蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

休日は眠い

2012-11-10 | 日々のこと

今日の書き出し、イントロには、浅ましき下心が隠されていない。
なぜなら、今日は長文になりすぎて、イントロにまで割く文字数に余裕がないからだ。
なので、イントロは、単なる無駄な文字の羅列になった。

 

さきほど、新ブログを2つ、ぶらついてきた。
その前に、前から知っていて、マーキングしていたブログを2つ、読んだ。
さらに、その前には、草むしりに専任しかけていたヒトのブログと、ご近所ブログ。
そして、あ、そうそう・・・と、お引越しされた、米ブログも様子伺いに。
つまり、たくさん、読んだ。
なぜかというと、今日は、休日で、時間がたっぷりあるからだ。

で、新しいブログについて。

ものすごい閲覧数を誇るだけあって、多くの不特定多数の人の好奇心をソソる内容ではあったが、
コメントも何十個も、垂れ流しのようなかんじで、公開され、一人一人との密度の高いつながりは、感じられなかった。
あまりにも多い閲覧数なので、確かに面白いのではあるが、ブロガーさんとの距離を考えると、
マンモス塾に通っている、落ちこぼれ一歩手前の生徒のような気分になった。
それと、ブロガーさんに温かみや余裕がないことを逆手にとって、面白さに、きーんとキレはあるが、
人情味は感じられない。(あたりまえか。そういうテイスト、演出、手法なんだもの)
ブックマーキングせず。

もう一つは、還暦を過ぎた人の、マレーシア・ロングステイ一人暮らしのブログ。
これは、けっこう、面白かった。
行ったことがあるクアラルンプールのことが、書かれていたが、
あの地での生活は、わたしには無理だろうと自分では感じている。
夫だけ、行っているというパターンもけっこう、あるようで、それはそれで、参考になる。

田舎暮らしもそう。
定年後、夫だけ、どうぞ、あなたが幸せで、わたしも、幸せなら、こんな素晴らしいことはないわ。
わたしは、わたしで、自分の小さなコミュ二ティーを作り、守り、友人達とのお付き合いもあるし、
ひとりで、いってらっしゃい。

そのパターンの平和・ご夫婦が、けっこう、おられる。
それぞれの生き方を持ちつつ、時々、一緒に行動する、これって、理想だ。
日常生活は車でしか移動できないような、外国の地で、車を運転する夫に、べたっと依存する生活が、楽しいか?
なので、奥さん方は、日本に帰ってしまい、なかなかロングステイ先に戻らないケースもあるとか。
で、夫は単身一人暮らしロングステイとなる。

この逆は、あるのだろうか?
妻の単身一人暮らしロングステイ。夫は、日本に里帰りして、帰ってこない、というケース。
東南アジアの場合、あまりないように思う。
還暦過ぎて、女性がひとり、ロングステイするケースは、どれぐらいあるのだろう?
女性は、けっこう、行動派なので、ロングステイよりも、
自分で企画した中・長期の旅を楽しむのではないかと、想像する。

ロングステイ仲間や、ご夫婦同士で、いつも、集まって何かをする。
ロングステイ先で、日本に居るときよりも日本人的な日本人村社会で、
息苦しいほど、こじんまり行動するのって、楽しいのか?

いつまでも、ロングステイ先に留まり、骨を埋めるのかといえば、そうでもない。
10年近くして日本に帰ったあと、日本での足場を失っている70歳の彼らは、
その後、どういう老後を送るのか、お互い、夕食時の話題になったことがあるそうだ。
その食卓は、おそらく、お酒も、勢いを増すことができず、しょぼーーんと、うらさびしいものになっただろう。

定年、ご苦労様、お疲れ様。
辛く厳しい仕事に耐えながら、長く思い描いていた夢、希望を叶えたい。
やっと、その日が来た。
今だけ、今しばらく、健康な間、楽しいと感じる間は、夢の実現を体感し、充実の生活を送るのは、最高かも知れない。
そんな楽しい瞬間のピークを満喫している彼らが、なぜ、口をそろえて、永住ではなく、帰国がアタマをよぎるのだろう。

日本に住居を確保した上で、日本での余生の生活費も残して、ロングステイするには、
よほどの財産や、退職金が、たんまりあるのならいいが、微々たる退職金と年金だけでは、やはり厳しいものがあるのでは?
住宅は処分し、日本に戻ってから賃貸を探すとしても、70歳を過ぎてから、すべて一から出直すのは、たいへんかも。

でも、そんなこと言ってたら、なにもできやしません。
人生は、一度きり。リスクをしょって、トライするのみ。
他人ごとである場合、明るく、笑顔で、なんの不安もなく、わたしは、背中を押す。

自分だったら、自分の夢に向かって、頑張るだろう。
ということは、わたしは、ロングステイは、自分の夢ではないということだ。
日本に軸足を置いた上で、中・長期の旅派。
とは言っても、今は、まだエネルギーがチャージできていないけれど。
去年のパリ一人旅で、チャージを使い果たした感あり。
(今月で切れる、マイレージが、気がかりだが。
マイルに背中を押される可能性もなきにしもあらず。でも、今月中では、ちょっとキツすぎる)


こんな長く書いてしまったのに、まだ、書きたいことがある。

(読む気が減退しているのは、よくわかります・・・が。
ここらで、コーヒー、ちょっと飲んでください。わたしは、もう、2杯も飲んでます・・・)

