子やお土産用のおもちゃなどを売る売店がいっぱい。
 ただし列車案内の表示などはアラビア文字オンリー。
イラン人は親切なので聞けばすぐに教えてくれるだろうが、これは外国人にはちと面倒。

この表示板の下にはガラス仕切りがあり、中へは列車の切符を持っていないと入れない。
 
中は待合室になっていて、ホームに降りるにはさらにもう一つドアを通らなければならないが、出発の20分ほど前、アナウンスがあるまではここも通れない。空港のようなシステムだ。

かなり早く駅に来てしまったので待合室で小一時間もイラン人ウォッチングを楽しみ、ようやくホームへ。
 
エスカレーターの下にはこれから乗り込む列車が待っている。
 
マシャド行き特急列車。

 
なかなかかっちょいい制服の車掌さんに迎えられて1等車両へ乗車。コンパートメントのガラス扉も壺模様でいい感じ。
  内部は4人用だが座席はゆったり。背もたれの間にはテレビモニターまで付いていて、お茶とお菓子も用意されている。
スーツケースは座席の下にすっぽり収まるし、我々3人と女性ガイドさんで部屋を占有できるので気楽。
やっとコートとスカーフを取ることができて、やれやれ。

 と一息つく間もなく、列車は19時40分、定刻に夕暮れのテヘラン駅を出発。すぐに周りは真っ暗になってしまった。

景色が見えないとなれば楽しみは食べることぐらい。
この列車の切符に夕食は含まれていないが、注文すれば座席まで食事を運んでくれると言うので早速注文。
 すぐに来るかと思ったらずいぶん待たされ、お腹がぺこぺこになった9時過ぎにやってきたのがこちら、野菜スープとチキンケバブにご飯。
見た目はしょぼいが味は悪くなく、ボリュームも十分。これで450円ほど。

食後はガイドさんを交えておしゃべり。
今回のガイドさんは小学校の6年間と高校の3年間、お父さんの仕事の都合で日本に住んでいたと言う人なので日本語は日本人並み。日本のアニメやテレビドラマが大好きで、携帯の呼び出しもエグザイル(笑)というほどなので4人目の日本人みたい。
正直、観光ガイドをするより日本の話をしている方が好き、と言う人だったけれど、おかげで楽しかった。

しばらくすると車掌さんがやってきて(そのたびにスカーフをかぶらなければならないのが面倒)、ビニール袋に入ったシーツ2枚と枕カバー、お菓子とジュースを置いて行った。
 これが切符に含まれた「朝食」。
これにはちょっとがっかりしたが
 マシャドまで12時間も乗って、1等の切符が510,000リアル、たったの1570円。対ドルレートが悪いとはいえ、他の物の物価と比べてもこれは安い。

  頭上の袋に入った布団を出して自分でベッドメイクをするが、すべて清潔で気持ちがいい。

ゆっくり横になって、お休みなさい。


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イランの旅 1 テヘラン

2014-06-06 19:12:43 | 中近東/北アフリカ
2014年4月25日から5月6日まで イランの旅

4月25日

22時30分の予定が22時10分と早くなったカタール航空で成田を出発。
GWのせいか機内は満席。
出発2時間前にチェックインしたのに、3人並びはもとより通路側、中央ブロックも既に空席なし。
久しぶりに窓側に押し込められてつらい。

4月26日

 窓の外にまっすぐ伸びる街路灯が見えてきて、まだ真っ暗なドーハ空港に4時10分に到着。
空港ターミナルは入国者用、ファースト・ビジネスクラス客用、エコノミーの乗り継ぎ客用と3つに分かれているがほとんどは乗り継ぎ客。
 ドバイ空港に比べると地味なもので見るべきものもあまりないが、ここも24時間、フィリピンや中国系とおぼしき店員たちが働いている。

乗り継ぎ時間は3時間ほどあったが、搭乗時間は出発の1時間前。
それというのもこの空港にはボーディングブリッジがなく、すべてバスでの移動。しかも空港がとてつもなく広いので、搭乗機に到達するまで時間がかかるのだ。
 たくさん見える飛行機はほぼすべてカタール航空。 
 遠くにビル群を見て、ドーハ観光終了。

