蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

今日のブログは、スカ

2012-11-20 | ブログ

ブログには、ほんとうにいろいろなブログがある。
とても切ないものや、繊細なもの、元気なもの、明るいもの、ぴりっとしたもの、
などなど・・・。

文章が上手なブログは、すっと、こころに染みる。
静かに文章が入り込んでくる。
これに加えて、テーマの選び方、感じ方に感情移入できるものだと、さらに感動する。
わたしは、時々、国語の先生になったような錯覚を覚えることがある。
生徒が提出した文章を読んで、評価する、超・上から目線作業。
でも、わたしのブログだって、その作業をされていることだろう。
お互い様だ。

感じ方や考え方が違って、感情移入はできなくても、表現力が優れている、と感じるものがある。
それは、それで、充分、評価に値する。

で、ここからは本論。
(などと、今日は、大げさに言ってみた。が、たいがい、そういうときは、コケている)

文章が、荒削りでも、ちょっとおかしくて変でも、内容に熱が感じられるもの、
国語の先生の作業の、優等生の作文選びの選から、もれていても、
わたしは、力のあるものが好きだ。個性が感じられる、独特のスタイル。
その力は、社会的にどうとか、そういうことではなく。

わたしは、めそめそした暗い内容を綴っていた時期もあった。
わたしのブログを知るリアル人に、「あなたのブログ、暗くて読む気がしない」と言われた。
へー、そうなのか。人に不快感を与えていたとは、これは意外、と思った。
なら、読むな、ってことだが、面白いらしくて、読んでしまうそうだ。
だが、リアル人で、わたしのブログをご存知でも、読まない人もいる。
なんか、ウソくそっぽいんだろう。
それはそれで、鋭い。

最近こそ、腹黒ブログだが、以前には、見てくれを気にした内容もあったので、
それをご覧になると、反発心を感じる方もおられるようだ。
演出効果てきめんのインテリア写真(ほとんどナイけれど)をはじめ、出てくる単語から連想するイメージが、苦手(キライ)、という人もいた。
はっきりとは、おっしゃらないが、行間から滲み出ていた。(わたしの深読みも加えて)
それはそれで、べつに、どおってことなくて、普通のことだ。

ソウルが好きな時期もあれば、ヘビメタが好きな時期もあり、
アップテンポや、スローバラード、いろいろ好みは、瞬間、瞬間で変わるだろう。
それで、あたりまえ。

ちなみに・・・
あと、2分以内に、結論、まとめをしなければいけなくなった。
困った・・・
考えがまとまらない。

あ、今、突然、書きたいことが浮かんだ。
昨日のわたしのファッション、服装について。
こんなの、面白くないですよね。
読みたい人は、手をあげて。
しーーん。
(この書き方、あるブロガーさんの影響を受けている。
わたしは、すぐ影響を受ける)


というか、本当に時間が来てしまったので、情けなくも、ここで強制終了いたします。

 

 

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仙人になりたい

2012-11-19 | ブログ

わたしは、ブログにホンネは書いている。
ウソは、ほとんどなし。
ただし、脚色、誇張はある。

そして、書く分野に制限がある。
リアルな人々が、このブログをご存知なので。
しかも、かなりわたしに近い、身内の人々も。
なので、そういうことを意識すると、学校の教科書のような内容になる。
文部科学省の検閲つき。

知られてもいいや、と、思うことだけを書く。
知られても困るような、真っ黒い腹の中も、べつに、知られてもいい。
ただし、何度も言うようだが、分野は、激しく制限を受ける。

そこのところは、欲求不満を感じるが、
リアル生活では充実しているので、そう、うっぷんはない。
なので、読む人は、面白くない。
正しい行いをしている優等生の読み物など、つまらんこと、このうえない。

誰にも知られず制限なく書きたい・・・が。
ああ、またもや、もやもやしてきた。
ほんの最近、一時期、ブログを閉鎖し、新しいブログを始めようか、と迷っていたが、
結局、続けることにした。

制限を受けるのは、けっこう、窮屈だが、じゃあ、知られて困ることって、なに?
となるわけだが、それを説明する気はない。
なので、わたしのブログは、面白くない。
以上である。

思いっきり、書けたら、楽しいか?
いえ、いいんです。これで。
不自由な中に、楽しみを見出す。
人間は、100%自由だと、自由のありがたみを感じられないはず。
なんでも、買えて、なんでも、したいことができて、なんでも、自分の意思どおりに、まわりも、自分も動けば、
かえって、虚しくなるはず。
アタマの上に乗った、漬物石こそが、おそらく、人生を、しぶく、いぶし銀のように輝かせるのだろう。

若い人は、いいなあ。
怖いものがなくて。
おばさんは、どこで拾ってきたのか知らないが、
でっかい漬物石が、アタマの上に乗っかっていて、一体化しちゃっているようだ。
鉢かづき姫の、死ぬまでアタマから鉢が取れないバージョンか。
生殖動物として、老化による見かけや、機能がどうこうと、気になるのは仕方ないとしても、
マインド面が、へんに、川原の石のように、角(かど)が無理やり削り取られている。

世捨て人になる勇気もない、一小市民。
なので、世捨て人には憧れるのだ。
仙人になりたい。
あ、これから、ブログタイトルを「仙人になりたい」にしようかな。

 

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アラフォー女性の結婚・考察

2012-11-18 | 人生

毒がたっぷりで、吸い寄せられる○○○道。
どうして気になるのか、自分で分析してみた。

「相手を探しているアラフォー女性、
自分の女性としての価値は、確実に落ちているという現実を自覚せよ」

どんなに輝かしい過去があろうが、過去は、過去であり、過去、ピークの時に、相手をゲットできなかったんだから、
それより年がいっている、今、同じ条件を掲げて、ゲットできるわけがない、と。