以上は、新しいブログの感想。
今からは、マーキングしていたブログについて。

ひとつは、
定年後の生活を綴られた、文章のしっかりした、ブレのない安定のブログ。
若い頃から書いておられたようなので、しっかりした内容に、ユーモアも交え、
時には、ご自身の経歴に触れられるので、わたしは、けっこう興味を抱く。
その人の考えの源、発想の元になるものを知るには、やはり、環境背景や、経歴は、避けては通れない。
そのブロガーさんの職業分野を新たに知り、へえ~と、とても意外な気がした。
(前にもブログに書かれていたのかも知れないが)
そのブログは、最近、ブログ村のエッセーから引越しされたので、ちょっと、お引越し先に伺ってみた。
そこで、上述の還暦ロングステイのブログを知った。


さらに、もうひとつは、
ついついつい最近、お出ましの、おんぎゃ~と産声をあげたばかりのブログ。
パソコンの調子がよくないので、しばらくはお休みだとか。
小学生の作文だと、ご自分で、なにかのコメントで、おっしゃっていたが、
なにをなにを・・・あれは、謙遜を通り越して、虚偽の自己申告だった。
文章は、かなり上手いと感じた。

純粋で、ガラスのように壊れやすいこころを持つ人と、わたしは、共通のエスペラント語を話せないので、
あれこれ言う気持ちはない。(あっても、エスペラント語、話せないし)
わたしのような、厚顔無恥で無神経な人間は、図書館に通えないし、一冊の本も読めない。(即、寝てしまう)

わたしと逆の性質を持つ方は、汚れた人間は苦手で、読書が好きで、動物が好き。
純粋すぎて、わたしのばい菌が伝染するのが心配だ。
そして、先方からは、得たいの知れない、暗~いなにかが、どよよ~んとあり、
それを感じると、後ろずさりしてじりじりと逃げたくなるので、がっつり接することは、無理。
お互い、ガラス越しのご対面になりそうだ。
というか、今後、対面することは、なくなりそうだ。


さらに、書きたいことが、まだひとつ、ある。
でも、やめとこう。
読んでくださる方々の顔を思い浮かべてみると、どの顔も眠そうだ。
(知らない顔、見たこともない顔を思い浮かべる作業は、至難の技だったりする)

いつも、あとで、読み返すと、わたし自身、眠くなっている。こっくり、こっくり。
読んでいる人は、どれだけ眠いかってことだ。
こんな中途半端な時間に睡眠を取ると、夜、また寝れない、と、クレームがきそうだ。
このあたりで、自主規制、終了いたします。

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親切の押し売りと、感謝の強要。浅ましき下心

2012-11-09 | 日々のこと

さて、今日は、どんな路線にしようか。
なんでも、イントロが大事だ。
読んでいただこうとする、この浅ましさ。
下ごころ見え見えの、小市民的浅ましさ。
全編、これが貫き通されている。


昨日は、ジムをさぼった。
肌寒くなってくると、上にひっかけるコートのようなものが必要。
ダウンコートは、大げさだし、薄手のコートはあるが、ロングで、なんだか鬱陶しいし。
で、どれにしようか、あれこれ探していて、時間切れとなった。
予約していたエキソサイズ プログラムの時間に間に合わなくなりそうなので、
どうしよう、遅刻になっても頑張って行くか、サボるか・・・

天使と悪魔はちょっとだけ、ほんの見せかけ程度、闘って、
即、天使が負けた。
闘う前からもう、時間的にみて、あきらめていた。

ジムに行くと、行かないとでは、雲泥の差がある。

ジムに行くと・・・・
運動する、汗をかく、新陳代謝がよくなる、筋肉が落ちるのを防ぐ、あれこれ、あれこれ、いいことばかり。
ジムに行かないと・・・
運動しない、じっとしている。どうせ、パソコン延長。
でも、休日のように、さすがに気が引けて、コーヒーなし、お菓子は、食べない。

しかたないから、ネット遊びは自粛して、
自宅にパソコンがないという知人のために、欲しがっていた情報を情報収集し、プリントアウトした。
情報もたくさんあり、どの情報がオススメか、こちらで選択、抜粋するしかない。
はっきりいって、面倒だった。
というか、多くの情報から抜粋するのは、本人の好みなのであるが、
その多くの情報全体を、情報を欲しがっている当人が見ることができない状況が、もどかしかった。
しかし、多くの情報を見すぎて、情報の嵐の中から選択に悩むのも、ある意味、情報貧乏性。
(そもそもパソコンのない生活で、なんの不自由も感じていない知人。
情報など大して欲していないと、感じる)

その知人のための一連の作業をしていて、なんだか仕事みたいな気がしてきた。
執事じゃあるまいし、お客様のニーズに沿って、情報を提供したり、代わりに事務手続きを行う。
あるいは、揃えた情報、商品の中からチョイスしてもらい、契約、購入へと進む。

さ、さ、プレゼンすみましたよ。
シュミレーションしてくださいました?
答えは?