ドーハを出発すると飛行機はペルシャ湾を越えてすぐにイランに入る。
 眼下はほとんど乾燥した景色に山脈、時々塩湖。
 
砂漠の中を突っ切るハイウェイと、いささかの緑が見えてきたらテヘラン到着。
頭にスカーフをかぶり、薄いコートを着て飛行機を降りる。

今回は友人たちと3人での旅行だが、入国審査で一人はすぐに通され、もう一人と自分は別室に行けと止められた。
同じ便の日本人ツアーも女性たちばかりが何人か別室に呼ばれたが、先頭の友人のパスポートを入念にチェックし、指紋を取ったらそれで満足したらしく、他はもういい、と追い払われた。どんな基準で呼ばれたのか、さっぱりわからず。
それでも到着からたったの50分、12時には今回の日本語ガイドの女性に迎えられ、空港を後にすることができた。

国際空港からテヘラン市内までは小一時間。
 
市内に入るとイランの国旗やホメイニ師、現大統領のロウハニ師の写真が早速お目見得。
道路は広く、ビルが立ち並ぶが、大きな建物はほとんどお役所のようだ。

まずは両替、と街中の両替所に立ち寄ってもらう。
2014年4月末のレートは1ドルが32,500リアル。325リアルで1円、以後は10,000リアルがほぼ30円と計算していたが、お札の0が多いので混乱しまくり。その上、やはり桁が多いためにイラン人は普段0が一つ少ないトマンという数字を使う。つまり1000と言われたらそれは1000トマン=10,000リアルということ。どうせなら0を二つ三つ取ればいいのに、紛らわしいことこの上ない。

現金を入手したところで、まず観光に向かったのは旧アメリカ大使館。
映画「アルゴ」でおなじみ、1979年の占拠事件の舞台だが、一部の部屋が「アメリカ・スパイの巣窟」として博物館化していると聞き行ってみたいと問い合わせたところ、めったに下りないらしい許可が下りたのだ。
 
この塀の向こうにある建物が旧大使館。
ガイドさんと一緒に門をくぐり、敷地内には確かに入れたが、守衛小屋のところから建物を眺めるだけでそこから先には入れてもらえず肩透かし。入口にはなぜか小さな自由の女神像が立っていたが、写真も撮ることができなかったのが残念。
しかし今内部は革命防衛隊訓練施設になっていると聞けばそれも納得。ロンプラには2月の10日間ほどしか内部は公開されないとあったし、敷地内に入れただけでもよしとしよう。今の雪解けムードからすると建物内に入れるようになる日も近いかもしれない。

大使館の次にはごくまっとうに国立博物館へ。
 1928年にフランス人建築家によって設計されたと言う建物はペルシャ風味のアールデコ様式ですっきりときれい。
 
内部の展示法もクラシックそのものだが、なにせ文化の宝庫のペルシャなので
 
 
渋い動物紋の陶器やらかわいい置物やら、結構ツボ。

 
 
これから行くペルセポリスの予習もちょっぴり。

  
そして岩塩鉱から発見されたという1700年前のミイラはこの博物館のスター。
この周りには人だかりがしていたが、顔だちまでわかる頭部など保存状態がすこぶるいい。

イスラム以降を扱う別館はもう何年も閉館中とのことなので国立博物館の見学はここまで。
次はこちらの希望でガラス&陶磁器博物館へ案内してもらう。

   
1910年に権力者の私邸として建てられたと言う建物はとても優美。
そしてこちらの博物館は展示方法もおしゃれで
  
1階にもこまごまと面白いものが並んでいるが
   
2階に上がると四面にぎっしり小さなガラス器を収めた棚とか、柱が並んだような展示ケースとかまるで宝石店のよう。

 
有名な涙の壺が階段の上に地味に置かれていたのはちょっと意外。
出征した兵士の妻の涙を集めるための壺と言われ、確かリルケの詩にもなっているが、実際の用途は不明らしい。