条件を下げろ、とのこと。
定価で売っていても、売れないから、値段を下げる。
値段を下げても、まだ売れなければ、ワゴンセールに。

高学歴、高収入であることは、女性としての価値には、なんら関係がない。
むしろ、マイナスに作用する。
ただし、これは、お相手には、草食系は除き、資本主義社会での勝ち組をターゲットにした場合。

この教祖様は、ターゲットを絞り込んでいるのが、特徴だ。
必須アイテムは、おカネ。おカネをがっぽり稼ぐ殿方、限定。
だから、ノウハウを研究してみると、水商売の女性が、上客を引き止める作戦に酷似している。

女性に稼ぎがあれば、相手には、さほど経済的に、もたれかかる必要はないと思うが、
なぜか、そういうパターンは、除外されているのが、特徴だ。
おそらく、まだ現状では、そんなに稼ぐ女性が多くないからだろう。

それまで、自分と同レベルのハイクラスの人々としか付き合ったことがないアラフォー女性が、いまさら、条件を下げられるか、と。
まわりは、ハイクラスばかりなのに。
しかし、ハイクラスの男性たちは、どんどん相手を見つけ、残っているハイクラスの男性たちの目は、若い女性へと移る。
自分は年齢がいってしまった分、条件を落とせ、とアドバイスされている。


ここで、わたしの、アタマを整理するために、脳内に大ざっぱな図を描く。
途中で、ピラミッド型の図を追加する。

わかりやすいように、結婚対象者のレベルを上、中、下に分ける。
主に、学歴、職歴、収入など、社会的に見た位置付を示す。
容姿、性格などは、入れていない。
例→「下」でも、容姿が「上」という場合もあるが、社会的な面だけを特化。

男性は、結婚相手として、自分と「同等」、または「下方」を望む傾向にある。
上の男性→上の女性 上の男性→中の女性  上の男性→下の女性
中の男性→中の女性 中の男性→下の女性  
下の男性→下の女性

女性は、自分と「同等」、または「上方」を望む傾向にある。
上の女性→上の男性 
中の女性→上の男性 中の女性→中の男性 
下の女性→上の男性 下の女性→中の男性 下の女性→下の男性 

すると、「上」の男性と、「下」の女性が、どの層にも適応し選択肢が多いが、
これと思える人はすでにカップリングが成立し、残っているのは、ワケあり人材。

「上」の女性は、「上」の男性しか選択肢がないうえに絶対数が少なく、「上」の男性は激戦区。
いい人材は、売れている。
「下」の男性も、同じく、「下」の女性しか選択肢がないうえに、「下」の女性は激戦区。
同じく、いい人材は売れている。
(ただし、女性も男性もピラミッド型に下に行くほど絶対数は多い)
よって、早く手を打たなかった、「上」の女性と、「下」の男性が、余る。

「上」の男性は、学生時代から付き合っている女性と、早めに結婚したりしているケースが見られる。
いい人材は、早く売れる。青田刈りだ。
「上」の女性は、ぼやぼやしていると、自分と見合う「上」の男性がどんどんいなくなり、「上」ではあるが、ワケあり以外は残っておらず、
自分より上は、もともと日本には存在せず、自分と同等でも少数で、上向きの希望を取り下げ、条件を落とさなければ相手がいない状態に陥る。
「下」の男性は、いい「下」の女性がいなくなった、残りの、選にもれた人材から選ぶのは、まあ、しかたないとしても、
もう、それ以上、自分の条件は落とせないので深刻だ。
なので、行き場を失い、ふき溜まる。

「下」でも、特別、性格がいいとか、ルックスがいい、特殊能力がある、とかで、飛び級もありえる。
「上」でも、変人だったり、コミュニケーション能力がないと、ぐっとランク落ちするだろう。
年齢や生活活況なども、ランクに影響する重要な要素になる。

「上」の女性には、それより上はなく、「下」の男性には、それより下はない。


以上は、わたしが考えた、結婚市場における、社会構造の理屈合わせ、数合わせなのだが、
ということで、アラフォー女性は、条件を落とせということらしい。
落とさない限り、カップリングは無理と。

こんなにキチンとしたピラミッド型の構図はあくまでも原型であり、
これに、「容姿」、「性格」が、入り、「好み」、「相性」、「タイミング」、さらに、「愛」という魔法が入り、入り乱れてしまうのだけれど。

なにも考えない、という選択肢もある。

自然にまかせて、成り行きにまかせて年をとる、という、結婚にしばられない道もある。
自由を声高に叫び、子育てから解放され、「自分だけ」の時間を使いきる。
あるいは、子育ての環境が完璧に整っていないことを理由に、子供を産まない選択をする。
だが、子供の数がこれ以上どんどん減少すると、国力の衰えを憂う。
国の未来を考えると、個人の一時的な思いで、子供を産み育てないのは、遠い将来の希望につながらない。
個人的には、賛同しかねる。

子供を産み育て、育てる側の親が成長することは、無限大にあると思う。
自分のことばかりではなく、楽しいことばかりではない、
苦しいことや避けて通れないこと、ガマンしなければいけないこともいっぱいあるが、
自分以外のこと、自分を超えたことに、時間や労力、愛情を注ぐと、想像以上に大切な何かが生まれるのでは。

アタマのなかで、理屈をこね回しているうちは、なにも進まない。
頭でっかちで、理想を振りかざしても、なにも始まらない。
男性も女性も、完全な人などいない。
時が熟せば、堰を切るように、男女が出会い、家庭を持ち、子供を産み育てる、
自然な流れでそうなってくれたら、いいなあ・・・と、願うのである。

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今日は、日曜日だが、迫りくるスケジュールに押され、時間がない。
前衛芸術について、書きたかったが、また、いつかにしよう。