みたいな、そんな、仕事っぽい気持ちになりそうになるのは、わたしのこころが、汚れているからだろう。
というか、人のために、あれこれするのが、仕事としか思えない、という、打算的、冷徹、無慈悲な、非情人間。
人にしてもらうことに、慣れきっていいるくせに、いざ、人になにかしようとすると、息切れがする。

ということは・・・
わたしに、あれこれしてしてくれる皆さんは、実は、大変な思いをしている、というか、
尽くしてくださっていたのだ、と、改めて気が付いた。
(→遅すぎ)
とても身近な場合はいいとしても、そうでない場合、
お金払っているから、してもらって、あたりまえ、みたいな感覚が知らず知らず身についているようだ。
逆に、お金払ってなくて、してもらったりすると、かえって、そわそわ、お返し、お礼をなにかしなければ。。。
と恐縮を通り越して、窮屈になる。
お金での割り切りは、ドライだけど、さらっとして、悩む必要がない。
お礼を考えてあれこれ頼むと、かえって、高くつく。


今回のことは、自主的に、無償で、ボランティアで、親切、好意で、してさしあげているわけだが、
してもらったほうの人は、そんな、ああ、たいへんだ、と、ふうふういって、押し付けがましいことなら、して欲しくないだろう。
第一、はっきり頼まれたわけでもなく、自分が進んで、やっていることなんだから。

これで、ありがとう、の一言も無く、あるいは、ありがとう、とは言っても、口先だけだったりして、心がこもってない、とすると、
また、むっとしたりするんだろうなあ・・・
イヤだなあ・・・そんな、親切の押し売りと、感謝の強要。

ということで、ジムをサボり、娘婿に直してもらった、インクの出ないプリンターに鞭打ち、
(黒はやはり出ず、娘婿に教えられた通り、自動クリーニングだかなんだかの措置をとり)、
やっとこさオレンジ色の文字になってプリントアウトされたものを数枚、用意した。
はじめの数枚は、黒が出ないので、要所のみ、涙ぐましい手書き。

ジムさぼりで、美と健康への努力を怠ったものの、
お菓子ぼりぼりではなかったのが、まだマシだったし、代わりに、人のためになった。
と、自分では思っているが、おそらく、こころのどこかで、喜ぶ顔を期待している。
浅ましいなあ・・・わたし。

 

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人さまのブログに、求めるもの

2012-11-08 | ブログ

自分のブログ、なんのために書くのか、ということは、前に書いた。
では、
人のブログ、なんのために読むのか? なにが読みたいのか? なにが知りたいのか?

まず、なにかのキッカケでブログを知る。
キッカケは、退屈しのぎにネットサーフィンしてみたり、調べ物をしていて偶然検索でヒットしたり、
ブログ村で紹介されていたタイトルにふと訪れてみたり、趣味か何かのサイトで見かけたり、
あるいは、コメントを頂いたり、
まあ、なんらかのアクションの結果、知ることになる。

ブロガー同士である場合、お互いのブログを行き来することが多い。
(常時コメントを残す、残さないは、別として)
自分のブログへの訪問数を増やすための営業活動として、多くのブログを頻繁に訪れるブロガーさんもいるそうだ。
営業で、ある程度の結果を出したものの、ご本人は疲れてしまって、営業はやめたという人もいる。
(ちなみに、わたし、営業、しません)

今まで、いろんなブログを訪問した。
行きずりでも、コメントを残していた、懐かしい頃もある。(今では、しない)
今、訪れているブログと、うんと前は、まったく傾向が違っていた。

キッカケは、どうであれ、ブログそのものが面白い、内容が読んでいて興味深くて、自分の反応たっぷり。
だが、自分の気持ちや状況が変わると、好みも心境も変わり、面白いと思っていたものを前ほど面白いと感じない。
または、自分自身も、訪れていたブログも、両方、変わらないとすると、変化がなく、飽きる。
逆に、自分は変化しないのに、訪れていたお気に入りブログが、変化してしまって、あれ、最近、つまらないなあ、
ちょっと傾向が変わってきたなあ、なんてこともある。

たいがいは、お互い、少しずつ、同時進行で変化する。

面白いと、飛びついても、長く熱が続かない。
魂が震え、舌が歓喜するほどの、大好きな食べ物メニューを毎日、毎日、食べると、だんだん飽きてくる。
ああ、至福、この幸せ・・・ぱくり。
これは、毎日、毎回、食べられないから、感じる幸せだ。
毎日、食べられて、その都度、感激する幸せもあるが。

ロミオとジュリエットも、相手が死んだら、永遠の愛だけれど、生きて結婚でもしたものなら、
熱病にとり付かれて、うなされていた身を焦がす恋人も、
横で、いびきかいて寝てるこの人、あれま、この人だれ?と、フツーの人になっている。
幸福の青い鳥は、お持ち帰りすると、黒くなる。

食べ物、人、その他もろもろ、大好きなものを最高のボルテージを保ち続けることは、不可能。

24時間365日、おんなじことを言っているブログ、面白いか?
言ってるブロガー自身も、いやになっているに違いない。
100人のブロガーさんが、交代で、読み手が興味あるテーマについてリレーしているなら、
まあ、悪くもないかも知れないが。
それなら、ネットサーフィンと、あんまり変わらない。

ギョーザの王将のギョーザが、大好きで、死ぬほど食べまくった時期があってもいい。
にんにくのニオイ、ぷんぷん。毎日、毎日、毎日、同じ味を、それこそ延々と飽きるまで食べる、
でも、なぜか、全然、飽きない。こういう流れもある。

そうやって、影響を受けて変化していく。
変化していくと、好みもだんだん変わってきたり、ますます同じものを深く追求したり、
熱病はいつまでも続くんじゃないんだ、などなど、いろんなことを学ぶ。
(わたしは、けっこう、長く続く)
熱くなくても、続きはある。
捨てる、やめる、続行する、
お互い、変化しながら、変わっていく。