 そしてこちらの部屋に並んでいるのはすべてラスター彩!
なんと贅沢なことか。

と、この博物館の収蔵品はすべて好みなのでこちらに写真を集めてみた。



あのちびっこガラスでいいから一つほしいなあ。

博物館で興奮したので、その後はカフェでクールダウン。
 
ここは文化人などに人気の老舗カフェとのことだが、アイスクリームはまあ、普通。
しかし予想していたよりも既に暑いテヘラン、冷たいものはありがたかった。


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ポスト・コレクション 12

2014-06-03 16:19:18 | コレクション
今回はもちろん南極方面のポスト。

まずは経由地、アメリカ合衆国。
 この色も形も、どうもゴミ箱に見えて仕方ない。

アルゼンチンはウシュアイアの監獄博物館内にはなぜか郵便ポストのコーナーがあり
   
どうやら歴代ポストは黄色、赤、青と変遷しているらしい。

と言っても
 ブエノスアイレスの現役ポストも赤だったし
  
ウシュアイアの町の郵便局のポストも赤だった。
ちなみにこのポストに投函した絵葉書、船の出港前に出したら3週間後に帰宅した時にはちゃんと届いていた。

英領フォークランドでは独自の郵便切手が発行されていて、当然首都のスタンレーには郵便局がある。
 
この郵便局内にはフォークランド発行の切手の博物館があるのだが、立ち寄ったのが日曜日だったので残念ながら見ることができなかった。
そこで切手はビジターセンターの土産物売り場で購入。
  同じくビジターセンターにあったポストから投函したら、やはり帰国した時には届いていた。
丸型ポストも箱型ポストも、GRの印があると言うことはエリザベス女王の先代、ジョージ6世の時代のものだから少なくとも60年は経っている。素敵すぎ。

(追記:ポンポコ研究所のご指摘により箱型ポストはジョージ6世ではなくジョージ5世時代のものと判明。ということは80年以上前、とさらに年代が古くなった。イギリスのポストは前面についている王様の紋章で制作年代がわかる。この紋章は cipher というそうだ。)

フォークランドの隣、同じく英領のサウス・ジョージアも独自の郵便切手を発行して収入源にしている。
 博物館の隣にあった郵便局。
  
中でははがきなども売られ、本国から派遣された郵便局員が人恋しいのか、とても親切に対応してくれる。

「ゆっくり好きなのを選んでね」と見せてくれた台帳からこの地にちなんでシャクルトンの切手を選び、
   
スタンプも数種類あるうちから選ばせてもらって局内のポストに投函。

「このはがきはたぶん僕がイギリスに帰る時にいっしょに運ばれると思うよ」との言葉通り、2月13日に出したはがきが日本に着いたのは3月31日だった。

サウスジョージアでは博物館の入り口にもこんな渋いポストがあった。
 人口比で言ったらすごいポストの数!

南極大陸まで行くとさすがに郵便局もポストもないが、各国観測基地の中には郵便を引き受けるところもある。

 サウスオークニーにあるアルゼンチンのオルカダス基地もその一つで、バーカウンターにいる隊員が受け付けてくれる。
がはがき一枚の郵送料は5ドル、「便がある時にウシュアイアに持っていくだけだよ」といかにも引き受けたくない様子なので
 ただでスタンプだけ押してもらってはがきは持ち帰った。

本業務以外の仕事は面倒なのだろうが、でも何日かかって届くか、やっぱり出してもらえばよかった・・・。


過去のポスト・コレクションはこちら↓

ふみの日記念 ポスト・コレクション
ポスト・コレクション 2
香港のポスト
ポスト・コレクション 4
ベトナムのポスト
バングラデシュのポスト
キプロスのポスト
ポスト・コレクション 8
モロッコのポスト
ポスト・コレクション 10
タジキスタンのポスト


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南極クルーズの食事

2014-06-02 16:11:00 | 北米/南米/南極
イラン旅行記はまだか、とお待ちの皆様、すいません。
南極の小ネタがまだ少しあるのでもうしばらくのご辛抱を。

というわけで、本日は南極クルーズ中の食事のご紹介。

19日間、毎日、朝昼晩とお世話になったダイニングルーム。
 元々海洋探索のための船なので飾り気もないが、100人が一度に座れる大きな部屋。
席も決まっていないので、団体ツアーで来ているイスラエル人とアメリカ人以外は適当に気の合った人の所へ行って座るが、毎日同じ席に座らないと気が済まないらしい人もいるのが面白い。