突然、落っこちる、ネットに潜む落とし穴

2012-11-17 | ブログ

昨日の続きで、時間のゆとりがあるからと、○○○道のブログ(サイト?)に行ってしまった。
アクのあるもの、悪のあるもの、おぞましきものには、ついつい、ふらふらと寄って行ってしまうようだ。

役に立つもの、有意義なもの、清く正しいもの、正義感あふれる、正当な、正統なもの、その他・・・
そういうものに、あんまり引き寄せられないのは、いかにわたしが、邪悪、邪心のカタマリかということだ。
(平日は、引き寄せられない。念のため、言っておく。→なんのための念のため、だ?)
自覚していれば、いいってものでもないが。
わたしは、まだ、日本人の平均寿命に届くまでには、しばし時間があるので、それまでの間に、ゆっくり軌道修正しよう。

で、そのサイト。
殿方に溺愛されるノウハウ、うんちくが、びっしり。
運営しているのは、教祖様。
構成要員は、絶対的教祖と、熱狂的信者と、初心者・仮信者と、その他・野次馬で成り立っている。
もうひとつ、その教祖様パターンに近いブログがあり、わたしは、ごくごく稀に訪れ、
りんご飴の製造過程のように、溶けた飴にりんごをどっぷり漬け込むかのごとく、毒をどっぷり浴びてくる。
あとで、脳内シャワーやら、お風呂やらで、身を清める。
純真と邪悪の、てっぺんと、底、その上下の、その格差が、なんともいえない。
(べつに、自分が純真だとは言ってない。もし、純真なら、そんな邪悪ブログを訪れないだろう)

人さまのブログ、しかも、信者さまがたくさんおられるブログを、邪悪ブログだなんて言っては、いけない。
たんに、表現のひとつである。
が、・・・だ。

内容はともあれ、いずれも、教祖様が、自分の自説を唱え、信者が崇拝するというパターン。
押し付けがましい、半強制的、上から目線が、まあ、すごい。
絶対に、自分の考えは正しい、として、否定、反論するなら、ここに来るな、と、同調しない訪問者を蹴っ飛ばす。

ブログの本質も、そうかも知れない。
イヤなら来るな。
いやあ、まったく潔い。

男女同権、レディファースト、フランス女性が読んだら、ひっくり返る?
いや、読まないだろう。最初の一行読んで、即、退散するだろう。
わたしは、なんで、こうも、しつこくまた読みに行ったのか?
だってえ・・・溺愛してほしいんだもん・・・(うそ。→キモチわるいジョークは、人に不快感を与える)

ブロガーさんは、ある程度、いい線までいった、水商売の女性じゃないだろうか・・・などと想像する。
でも、目標には達成せず、成功はしてないのだろう。
ほんとうに、自分自身に満足している人は、あんな書き方はしないと思う。
腹立たしい思いで、自分があと一歩でうまく行ったかもしれない、うっぷんを発散させているのだろうか。
きしみのある性格。人格が今一歩、はてな?である。

いくら溺愛されたって、自分自身が、相手をたいして好きでなかったら、ぜんぜん、しょーもない。
その不満を解消したくて、溺愛されていない人たちに上から目線で、いかに、溺愛されることが素晴らしいか、
優越感に浸りたいのだろうけれど。

優越感と劣等感は、行ったり来たり、似たような感情。
どちらも、推薦できる境地ではない。

わたしが、感じたのは、この教祖様には、向上心がないということ。
向上心の方向性が、わたしの考える向上心とはまるっきりズレを感じる。
そして、高学歴女性に対する、ものすごい嫌悪感。
なぜなら、高学歴を真っ向から否定するニオイが感じられるから。
(肯定&否定、両方論じて、次の論議に移るのなら、まだしも)
そして、全面、自己肯定のみ。
そうでなきゃあ、教祖様になんぞ、なれないんだろうけれど。
教祖様は、自分の正体、実体は明かさない。
なので、野次馬からは、インチキという疑いの目を向けられている。
信者にも、捏造疑惑が持たれるぐらい、怪しげな気がしてくる。
(コメントの不自然さで、それを指摘している人もいる)


まあ、感想は・・・
肩が凝って、そして、時間を損したような気になった。
同じ、怖いもの見たさでも、効力がある場合と、そうでない場合があるようだ。
目に見えない地雷がいっぱい埋まっているので、ネットの海を泳ぐときは、リスクも覚悟の上、気をつけなければ。

では、リスクを顧みず、キライなブログに、怖いものみたさに訪問するのは、なぜか?
こんな考え、イヤだとか、自分と全然、違う、とか、
自分の意見や感覚が、より明確に自覚できるから。
ああ、ほんと、キライだった~、合わない~・・・と、オエオエしながら逃げ出してくる感覚が、けっこうキライではなかったりする。
(変わり者だ、わたし)
でも、いつも常時ではない。

人の興味や注意を引くには、手法やノウハウが必要だが、
人を納得させ、説得力を持つものは、教祖様に、人徳がある、人柄が良い、ということ、
人を導くには、人格者であることが望ましい。

それよりもなによりも、興味ある内容、話題であること、が重要だ。
そうでなければ、ひね曲がりきった人の独断と偏見にみちみちあふれた断言なんぞ、誰が読みたいか。

でも、毒には、独特の魔力があって、わたしのように、ふらふらと吸い寄せられる人間もいる。
その魔力に、とりつかれるのは一時的で終わるから、
あまり、毒は体中に回らず、薬として効き目、一時的に覚醒作用があるのかも知れない。

好奇心旺盛もいいが、なんでもパクつくと、お腹をこわして、ろくな目に遭わない。
自己管理、自己規制、セキュリティを強化し、自己防衛すべきだ。

善悪の区別がまだ定まっていない年少者や、外とのつながりが薄い人には、ネット依存症に陥るケースもある。
笑い飛ばすような分野の内容ならまだしも、もっと深刻な内容だと、とても恐ろしいことになる、