えっと・・・なんでしたっけ?
そうそう。。。人のブログに、何を求めるか?でしたね。

私の場合、(皆、そうかも知れないが)、限られた時間の中で、読むブログは絞られる。
稀に新しいお気に入りブログを発見すると、大喜び。毎朝、いの一番に読む。
これらの定番お気に入りとは、別に、ひょんなことで見つけた、面白いブログはあるけれど、
かなしいかな、ブックマークはしていても、全然、見に行かない。
休日、あまりある時間に、ひょこっと思い出して、見てみることはあるかも知れないが、
あまりそういうこともないので、マーキングしたまま、行かないまま溜まる一方。

でも、素晴らしいブログは山のようにあり、山のようにブックマーキングしていても、
実際には行かないんだったら、なんの意味もない。
本を本屋で手にとって、あれもこれも買って、お持ち帰りし、つんどく、というやつだ。
おそらく、時間だけでなく、思考力も感性にも自分のキャパシティがあるのだろう。

時間は、どう使うか、その優先順序にもよる。
現状では、ブログに割くことのできる時間が少しなら、他の時間を削って、ブログに回すという方法もある。
それで、つんどく状態のブログを読むか・・・というと、きっと、読まないだろう。
自分の今の状況では、ブログには、ある一定時間だけを割く。この時間バランスが、ベストだ。

このバランスが崩れない限り、今のところは、新しいブログを探すことは、おそらくしないだろう。
仮に、偶然、見つかっても、ひとつか、ふたつぐらい。
じゃあ、ブログになにを求めるか、なんて、書こうとしても、
現状では、今、読んでいるブログだけで充分、満たされているってことだ。
というか、むしろ、わくわくしている。
書くのや~めた、草むしりに専念します、なんて突然、ほったらかさないかぎり。

つまり・・・人のブログに、なにを求めているか。
今の自分の興味、考え方、感性に合う、響くもの。
(まったく同一である必要はない。あまりにも一体化していると、発展がない)
へ理屈系、好きだったりする。
それと、自分とイメージをダブらせたり、逆に、自分だったらどうするだろう、と、シュミレーションしてみたり。
ほんの一部分が重なっていて、あとは、違っている、・・・そんなのが、心地よい刺激になる。

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今日の記事内容は、ひじょ~に、つまらないものになった。
いつもの制限時間10分という過酷な状況に比べると、明らかに気合が足りない。
ツメも甘いし、鈍い中味、・・・・・大きな原因としては、空腹で気が散っている。
人間は、単純動物だ。

 


ぎとぎと、コテコテ、ホンネそのまま

2012-11-07 | 趣味

天童よしみ似の女性がいる。
顔、体型、スタイル。
あのイメージ、バランスを、ちょっと一般的標準にアレンジしたようなかんじ。
顔の造作は、天童よしみより、大作りで、きりっとしている。どちらかというと、山村紅葉か。

わたしは、歌手の「天童よしみ」ご本人に対しては、べつに大して興味がない。
強いて無理やり言えば、人並み以上の歌唱力で、その世界で名を上げていて、
歌唱力という部門の才能は一般人に比べると秀でていることは認める。
ましてや、それで生活の糧を得ているのは、評価に値する。
どんな分野の、どんな人にも、その道に秀でた人に対して、同じコメントを発するだろう。

で、問題は・・・
天童よしみご本人ではなく、「天童よしみ似」の、人物である。

この天童よしみ似は、とある、べったべたの大阪界隈に出没する。
映画や、旅行や、大阪といえば、コテコテの、ココ! 道頓堀やら、ひっかけ橋やら、かに道楽やら・・・
そんなこんなを連想される、なんばを中心とした、ミナミと呼ばれる、おおさか臭てんこ盛りの、あの界隈ではない。
もっともっと、ディープな、おおさか。
ありまんねんや、そういうトコが。

まあ、紳士淑女は、あまり、おられない。
今日という日が無事に楽しく済めば、それでいい、
とっても、楽天的で、崖っぷちを崖っぷちとも思わない、
力強い人々が多く住んでいる、おおさかの、某所。

その某所に近い場所に、わたしが行く、社交ダンスパーティ会場がある。
そこは、キタの今、橋下さんが力を入れて整備しているウオーターフロント、(大阪市役所が、楚々と聳え立つ界隈でもある)
そういうエリアに建つ、重要文化財指定の由緒ある建物で、催されるパーティに集う人々と、
ちょっと、雰囲気が違う。
同じ人物でも、会場によって、見栄えが違ってくるし、実際、人々のダンスのレベルは、雲泥の差がある。


ま、それはそれとして・・・
その、天童よしみ似は、某会場で、よく見かけていた。
小指をちょこんと立て、思いっきり澄まして、これ以上は、澄ませないだろうというぐらいの、つんつん顔で、
しゃなりしゃなりと、ダンスを踊っていた。
どこぞのお姫様か、はたまた、人々が、はは~っと、ひれ伏すような、お方か・・・
どう見えるかは別として、ご自分自身のことをそう思っておられるような、高貴なお澄ましぶり。

どうして彼女が、そんなにわたしの目を引くのか・・・自分でもよくわからない。
が・・・・、おそらく、わたしの悪いクセ、怖いもの見たさ、が、悪さをしているようだ。
話したことも、まるでなく、声すら聞いたことのない、彼女。
どんな人物か、性格や行動は?など一切知らず、見た目しか知らない。
でも、興味を引いた。
見たくなくても、わたしの、なにかよくわからない感知センサーが、振動して、振動して、止まない。