朝食はもちろんビュッフェ・スタイルでシンプルだが、卵の焼き方、フレンチトーストやパンケーキなどを日替わりにして変化を持たせている。
  
 
ある日、パンケーキにベーコンをのせ、メープルシロップをかけて食べていたら「それってすごくアメリカっぽい食べ方よね」「なんだその食べ方は。気持ち悪い」とオーストラリア人に言われてしまった。
自分たちだってトーストにベジマイトなんぞ塗りたくり、茹で卵を乗せて食べているくせに。

お昼と夜は3コース制になっていて、まずはビュッフェテーブルでサラダをいただく。
 
 
いつまでもつか、と皆が興味津々だったレタスも保存がうまいのか、最終日まで結構まともな姿で登場。
クスクスやライス、豆サラダなどの他に前日の肉類などもうまく再利用して、バラエティー豊かだったのはよかった。

テーブルにはパンとともに大きなスープ入れが置かれていて、これは飲みたい人が自分でよそう。
 こってりしたスープが多いのでパスすることが多かったが
 ある日のメニューはなんと「みそスープ」。
確かにみそが入っていたけど、む~。2度目には手を付けなかった。

ついでに「日本食」はもう一度だけ
 のり巻きが出た。
しかしこのご飯が固くて、それがまたガチガチに固く巻かれている。真ん中に巻かれているのは野菜で、努力はわかるがこれはさすがにいただけなかった。

ちなみに厨房のトップはアルゼンチン人、その下には3人のフィリピン人シェフとのことだったが、固いご飯はだれの責任だったのだろう。

メインは毎日、肉、魚、ヴェジタリアンの中から選択するが、ランチの場合は目先を変えて
  ピザやサンドウィッチ・ビュッフェになることもある。
 タコ・ランチは悪くなかったが
 パスタはイタリア人が乗っていなくてよかった。

メインにヴェジタリアンのオプションがあるのはいまや常識なのだろう。
 
何度かは頼んでみたが、米がやっぱりまずいし
 これを「豆カレー」とは絶対に認めない。
総じてスパイスの使い方がへた、というか全く効いていないのは欧米人に合わせた味付けだからなのだろうか。
 この「豆腐と野菜の中華風」も不思議な料理だったが、豆腐は残念ながらこの一回しか登場しなかった。

ではお肉を選択するとどんなものが出るかと言うと
  
ビーフやポークなどがどーんと、さすがに気前よく出てくる。
  
しかし一番おいしかったのは羊で、これがメニューにある時は逃さなかった。煮込み系はあまり登場しなかったが、このアイリッシュシチューもなかなか。

とは言え運動量の少ない船内、カロリーオーバーが気になる時は魚。
 こんなシーフード・シチューのこともあったが
  
たいていはタラのような白身にこってりしたソースがかかって出てくる。
 そこで魚の時は「ソースなしで」とお願いして、持参の醤油をかけて食べていた。これが一番さっぱりとしておいしい。

そしてこの後には必ずデザートがつくのだが、これが大問題。
メインの食事がいまいちだったのに比べて、フィリピン人パティシエの作るデザートがおいしすぎるのだ。
  
ごくオーソドックスなチョコレートなどのスポンジケーキも甘さ控えめでおいしいし
  
チーズケーキやプリンのようなものもおいしい。
 パウンドケーキ系は食後に重過ぎるのが難点だが
  
 
特にパイは得意と見えて盛り付けもおしゃれ。
毎日の食事の一番の楽しみはこのデザートだった。

そして旅の最終日にはロシア人船長主催の「キャプテンズ・ディナー」があった。
この船には乗客の食事を作るスタッフとは別に、ロシア人クルーのためにロシア人シェフもいるとのことだったので本格的ロシア料理が食べられるかと期待したが
 ボルシチに
 ラム・ロースト
 デザートはロシア人バレリーナにちなむパブロワ
とメニューこそロシア風だったものの、お味はいつも通りでちょっとがっかり。
聞くところによると船の持ち場は厳格なもので、他の部署の人間は絶対に入れないらしい。

ところで船中の食事、毎回写真を撮っていたら同行者たちにえらく面白がられた。
「毎日写真を撮ってどうするの?」とさんざん言われたが、こうしてあらためて並べてみると文句を言いつつ

よく食べたわ。


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