いつもの、ふらふら遊び癖が、本日は、ちょっと、薬が効きすぎた感がある。
今日は休みだからと、ばかも休み休みにしないと、ばかだ。

 

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愛と打算のシラス効果

2012-11-16 | 日々のこと

今朝は、シラス丼がもたらした、愛と打算のミニ劇場。
シラス丼のほうが、ちょっと辛めでも、ずっと清らかな愛が育めるかも。
意味不明だと思いますが、まあ、そういうことです。

昨日は、早々とお歳暮第一弾が届いた。
シラスと、梅干と、シラス専用の醤油とで、シラス丼セット。
で、さっそく、今朝は、シラス丼にしたが、わたしには、辛いだけで、どうも、イマイチだった。
梅干も醤油も、多すぎたかも。

ということで、朝、5時に、シラス丼を食べたせいで、目がクキっと覚め、それから一日が始動した。
シラス丼が辛かったので、白いご飯も食べ、昨日の巻き寿司も食べ、胃の中は、炭水化物だらけ。
炭水化物は、即、エネルギーに転化できるという、燃えやすい特質がある。

お腹も燃え、カラダも温まり、朝からエンジン快調になってしまった。
なので、ネット遊びをする時間が確保できた。
シラス効果だ。

そこで、ブログ散歩。
いつも、楽しく、時には声をあげて笑い、ブログを読んでいるが、コメントは滅多に入れない。
読み逃げだ。

「新幹線車内。
座席にズラズラ、金太郎飴スーツ姿の諸氏が、同じ顔で座っている。
それを見て通路を歩き進み、
最後列で、くるんと振り返ると、皆、揃いも揃って、グラビアアイドルの水着週刊誌を読んでいる図」

この図を想像するのは、けっこう、いけていたりする。
同じ顔のパンダがコマになっているオセロゲームを連想した。
お父さん方、あれこれ、お疲れなんですよね。
仕事や恋人や奥さん、なかなか思うようにならないし、
グラビアで息抜き、あたま、カラにしないと、やってられないんだろう。

上記のブログもそうだが、
わたしのブログも、あまりコメントが多いほうだとは言えない。
それはそれで、ブログのスタンスだ。
コメントを毎回、いっぱい欲しがるブロガーさんもおられるだろうが、わたしは、そうでもない。
かつては、あまりにもコメントがなかったので、どんな人に読んでいただいているのか、さっぱり実体がつかめす、
やきもきしたり、なんの手ごたえもない虚しさみたいなものも感じていた。
でも、今は、ある程度の読んでくださる方々の顔みたいなものがイメージできて、安定してる。

いちいち、「そうよね」「わかる、わかる」「あ、わたしも」と、ご同意いただかなくても、まったく平気。
(同意とは限らないけれど)
「ちがうやろ」「ありえん」「また、こんなアホなこと言ってる」「性格、悪いなあ」「臭う」
という声なき声もあるだろうけれど。

まあ、それはそれとして・・・

その、シラス丼を5時に食べたお陰で、ブログ散歩の時間が取れた。
で、ひょんなことから、(怖いもの見たさで、時々訪れる)ある人のブログのコメントから、
また違う、新しいブログに飛んだ。

「○○○道」という、セオリーみたいな、教訓みたいなものをお教えくださる、教祖様のようなブログだった。
それは、殿方に溺愛されるためのノウハウが、ぎゅっと詰まっていた。
単なる恋愛ではなく、「溺愛」というところがポイント。

「高学歴、高収入の女性こそ、そのプライドをへし折って、自分の女としての価値を知れ」みたいなことも載っていた。
「たかだか、高学歴といっても知れている。
たとえ、東大の理3や文1を出ていようが、
それに見合う職についていなくて、それに見合う収入も資産もなければ、たいしたことはない。
男性にサイフを開かせろ。
自分がお金を出すのは、男性が、あなたのことを愛していない証拠です」
みたいなことが断定的に書かれていた。

「男性にお金を全額払わせなさい。それが、彼のあなたへの愛のバロメーターです」
みたいな基本理念が貫かれていた。

生徒(信者)が、水族館に彼と行き、喉が渇いたので、自販機でお茶を買うのも、自分で買ってはだめですか?
自分の友人に小さなお土産を買うのも、彼に出してもらわないといけませんか?

などという質問も寄せられていた。
こんな質問、するほうもするほうだが、
「たとえ、食事がすんだ直後で、お腹一杯であっても、『お腹、空かない?』と気遣いしてくれるのが、
彼からの愛情(溺愛)なんだそうな。
服装は、黒は絶対にだめで、流行を追うものではなく、保守的、NHKニュースキャスターみたいなのが、いいそうな。
「負け犬の遠吠え」に書かれていた内容とダブっている。
(負け犬の作者は、この教祖とは、逆の考え)

真に自立した女性とは・・・
男性に徹底的に媚を売れ、ってことらしい。(あくまでも、わたし風、解釈)

まだ、全部、読んでいないが、
(時間もないし、疲れたし、全編、言い切り、押し付けモードに、もう、読む気力も失せた)
親は億万長者で、ハーバード大だか、マサチューセッツ大学だか、なんとか大学だとかを主席で卒業し、実業家で、
ミスコンにも優勝するぐらいの、超美人には、どんなアドバイスをするのだろう。
殿方に溺愛されることを望むな、自分を溺愛せよ、とでも?
世界一のヒモをゲットせよ、とでも?

いちいち、ちまちま、教祖様に小さな質問を寄せてくる信者さま、
あれは、本気なのか? おちょくり、なのか?

男性にお金を全部出してもらえるのは、ありがたいことだが、タダほど高いものはない。
必ずや、裏があり、ろくなことはない。
それを愛だの溺愛だのと言い切ってしまうのは、いかがなるものか。
結婚さえしてしまえば、それでオワリではないのだから。そこから、始まりがあるのに。

細部にこだわりすぎで、
教祖様が、自分の出した結論を人に押し付けようとする姿勢は、わたしには抵抗がある。
「打算」を「愛」という言葉に置き換えただけのような気がするのは、わたしだけか?