自分自身の人格を低める発想、卑しい感覚が露呈されるのは、自分でも避けたいので、
理由を明確に説明するのはやめる。

彼女の外見や雰囲気を説明するだけで、こんなに文字数を費やしてしまった。

その彼女が、わたしのダンス仲間の知人Yさんと、更衣室で話していた。
よしみ似が、ドスのきいた声で、いきなり言った。
「あんた、それ、なんぼやった?
あたしのと同じドレスやん、色違いやけど。今日は、同じドレスになるけど、色が違うから、まっ、ええか。
で、それ、なんぼで、買ったん?
あたしは、8000円定価のとこ、2000円やってん、安いやろ。買わんと損や思て買うたんや。
で、あんた、ぶっちゃけ、なんぼやったん?」

Yさんは、にこやかな笑顔で、答えを濁していた。

あとで、Yさんに、「あの人とえらく仲がいいんやね」と聞いたら、Yさんは、顔を合わすのは2回目だと言う。
いきなり、初対面の時には、
「あんた、何歳?」
と聞かれたそうだ。
「ね、あんた、何歳? 何歳なん?」
そう聞かれて、「あなたと同じぐらいと、ちがう?」と、返答をはぐらかしたと、Yさんは言う。

年、値段、賭けひきなし。おおさかのおばちゃんは、ストレートだ。ストレートすぎる。
わたしも、おおさかのおばちゃんなのだが、いやはや・・・あそこまで自分に素直になれない。


某所パーティがあまりにもレベルが低いので、
対策として、Yさんに教えてもらった、その会場の至近距離にある、プロの教えるレッスンに顔を出してみた。
よしみ似と、Yさんが、初めて顔を合わせたという、ダンスレッスン場だ。(レッスンは、開催されて二回目だった)
そこで、わたしは、よしみ似と、鉢合わせた。

うわっ・・・よしみ似が、いる・・・
わたしは、そう思ったが、よしみ似は、つんと澄まし、挨拶のひとつも、目をにこっとさせることも、
まったく何もせず、当然、話しかけてくることもなく、
わたしという人物を見なかったかのごとく、いないかごとくの無視。(最初、その場には3人しかいなかったのに)
お互い、キライ合っているムードが、おそらく漂っていただろう。

Yさんは、ふっくらしていて、まるく愛嬌ある笑顔で、誰にでも親近感を抱かれ好かれるタイプ。
よしみ似は、Yさんには、こころを許したのか、好意を抱いたか、そりゃ、知りませんが。
いつものご自分の素のまんま、通常モードで接しているのだろう。

前々から、よしみ似が気になるというのは、
好感を抱く場合と、そうでないという場合があるんだ、と、その瞬間に自覚した。

おそらく、Yさん、よしみ似、わたし、は、同じぐらいの歳だろう。
よしみ似に対する感想は、書かない。分析も、書かない。
おそらく、行間に、にじみ出ているはず。
書き出すと、なにを書くかわからないし、わたしには、その勇気がない。

世の中には、同性、同世代でも、いろんな方がおられるようだ。

(へんに、ひねて、ホンネをかくして上品ぶっているより、
地のまま、飾りっ気がなくていい、という見方もあるだろう・・・けれど・・・)

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ま、どーぞ、お茶の一杯でも。むさ苦しいところですが。

2012-11-06 | ブログ

多くのブロガーさんたちは、どうしてブログを書いているのだろう。
なかには、公開している記事と、仲良しさんだけに公開して、一般には非公開にしている記事なんかを、混ぜたブログもある。
お友だちとのメールやりとりの、半公開バージョンみたいなもの。

わたしは、身内で固めた、仲良しお友達ブログを読んでも興味をそそられない。
どーでもいいのだ。
はじめの頃は、
「わあ、ステキ」、「このブログ、写真、キレイ、うっとり」、「こんな暮らし、ライフスタイル、憧れるわ~」
なんていうかんじで、読んでいたし、自分のブログも、人の目を意識し、
いかに、よく見せるか、読んでいただくか、みたいな、よそゆきブログ的要素があった。
といっても、第一回目の記事からして、
「あんた、自分の幸せは、自分で探してよ、ね」みたいな、こ憎たらしい内容だったが。

ひねくれバージョンと、実生活バージョン、混ぜ混ぜ、だった。
ブログの内容や、テイストを変える度に、新しいブログに作り変え、それまでのブログを閉じたり、
わたしみたいに、閉じずに、つまらんブログ(旅&小説)をひとつふたつ増やしたり、ひとそれぞれ、パターンはあるようだ。

実生活バージョンも、ステキな室内に飾った花とか、美味しそうな手作りケーキとかは、
写真を撮るときだけ、映っては困る、生活のごちゃごちゃをその瞬間だけ、横っちょにどけて、
写真に入らないように排除して、撮ったりする。(みなさんは、どうか知りませんが)
なので、写真映りが、良いだけだったりも、する。

周囲のごちゃごちゃは、隠したとしても、花やケーキ、そのものは真実、リアルである。

実生活は、ほんの一面、なのだ。しかも、演出あり。
CM撮影や、雑誌、広告の撮影に近いのかも知れない。

内面にしても、然り。
リアルだが、リアルではない。
心象風景みたいなものか。

という、あれこれ、まとまりのないものを、単なる趣味として、ブログにアップしている。
たまに、コメントを頂戴したり、他のブロガーさんと交流したり、は、グリコのおまけ。
主としては、自分のために、ブログを書いている。
自分のこころの解放のため。
というか、楽しいし、ふうふういいながら、脂汗かきながら、書いている時は、熱くなり、
書いたあとで、じわーっと充実してくるから不思議。
それを人さまに読んでいただける、なんて、これまた、一石二鳥、または、三鳥。

