マル鉄回顧録

鉄道写真・鉄道模型を始め、バスやトラックなど、乗り物中心のブログです。昔の写真はマル鉄鉄道写真館で再編集しています。

オハネフ12形 急行「狩勝」

2008-05-30 07:35:00 | 客車 列車・車両(ブルトレ以外)
おはようございます。
昨日は体調が優れなかったため、更新せずに寝てしまいました。
準備していたネタがアップできなくなってしまいましたので、今日は1枚物です。

札幌~釧路間は、古くから需要があっていわゆる『全車指定制』の急行列車が走っていました。古くには変遷のある列車ですが、昭和50年代は急行「狩勝」を名乗っていました。

北海道ワイド周遊券という、北海道フリークには便利な周遊券があり、20日間有効で急行自由席車も乗り放題だったため、「各方面への移動は夜行急行で!」というのが当たり前だった時代、この夜行「狩勝」だけは全車指定のため別に急行券・指定席券、或いはグリーン券や寝台券とともに急行料金を別途取られてしまうという意味で、大変使いづらい列車でした。私的には移動の必要性に迫られて、「狩勝」時代に1度だけB寝台車に乗ったことがあります。



昭和56年3月 撮影場所不明 オハネフ12 急行「狩勝」

札幌駅で他の急行待ちの時に撮ったものか、釧路からこの列車に乗る時に撮ったものか、記憶が曖昧です。
この写真は記念的に撮ったものではなく、元ナハネ10の改造車であることが判った為に慌てて撮ったものです。洗面所の明かり窓が横長ではなく大型であることから容易に判断できるのです。
昭和40年代、増大する寝台需要に対応してスハネ30など旧型車によりB寝台車が増備される中、普通車の緩急車を連結しない列車が設定されるようになったため、中間寝台車である初期のナハネ10に車掌室や緩急設備を設け、全てのナハネ10が緩急車化されました。その後、冷房設備の需要から冷房化改造され、重量が増してオハネフ12になったわけです。この大型の明かり窓も初期車の名残です。

写真を撮った当時、本州では10系寝台車の淘汰が既に進んでおり、10系寝台車そのものが希少になりつつある頃で、初期の10系寝台車に逢えたことが非常に嬉しかったことは記憶しております。ストロボを焚いてしまったのは、ホームがあまりにも暗かったのと、運転には支障の無い中間だったからと判断したからだと思います。※今だったらこのような状況でももちろん炊かないでしょうけど。

その後14系化されたり、名称が急行「まりも」になり、さらには特急化されて「おおぞら」、また特急「まりも」に愛称が戻ったりと目まぐるしい変遷がありましたが、とうとうこの夏の運転を最後に廃止されるされてしまうとのことです。

急行寝台列車「狩勝」は、そんな歴史を刻んできた特急「まりも」のルーツともいえる列車なのです。
コメント (12)
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