シラス丼を食べている下娘に、ちょこっと、その話題をしてみると、彼女は一言、
「古い」。

そりゃあそうだろうな。
我々世代の人が、話題にしているような人だから、そりゃあ、古いわな。
しかし、信者になると、殿方には溺愛されるらしい。
仮入信してみようか・・・。(→趣味の悪いジョークです)

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欲が張ると、自己嫌悪、逆切れもすごい。

2012-11-15 | 日々のこと

カタログギフトの有効期限が過ぎてしまった。
ああ、ああ、残念・・・といういうか、自分のアホさかげんに嫌気がさしている。
今年、これで、二度目だ。

ずっと以前に、ほったらかしていたら、カタログ会社が指定する商品が送られてきた。
家にすでに一台あった、コーヒーメーカーだった。
これは、かなり、がっかりした。
同じ性能のものだったので、完全に、不要品となった。

結婚祝いの内祝いや、引き出物、あるいは、香典のお返し(満中陰志)にカタログギフトが送られる。
金額がだいたい、似たり寄ったりなので、欲しいものは、ほとんど、もらってしまっていて、
カタログに掲載されている商品には、すでに、あまり魅力のある、欲しいものはない。

なので、ほったらかし、ということになる。
そして、気が付くと、有効期限を過ぎている。

百貨店が出しているカタログギフトは、有効期限が過ぎていても、けっこう、大目に見てくれる。
大目に見てくれないのは、シャディ。
ここのカタログが送られると、とっとと注文しておかないと、
ほんの少し過ぎただけでも、容赦ない「期限切れにつき、交換できません」と、
びしゃりと、冷徹、無慈悲に断られ、虚しく、選んだ商品控えだけが、ひらひらと、宙に舞う。

つい最近、その辛酸を舐めたばかりなのに、また、やってしまった。
さあ、今日も、ブログ更新を・・・と、その前に、他のブログをちょろちょろ見に、遊びに行っていた帰りに、
ふと、なにげなく、パソコンの真横にある、木製ワゴンの下段に目がいった。

あれ?
もしや・・・
ひょっとして・・・

A4が入るサイズの分厚い封筒が2つ積まれている、その下に・・・あった・・・カタログが・・・。
恐る恐る、見てみると、有効期限が11月8日となっている。
シャディでなければ、なんの問題もないが、ああ、悪い予感・・・シャディだ。
1週間遅れたら、もう、ぜえっったい、ダメだと思うが、ダメとわかっていながら、
震える手で、カタログから、商品を選び、添付注文ハガキに記入した。

なんで、もう少し、早く、気が付かないんだ。
9月と10月に切れるチョイスギフトがあったので、それに気をとられ、侮っていた。
見逃し三振。

うつろな気持ちで、「デミグラスハンバーグとスモークサーモン」と記入した。
(ダメとわかっているくせに、絞込み最終選考段階で、カレーか、グラタン&ドリアセットか、迷っていた)
送り先住所を書く手も、弱弱しく、なかば、ヤケ気味に、住所、名前、電話番号を書く。

シャディの社長さんが、このブログをご覧になって、
「スローさん、あなたが、アホッぽすぎて、特赦で特例で、認めてあげます」なんて、言ってくれないかなあ・・・と、
あまく、切なく、期待を寄せ・・・させてくれるほど、シャディは甘くない。

「シャディは、一冊の百貨店」なんて、CMの曲が耳に残る。
いや、あの百貨店は、客が、買い物をして店内に残っていても、がしゃっと、閉店時間がきたらシャッターを下ろす、
そんなイメージだ。

高島屋など、大手百貨店のグルメチョイスは、期限が迫ってくると、催促のハガキが送られてくる。
シャディは、こちらが注文ハガキを送った後に、「期限切れで交換できません」と、最終お断り文が送られてくる。
客が注文ハガキを送らなかったら、いつまでも、そのまま。
「送り主からは、代金は頂戴していますが、期限切れのカタログギフトは、商品はお送りできません」
というシャディ側の鉄の理屈。

昨年4月の「資金決済法」の施行で有効期間が切れたカタログギフト券の交換ができなくなったとかのことだが、
送り主から支払われたお金は、どこへ・・・?
実際に送ってくる商品もさることながら、カタログ自体がギフトとしての商品価値があるとか、だそうで。
どれにしようかしら・・・迷うわ~、これもいい、あれもいい、なんて・・・カタログで夢を売るのか。
しかし、シャッターを閉める前に何も言わず、突然閉めるなんて、いかがなるものかと。
代金はちゃっかり、しっかり前払いで受け取っておいて、法律をちらつかせて消費者を煙に巻く。
最後まで頂いたお金の責任を取る、なんてことは、絶対にしないで、
わたしのような、消費者のまぬけアタマに付けこむ。
まったく、その考えには、腹立たしい思いで、いっぱい。

システム代も、カタログ価格の中に入っているんだから、少し遅れたぐらいの人の分ぐらい、大目に見てもバチは当たらんだろうに。
そうやって、せこく、小さくする商い方法が、
益々、悪評を招き、人気を下げ、評価を落とし、ますます利益を減少させ、余裕がなくなるスパイラル。


自分が悪いのは、重々わかっているが、逆切れで、シャディのカタログが、すっかりキライになっている。
ついでに、送ってくれた人までも、なんで、シャディなんぞを選んだわけ?なんて、
途方も無く、方向違いの、因縁をつけかねない、性格の悪い、わたしだ。

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もともと、夢を詰め込んだギフトであり、しかも、先方様から頂いておきながら、
自分がお金を出したわけでもないのに、自分の、まぬけアタマのせいで、パーになったからって、
ブーブー文句言っている自分は、けっこう、情けなく浅ましい。
手近な夢から一転、欲張りは、辛い。

 


菌は強くて、いつまでも

2012-11-14 | わたし

さあ、好きなことを書こう。
そう思って、あることがアタマに浮かんだ。

しかし・・・
これって、裏・上から目線、っぽいかも?
謙虚風、イヤなヤツっぽいかも?
と思えてきて、二の足を踏んだ。

じゃあ、このことは?
それとも、あのことは?