自分をどう見るか、あるいは、人に自分をどう見せたいか、または、人にどう見えるか。
そのどれも、かも知れない。
わたしの場合、人にどう見せたいか、は、もう卒業の感があり、
そして、人にどう見えるか、は、あまり重要ではない。
自分が自分をどう見て、自分をどう見たいか、あくまでの主体は自分が中心であり、他人は、二の次だ。

他のブロガーさんは、書くことで発散している人や、
人と交流したい、意見を交わしたい、同調、賛同、共鳴してもらいたい、
慰めてもらいたい、評価を受けたい、
などなど、いろいろあるんじゃないだろうか。

というわけで、わたしは、もやもやしている時は、
「自分は、今日は、もやもやしている」、というネタに恵まれるわけで、
今日は、なにを書こうかな、という、ネタを探さなくてもよくて、いいかも。
ただし、そんなときは、そのネタを書かないかも知れないが。
ネタは、いつも、気分次第、風まかせ。

なんでもあり、の、自分に解放された公のスペース。
自分専用の、ちっちゃい広場だ。
わたしは、基本的には、あまり、わいわいするタイプではなく、ひとりが好きなのだか、
ひとりでくつろいでいると、たまに、他の人が、ひょこんと入ってきても、「ま、どーぞ、お茶でも」、と、
そういう展開も、悪くない。

 

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今朝のまじめ哲学

2012-11-05 | ブログ

ブログ村を行過ぎる方々、たむろする方々、この方々の動向は、ほんと、よくわからない。
同じく、日本ブログランキング、こっちのほうは、もう、さっぱり、まるっきり、全然わからず、分析もする気も起きない。
というか、たんにバナーを貼り付けているだけであって、
原因不明で、ランキングが上がったり下がったり、どんな結果になっても、眉のひとつも、ぴくりともしない。

で、ブログ村。
タイトルで、人が読んでくれるのか?
(あ、読んでくださった、方々、ありがとうございます)
しかし・・・わたしが、めいっぱい、力を入れた内容、タイトルの時は、閑古鳥。木枯らし吹く、冬の海水浴場。
まったく、予想もしていない、フツーの記事に、突然、賑わい。
この因果関係、まったく、わからない。

それと、わたしが気に入っている、とあるブログ。
今朝も、笑いのツボ、地雷が、ここかしこと埋められていて、どれだけ笑ったか。
パソコンのモニター見ながら、声をあげて笑うって、他人が見たら、けっこう、気持ち悪い。

まじめに哲学してるところが、面白い。
(という、↑この表現自体は、説明しないとわからない人には、きっと面白さは伝わらない)

卑下、謙遜→
その裏に隠れているのは、→上から目線、高飛車→
さらに、その土台には、→裏自信、自己肯定、と、つながる。
謙遜すればするほど、裏自信が、ぷんぷん臭うってわけだ。
なるほど・・・

個人主義について、わたしは、認識を誤っていたと感じる。
日本人の個人主義なんて、日本人に囲まれた、日本での個人主義なんて、歴史も浅いし、かわいいものなのだ。
でも、ワガママや自己チューと、はきちがえている、
そして、西洋かぶれ(いまどき?!時代錯誤?!)エエとこ取りの人もいるだろう。
(わたしも、その一人。ぷぷ)

今朝も、制限時間10分の厳しい状況のなか、
まじめに、哲学できた。

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普通の暮らし、しています

2012-11-04 | 無題

いま、なぜか、アタマにこんな映像が浮かんでいる。

息子が横綱になって、故郷のご両親が、いなかの家でマスコミにインタビューされている図。

「息子は、いまや、わしらだけの子供ではないっす。
わしらの手を離れて立派になってくれ、日本の皆さんの、横綱でっす。
皆さんのためにも、頑張ってくださいっす」
(方言、何弁だ?)

目頭を押さえて、父ちゃん母ちゃんが喜びと寂しさを交差させながら、答える。

息子とは、もはや住む世界が違う。
息子は、故郷の両親に大金を贈ってくれるかも知れない。
いなかの住まいも冷暖房完備となり、住みやすく整えられるかも知れない。
前にはなかった調度品も、調達されて置かれているかも知れない。

故郷の家を売り払って、都会に両親を呼び寄せるかも知れない。
故郷に錦を飾るかも知れない。

父ちゃん母ちゃんは、嬉しいけれど、息子が皆の期待に沿えるよう、頑張ってくれたら、それだけでいい。
息子の気遣いは有難いけれど、都会の暮らしや、立派な調度品より、いなかの日向ぼっこのできる縁側がいい。

・・・・・・・・・・

よたよた、よれよれの、かなり年をとって、えらくお年寄りになってしまった、元教師。
どう見ても、年相応、いや、もっともっと老けて見える、さえない、地元のおっちゃん、おばちゃん。

教え子が、有名になった。
同級生が、名をなした。

これまた、元教師や、元同級生たちに、取材。

へー、あんなに今バリバリしている人も、あんな吹けば飛ぶような先生に教えられていた頃があったの?
あんなにカッコイイ人なのに、同じ年の同級生は、あんなに、年がいってて、ぶっさいくなの?

