おはようございます。
このところの残業続きで早々にクタバッてしまったようで・・・朝一の1発です。
題名のノスタルジックビュートレインと言えば、五能線の美しい車窓を売りとした、路線そのものを観光事業化した東日本(北?)では珍しいケースかもしれません。全国的には、大歩危小歩危(四万十川)や南阿蘇鉄道、保津峡などにも見ることが出来ますね。
五能線自体は乗ったことがありますが、その時点ではこうした観光用のジョイフルトレインとは遭遇したことがありません。現在は何種類もの改造気動車ジョイトレが走っていますね。

平成4年8月18日 奥羽本線 八郎潟~鯉川間にて ED75700牽引 ノスタルジックビュートレイン
このときは同区間で撮影可能なブルトレを中心に撮影を行っていたわけですが、特にこの列車はマークしていませんでした。なので、一般的なアングルで構えていなかったため、真横からのこんな写真になってしまったのです。ズームレンズを使っていたわけでもないのに、良くこんなにピッタリに収まったものだと我ながら感心します(笑)。
五能線では非電化ですから、当然にしてDE10が牽引したのでしょうが、電化区間をED75が牽いていること自体を知りませんでした。まあ、当時はあまり興味も無かったんですが・・・。
これらの客車は『老朽化』を待たずとして引退となってしまい、現在も活躍している気動車改造の編成に変わってしまいました。折り返し作業やダイヤの設定上、他の気動車と足並みが揃った方が運行管理、保守の面で有利だったのでしょう。
前後の展望車は、その後SL奥利根号の増結車としても使用されましたが、あまり活躍もしないまま引退してしまったようです。展望室の分、定員を稼げなかったのも原因でしょうか?あと、暖房装置とかも12系とは違ったのでしょうかね。その時期は殆どテツを休業していたような状況で、記録として残っておりません。

昨日分のコメントをお返しする時間がなくなってしまったので、今夜お返しいたします。遅くなってすみません。
このところの残業続きで早々にクタバッてしまったようで・・・朝一の1発です。
題名のノスタルジックビュートレインと言えば、五能線の美しい車窓を売りとした、路線そのものを観光事業化した東日本(北?)では珍しいケースかもしれません。全国的には、大歩危小歩危(四万十川)や南阿蘇鉄道、保津峡などにも見ることが出来ますね。
五能線自体は乗ったことがありますが、その時点ではこうした観光用のジョイフルトレインとは遭遇したことがありません。現在は何種類もの改造気動車ジョイトレが走っていますね。

平成4年8月18日 奥羽本線 八郎潟~鯉川間にて ED75700牽引 ノスタルジックビュートレイン
このときは同区間で撮影可能なブルトレを中心に撮影を行っていたわけですが、特にこの列車はマークしていませんでした。なので、一般的なアングルで構えていなかったため、真横からのこんな写真になってしまったのです。ズームレンズを使っていたわけでもないのに、良くこんなにピッタリに収まったものだと我ながら感心します(笑)。
五能線では非電化ですから、当然にしてDE10が牽引したのでしょうが、電化区間をED75が牽いていること自体を知りませんでした。まあ、当時はあまり興味も無かったんですが・・・。
これらの客車は『老朽化』を待たずとして引退となってしまい、現在も活躍している気動車改造の編成に変わってしまいました。折り返し作業やダイヤの設定上、他の気動車と足並みが揃った方が運行管理、保守の面で有利だったのでしょう。
前後の展望車は、その後SL奥利根号の増結車としても使用されましたが、あまり活躍もしないまま引退してしまったようです。展望室の分、定員を稼げなかったのも原因でしょうか?あと、暖房装置とかも12系とは違ったのでしょうかね。その時期は殆どテツを休業していたような状況で、記録として残っておりません。

昨日分のコメントをお返しする時間がなくなってしまったので、今夜お返しいたします。遅くなってすみません。