あれま、あれま、わたしの見るもの、感じるもの、書くもの、
すべて、上から目線、臭う裏自信。
前まで、そうあんまり感じなかったんだけど。
どうしてだろう?
本性が見えるという人物が登場してくるNHK朝ドラ「純と愛」の見すぎか?


いっしょに遊ぶフリして、「ほんとうは、わたしは、こんなとこに居るような人間じゃないのよ」と
自分だけは別の安全地帯に確保している感覚、すごい嫌な感じ・・・・
昔の歌、「受験生ブルース」で、そんな歌詞があった。
友だちに「勉強しているか」って聞かれたら、「ぜんぜんしてない」、って答えとき、陰で勉強してるのよ、って。

かといって、確保した自分の場所では、堅苦しくて、みんな優等生で、息がつまる。
つまり、両方、居場所がないというわけだ。

息を抜いている場所では、仮に息を抜いているだけで横道にそれていて、本当の自分のいるべき場所ではない。
頑張るべき場所では、すぐ、息が切れる。

上の階段と下の階段を、行ったり来たり。
劣等感と優越感が、交差する。

こういうときは、横、左右にもスライドすると、いい。
ナナメもあり。
いろんな顔を持つといい。

が、そんなこんなをしていると、夜の街灯の真下で、むちゃくちゃな方向に飛び回っている、小さな虫みたいに、
なにやらよくわからない動きになってしまっている。

いろんな武装、仮装をしているうちに、本来の姿を見失いつつもある。
着ぐるみを脱いだ後の、自分は、脱いでも脱いでも、着ぐるみごと、自分になってしまっている恐れがある。
ウルトラマンの着ぐるみを脱いでも、着ぐるみの中からウルトラマンの着ぐるみが現れる。
ウサギさんの着ぐるみを脱いでも、ウサギさんの着ぐるみが現れる。

ばい菌、雑菌に強くなろうとして、自分が、雑菌まみれになっている。

こんなことなら、コドモでいるままのほうが、ずっとよかった。
でも、コドモには、自由がない。
そのかわり、親に守られている。
オトナになると、(わたしは)法を犯すようなことはしないが、
自主規制やら、自由と責任やら、義務と権利やら、のびのび自由に遊べない。
社会人としての自覚がジャマするのって、つまらないけれど、かたや、自分を高めたいという向上心もある。
いつまでも、いつまでも、気力が衰えない限りは、向上していたい。
そのためには、嫌なことや、辛いことも、多少は我慢しなければ。

ばい菌と、向上心の、相関図は?

なんだかよくわからないけれど、オトナになると、いろいろあるってことだ。

ああ、コドモの頃は、純粋でよかった。純粋なあの頃に戻りたい・・・
と、あんまり思わなくてもいい、コドモの頃から、ひねくれまくり。
腐った根性をたたきのめしてくれた、親、先生に感謝。
(まだ、たたきのめされず、日々、酵母菌やら、ビフィズス菌みたいに、生きている)

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ダンスユニットWorld Orderの動画を見ていたら、遅くなってしまった。
あの、キビキビのペキペキっとした動きが面白いのだが、
あのキビキビとは正反対の、スローモーション的動きもミックスされていて、
スローモーションは、筋力が必要で、たいへん。
わたしは、どうも、あの筋力が弱くて、練習では、足がガクガクしている。
と、遅くなりついでに、関係ないことを追加してみた。


思ひ出、ちょろちょろ

2012-11-13 | 思い出

さあ、今から、早足、更新、時間内で終われるか?
どきどき。

と、とたんに、キーを打つ指が止まった。
なんと、気ままな指であろうか・・・。

読者数、限定。
わたしは、それでもいい。
多くの、不特定多数の方々が訪れてくれるようなブログでは決してない。
そんな、わかりきっていることを、わざわざ文字を使って表現する意味は、まったくない。
有名人、特にアイドルやタレントさんのブログなら、どんなにつまらない内容でも、閲覧数はすごい。
経済の専門家や、その他、その道のプロのブログも、参考になる。(ニュースしか読んでいないけれど)

自分の好きなことだけ書く。
お、指がだんだん、動き始めた。

さ、内容に移ろう。
(この時点では、まだ、考えていない・・・助走時間、長いなあ。
せっかく前倒しでスタートしたのに意味がない)

今日のイントロ、長かった。しかも、無意味。

ここのところ、わたしは、家族やら、家庭やらに関する内容が減っている。
日常生活の、つまらん内容は、書く。
はやい話が、なんの問題も抱えていない。ストレスがない。
機嫌のいい赤ちゃんみたいなものだ。

わたしが、赤ん坊の頃は、お花畑に、ちょこんと座らせていたら、機嫌よく、にこにこと、おとなしくしていたらしい。
いつまでも、じっと、ずっと、お花畑にいたそうだ。
この幼少期のエピソードは、わたしは、じつは気に入っている。
いかにも、わたしらしい、と自分では思っている。
たんに、ハイハイできないので、こりゃ、しめたもの、と母親に、手抜きで置かれて、ほられて、放置されているだけか?