 

これとは、また少し違っていたのは、ノーベル賞の山中教授。
元同級生も、それなりに、理知的で覇気があったし、およそ、同類項っぽいニオイがしていた。

これは、生活している地域、属性、職業の違いか。

僻地、過疎地で、衰退していく産業の真っ只中に身を置き、お年寄りたちが、肩を寄せ合って頑張っている。
若い者は、出て行ってしまう、限界集落。
そんな環境の中からは、到底、現代の偉人は輩出されないだろう。

一昔前の小佐野賢治や田中角栄っぽい、赤貧から立ち上がるハングリー精神、
時代が、ごちゃっと引っくり返る、混乱、どさくさに紛れて、ずる賢い者がのし上がる、
そういう環境は、いまや時代錯誤感がある。

相撲取りも、大学の相撲部出身だったり、親は、スタイリッシュな暮らしをしていたり、
弟子に入っても、改善されない悪しき古い体質に、ついていけない日本人が続出し、
日本の伝統である相撲も、強い外来種に、もはや独占、占領されている向きがある。

 

ああ・・・なにが、言いたいんだ、わたし?

時間があるからって、小佐野賢治や、その妻、堀田英子について、
また、華族や、華族を没落させた、戦後の財産税やらについて、延々、調べてしまった。
なぜか、よくわからないが、学のない、やり手でドケチの大成金、と、美人の元華族のお姫様の組み合わせ、
とても惹かれるものがある。
小佐野賢治は、結納金や結婚金は莫大なお金を支払ったが、
結婚後、奥さんには、おこづかいも渡さなかった、家庭では、ドケチだったという話もある。
が、銀座のママには1000万円ぽーんと、あげたとか。
奥さんは、家の床の間の飾り物にしていたとか。

いや、・・・明らかに話が、横道に逸れている・・・

品のある話と、品のない話の、両極端な話が好きなのだ。わたしは。
なので、アイスクリームの天ぷらのような、この小佐野賢治と堀田英子の結婚には、非常に興味をそそられる。
(まだ、言ってる・・・・)

学歴、地位、名誉、配偶者、友人、才能、・・・おカネで買えるモノと、おカネで買えないモノに、興味があり、
(自分とは、無関係であるにも関わらず)
お金と人生の相関図、価値観をあれこれ延々と探っている、ヒマ人なのである。(いまだ答えは、出ず)


話を元に戻そう。
(上記の内容は、まるっきり、寄り道でした)

一昔前の、出世した横綱を息子に持つ寒村地の横綱のご両親的心境、・・・
とあることで、それに近い気持ちに、ふとなった。

でも、わたしは、寒村に住んでいないし、平成の世の中を、けっこう、軽快に、快適に生きている。
アイデンティティも確立されている。ただし、小市民。
なので、お涙頂戴の田舎芝居ではまるでなく、おばさんだけど、そこそこスマートなのだ。(体型の話ではない)
立ち位置、ポジションはひとそれぞれあって、わたしは、わたしです。
楽しく、まいりましょう。

 

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欲張ると、ろくなことがない

2012-11-03 | わたし

いつも時間がないなか、必死で1分、2分の分刻みで時計とニラメッコしながら、
脂汗をかきつつ、ブログを更新しているというのに、

今日など、国民的休日で、秋晴れ、爽やかな天気、
まったくなんの予定もない、引きこもりの一日だったのに、一日まるごとが自由時間だったのに、
ブログに手をつけたのは、夕方も過ぎ、一人で夕食をぱぱぱと食べた後、6時半を回ってから。

趣味というものは、いかに、いい加減な、気分まかせの自分本位なものかということだ。


さて、さて、
話は変わるが・・・

人間は、欲の塊だ。
腹八分目というところで、ストップできない。
バブル時の、不動産熱や資産運用熱、だれもが、熱くなっていた。
儲けを原資ごと再投資に、どんどん回した。
一握りの賢者は、儲けをさらなる投資に回さず、そして、ぱーっと使いもせず、じっと我慢して、動かさなかった。
冷静になれば、バブルがはじけることは予想できただろうけれど、夢にうなされ、熱病に冒されて、
大多数の人々は、あふれ湧き出る欲を止めることができなかった。
熱病にかかると、バブルがはじけるなどとは、思いもよらなかった。

お金だけでなく、満足感に対しても、人間は欲深い。
幸せをとことん追求する。
このへんで、いいんじゃないの、というところでも、いや、もっと、もっと、と、更なる幸福を目指す。
満足は、腹八分から、ぴったり十分にはいかない。
九分だったり、九.九分だったりすると、あと少し頑張る。これを「欲張る」、というのだろう。
で、十分を通り越して、めいっぱい幸せ満足感に満たされるかというと、
やりすぎたあまり、その代わりに、後味の悪い悪寒のようなものに襲われる。
幸せを手に入れるための負担に苦しむようになる。


例えば、人に対する気持ちも、そう。

どんどん接近して、あと少し、という至近距離まで近づく。
そのあたりは、とても楽しい。
追いかけ、追いかけ、追いつき、そして、ついに、恋人になったとする。
すると、そこからが、またイバラの道。
満足感が得られるかと思いきや、嫉妬心に駆られたり、捨てられやしないかと不安に駆られたり、
デートが待ち遠しすぎて、デート時間が短すぎて、満足の反対。
「時間」が、砂に水をかけるような、虚しいものになったり。
これじゃあ、追いかけているときのほうが、ずっと楽しかったというものだ。
腹八分目の幸せってやつだ。


わたしの場合、腹八分目で、そんなにとことん好きでなくても、それで充分。
好きになるより、好かれるほうが、よっぽど安定している。
相性みたいなものがあって、好かれた場合、よほどヒドイことでもしない限り、好かれた人は、ずっと好いてくれる。
いわゆる「好きなタイプ」というものは、そうそう変化しない。
好かれるほうが、断然、楽チンだ。
頑張らなくても、優位が保てる。
なので、過去、わたしは、いつも、好かれるシチュエーションが定番になり、
自分から好きになると、300パーセントいや、1000パーセント、失敗している。
度重なる失敗は、まったく学習効果をもたらさない。