アクの強い、わたしの母は、田舎生まれの田舎育ち、田舎が大好きな、田舎モンである。
よく、近所の野山やら、道なき道の険しい遠い山々やらに、連れて行かれた。
ちょっと小高い原っぱなんかも、好きだったようだ。
そういう自然の風景、幼い記憶が蘇る。
近所の子供達と、小川で遊んだり、野山に遠征に行ったりした。
わたしが、いちばん、小さかったので、
年長の近所のお姉ちゃんの小指をしっかりつかんで、付いていったような記憶がある。
(これは、シッカリモノの後をちょろちょろ着いていく、今もそういう傾向がある)

田んぼや、川原、あぜ道、そういうところで、つくしを採ったり、田舎モン街道まっしぐらの、幼い日々を過ごした。
(「田舎モン街道まっしぐら」は、この場合、適切な表現ではないが、あえて、入れておく。
ああ、めんどうだ、こんな、説明)

家の畑や小さな池や鶏小屋、納屋、農具小屋、わたしの原点は、田舎の自然。
庭の草花で、おままごと用のご飯の「ふりかけ」を作ったり、押し花や染色をしたり。
家と地続きの畑から毎日、野菜を採って、祖母が、食事を用意してくれた。
野いちごや、いちじく、ぐみの実も、庭になっていた。
木や地面から、むしって、ぱくり、むしゃりと食べる。
産地直送、直食だ。
採る人と、運ぶ人、食べる人が同一人物で、しかも、同時。
流通、手間、時間、ゼロ。シンプル。

ま、田舎モンなんですね、わたし。

 

 

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見栄っ張り

2012-11-12 | 日々のこと

さあ、今朝は10分コース。
ギリギリ人生の体現、なるか。


面白いモノを書くには、面白い人生を送らなければならない。
面白くないモノを書くには、面白くない人生を送らなければならない。
そうだ、その通りだ。
ギリギリの生活をしている人が、ギリギリ感、の磨きがかかって、
悲壮感あふれる、切羽詰った緊張感のある、すごくいいモノを書くこともある。
平凡な人生より、壮絶な人生を送っているほうが、
味のある奥の深い、魂に振れる、地響きのするようなモノが書けるかも知れない。

それは、プロの作家さんにおまかせして、市民は、購買側に回ろうか。
プロの作家さんでも、平凡な小市民であることも、多い。
いかに、イマジネーション、想像力と創造力があるかってことだ。
自分に鞭打って、闘うのって、血肉を削って書くのって、命を縮める作業だ。
でも、そんなに素晴らしいプロ作家の本が、世の中に出回っているのに、
わたしは、じつのところ、まったくといっていいほど、本を読まない。
キライなのだ。


先週も、ジムをさぼって、こりゃいかんと、せめて最低限の運動を、と思い、
ジムのある商業施設まで歩いて行った。
で、とある事情から時間をつぶす必要があり、カフェで時間をつぶした。
その時のために、わざわざ、おフランスの本を持っていった。
その本こそに、わたしの、一見、謙虚風、ねじれ隠れ裏自信ぷんぷん、
自意識過剰癖のある行動特性が、如実に現れている。

おフランスの本は、知的な日本人がフランスやフランス人について、考察、分析しているもの。
そんな本を読んでいるのが、外から他人が見てわかるのがイヤで(誰も見てないのに自意識過剰)
わざわざ本のカバーをはずして、別の包装紙にはさんで、本を持っていった。
おフランスに行った後、買ったものなのだが、まだ3分の1しか読んでいない。

商業施設には、無料のイスが設置されているのだが、あそこで、読むのは、なんとなく気が引けた。
商品パンフレットや、レシートのチェックぐらいならいいが、おフランスの本は、あの場にふさわしくない。
ホンモノの哲学者でない、ニセモノのわたしは、へんに、見てくれを気にする。
なので、それを、持って、カフェに行くことにした。
さあ、入ろう・・・
でも、注文するのは、コーヒーか、ソフトクリームかの選択に店頭で、迷った。
ジムをさぼっているのだから、とうぜん、ソフトクリームは避けたいところだ。
コーヒー・・・? だが、ソフトクリームの魅力に負けそうになり、一旦はその場を去った。

商業施設を一周し、また、そのカフェに来て、考えがまとまらないまま、オーダーを聞くお姉さんの顔を見て、
その場の流れで発注しよう、という、いつもの、場当たりパターンに行き着き、結局、ソフトクリームを頼んでしまった。


まあ、それは、いいとしよう。
座った席が寒い、エアコン、なんで、きかせる? 
もう、秋も深まり、寒いのに、客を一時も早く、退散させたいのか?
商業主義め・・・と思いつつ、いったん、脱いだコートをまた、はおる。
(よっこらしょ。キツイのよ、このコート。着にくい。上娘のだから、サイズが・・・)
おフランスのように、屋外に面したカフェテラスならいざ知らず、室内で、コートを脱いだり着たり、忙しい。
こういう時こそ、ああ、ホットコーヒーにしておけばよかったかも、と思いつつ、
冷たいソフトクリームをちびちび、なめる。

ソフトクリームは、溶けたら台無しなので、ソフトクリームのみに集中して、一心不乱にソフトクリームをたいらげた。
で、おもむろに、その、カバーを外した、おフランスの本を読み始めた。
最初のページ・・・おフランス人のブランド志向について。
反対運動が起こって、地下鉄の広告などを塗りつぶした運動をした市民に、多額の罰金が課せられ、運動は下火に・・・。
というほんの数ページ、ほんとうに、ほんの数ページ読んで、眠気が襲ってきた。
カフェで、本を読みながら、居眠りって、これって、めちゃくちゃ、カッコ悪い。
公園で居眠りしているほうが、まだいい。商業施設の無料のイス、カッコ悪いって思ったの、だれ?