なぜ、失敗するか、分析してみると、腹八分目にしていないからだ。
熱くなりすぎて、自爆する。
自爆しなければ、熱は、冷えない。
冷却装置が自動的に作動するとよいのだが、そんなものは、ない、欠陥品だ。
自爆してはじめて、自分が熱くなっていたことに気づく。
時、遅し。
これは、人に対する気持ちだけではなく、モノゴトに対する熱もそうだろう。
バブル熱も、まさにこれ。

よほど気をつけていても、ある日、突然、株が暴落したりする。
(わたしの場合、あまり気をつけていないのが難点)


腹八分目で満足せず、幸せを追い求めても、ろくなことがない。
これが、わたしの、哀しく情けない、セオリーだ。
少し不満が残っている程度のほうが、よたよたしながらも、長持ちする。

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うつ病対策

2012-11-02 | わたし

ある方の直近の記事。
めちゃめちゃ、おもしろいと感じた。
この方は、書く内容も書き方も、とてもツボだ。
わたしは、あんなにうまく書けないが、ほとんど同じようなことを感じ、思っている。


読者にそう感じさせるテクニックや、掘り下げ方、テーマの選び方、目のつけどころは、さすが。
無駄に、落ちこぼれ経験は、されていない。
引きこもり歴は、こういうところで生きてくる。


で、挫折の積み重ねであるわたしも、昔、性格分析が大好きで、よく自分を分析していた。
(いまも、そうだけど)
わたしは、どちらかというと、分裂症気味なようだ。
ちょいっとばかり、芸術っぽい系なんだそうな。
そりゃあ、体育系でもなければ、理数系でも、芸能系でも、お料理上手の良妻賢母系でもない。
なので、一般人には、なんの毒にも薬にもならない、芸術系。
役に立たない調味料だ。


三流芸術大学の入学案内を読むと、彫刻科に入学した場合、就職は、普通一般の芸術に関係ないところで、
将来、退職後に、趣味として生かしてください、と、就職担当のおっちゃんの言葉が載せられていた。
就職案内も、ああいった、開き直りが大事かも。


 


今日の時間のなさったら、すごい。
10分では、ここで、強制終了するしかない。


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ヤなヤツ

2012-11-01 | わたし

母ちゃん、どうもありがとう。

わたしを強く育ててくれて。
夢なんか持たない小市民に育ててくれて。
弱音なんか吐かない子に、育ててくれて。(愚痴ってるけど)

わたしのこころの中なんて、別に興味持ってくれなくても、まったく平気だったよ、わたし。
母ちゃんに自分の気持ちを理解して欲しいなんて、わたしは、感じなかった。
理解して欲しいと思ったこともあるけれど、ほど遠かったので、あきらめた。
理解してもらうように努力するのが、めんどくさかった。すぐに、くじけた。かんたんにあきらめる。
わたしのサボリはこうやって原型が作られた。
母ちゃん、挫折や、くじけ方、力の抜き方を教えてくれてありがとう。

なんでだろう?
心の中、知って欲しくないって、むしろ、思ってた。
そのほうが、気楽だ。
真っ黒の腹の中、知られたら大変だ。

かわいげのない子だね、まったく。わたし。
いまだに、母に対して、なんにも思わない。
愛情の海で溺れるほど、あふれるほどの愛情をかけてもらったわけでもないし、
虐待を受けたわけでもない。
期待しすぎはよくないよ、と、教えられたなあ・・・
身の程を考えろってことだ。身の丈を知れ。


無条件で子供は、親に受け入れられ、愛情をかけられる、、、、これは、まあ、合っているかも知れない。
が、ぺっったべたの、砂糖たっぷりの、甘い甘い愛情を期待してはいけません。
子供は子供、親は親、大人と子供は違う。
純粋さのない大人を、子供目線で見たところで、どうしようもない。
純粋なだけで生きていける世の中なら、苦労しない。
純粋に生きようとするから、無理がある。
人間は、純粋だけでは生きていけない。

大人は、子供にそう教えてあげなくても、成長するにつれて、わかるものだ。
大人を責めてはいけない。
大人になれない自分こそ、どこに原因があるのか、どうすれば成長できるのか、もっと目を向けるべきだ。
汚い大人になれ、とは、言っていない。
だが、奇麗事だけでは生きていけないってこと、だ。

ついでに、言っておこう。

先生、エコヒーキしてくれて、ありがとう。
(わたしは、エコヒーキされない側、気に入ってもらえない側だったけど)
先生、兄弟姉妹といつも比べてくれてありがとう。
(わたしは、いつも、「君の兄さん、姉さんは、君よりもっと優秀だったよ」と言われ続けていた)
おかげで、すっかり、ひねくれて、強い子になりました。
少々、辛い目にあっても、辛いと感じたことは、なかったなあ・・・
根っから鈍感なところを、益々、鈍感さに磨きをかけて鍛えてくれて、ありがとう。

ヤなヤツですね、わたし。

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もっと純粋なこと、書きたいなあ・・・
「わあ、美しい、清らかな、こころ。読んでいて、こころが洗われます!!」
と、感動して思ってもらえるような。

・・・無理・・・
哀しいかな、根っから腐っていて、書けない・・・
腐ったホンネしか、書けない・・・