わたしの美学に反する。
わたしの年齢そのままの、まるっきり、等身大の行動なんだけど、意味も無く、抵抗している。

なにが、言いたい、わたし?
ああ、制限時間の10分は、20分過ぎてしまった。
あとが、地獄の展開だ。
こんな中途半端な状態で、終わるのは、不本意だが、いたしかたない。


 


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良い子は、マネをしないでください

2012-11-11 | 日々のこと

昨日は休み、しかも今日も休日、ということもあって、
昨夜は夜更かししてみた。
といっても、まったくやっていることは、いつもと同じ。
深夜まで、パソコンに向かい、ネットの海を泳いでいた。

ブログも、一巡りも二巡りも、巡回し、キライなブログにまで手をのばし(怖いもの見たさ)、
あいかわらず、このおばちゃんは、えげつないなあ・・・などと思ったり、
頑張ってるようね、と、保護観察官のように、斜め上から目線で微妙に応援したり。

さらに、トドメのような、このアクの強いブログで悪酔いしても、まだ飽き足らず、
また新しいブログをひとつ、のぞいてみた。
ブログランキングの50位手前ぐらいのところにいた、目立たないブログ。
そんな、なんの縁もゆかりもないブログにまで、手を伸ばすなんて、じゃぶじゃぶ時間の無駄遣い、
休日の過ごし方の行動として、方向指示器が故障しているんだろう。

なんで、そのブログを見ようと思ったのか?
記事タイトルだったか?
あ、そうそう・・・そう、記事タイトルだった・・・たぶん。
「長文が苦手な方は、ご遠慮ください」みたいなタイトルだったか、
はたまた、「意味のないブログです」だったか、
「たんに更新しただけです」だったか。
なんか、そういうタイトルが並んでいたので、あら、少し前のわたしみたい、と思い、
好奇心で、ふらりと行ってみた。
(安物の好奇心で満ち溢れている)

確かに、すごい長文。
全部、読むのは疲れるので、わたし独自の目の自動・識別センサーにおまかせして、
ひょいひょいと拾い読みした。
興味のある単語が含まれる段落だけを読む。
それだけでも、けっこう、意味はわかる。
これは、わたしが、英文長文解釈をさせられ苦しんでいた、高校生の頃の読み方だ。

どさっどさっと、林の木々をナタで切りながら道なき道を確保しつつ進み、
大量文字数の嵐の中を小船で揺れながら読むと(→しつこい)
そうやって省エネしながら読んでいると、(わたしのブログも、そういうエコ方法・会得をオススメします)
その方は、国立大学を2年の時に、中退。
ご主人、ご子息たちは、中学受験の後、私学一貫校。

前に2つブログを立ち上げていたが、巨大掲示板のからみからか、大勢がぞろぞろ追いかけてきて、
無名の専業主婦のブログに、1日の訪問数は15000にまでも上がり、恐ろしくなって、直近のブログは閉鎖したそうだ。
コメントやメッセージで追いかけられるそうなので、今のブログは、そういうのは、受け付けていない設定になっている。

なにしろ、記事が長いので、全部、読んでいないが、わたしの、継ぎはぎの想像では、(長文読解、間違ってるかも?)
ご子息が、私学を受験し、一つ目を合格したのに、そこを蹴って、もうひとつのところに進学したことか、なにかが、
多くの方々の興味、好奇心、一部の人の逆鱗に触れたようだ。
(そのせいで、落ちた受験生がいることに対する、落ちた側に配慮のない本音心境でも、ぽつりと漏らしたのか? →あくまでも想像)
執拗なチェイスを受け、たいへんみたいだ。
少ない閲覧数も寂しいけれど、あまりにも多い閲覧数だと、やはり、怖くなってくるかも知れない。

他にもそのブログには、社会派的な記事があったが、それは、タイトルだけ見てパスしてと、・・・
(わたしは、社会事情に、さほど興味がない。聞き役としても、知識不足、役不足。
脳ミソの一部が、カッチカチになっていて、あまりセンサーが作動しない。
これは、決して良いことだとは思っていないのだが・・・)

まあ、そういう、お子様に、我を忘れて、必死に熱を上げておられる方々は多く、
自分たちの取っている行動は、なにがなんでも正しいと、一直線で、妄信的に進んでおられる、
とくに、そういうビミョーな問題は、
へんに神経を逆なでしたりすると、いらない、よけいな争いごとを招く恐れがある。
「子供のこと=親のこと、自分のこと」、という、子供と親は、一体化している方程式が成り立つ。
子供の教育、進学に関しては、親は、自分を犠牲にしてまでも、尋常ではない、狂気に近い熱意をもって、突進、猛進する。
なので、人さまの、そういう危険ゾーン、火薬地帯の、ややこしいことには、
あまり、油に火を注ぐようなことは、もちろん、首を突っ込まないほうが、自己防衛につながる。

と、ヒマにまかせて、拾い読みしてみたり・・・


もっと、もっと、ヒマにまかせては、
ヨーロッパの、お城物件・荘園物件などを検索して、立地、面積、建物・・・ふむふむ・・・などと、
まったく現実には、なんの接点もカスリもしない妄想に近い空想をして、にやにやしている。
クロアチア、ポルトガル・・・あんまり土地勘ないしなあ・・・
フランス、ドイツ・・・こっちのほうがいいな。

土地3万坪、1600年築、ベッド数30、ふーーむ、こんなにベッド数はいらないな。
同じく、1600年築、土地1万坪、ベッド数5、あ、これぐらいで、いいか。
値段、200万ユーロ、ちょっと高いかなあ・・・。こっとは、70万ユーロ、へえ~。
維持費は、売買価格よりすごいんじゃないかな・・・。
これだけ広いと、草刈り、草むしり、これ、すごい重労働だ。
罪人の刑罰のごとき過酷な労働だ。
現地の失業者を雇うと、労働者雇用促進につながり、経済活性化か。しかし、どこに、そんなお金が?

インターネットOK・・・冬、寒いだろうなあ・・・。石の家。底冷えがしそうだ。
しかも、屋敷の前は、池や川。なんか、こわい。その回りの壮大な、広大な土地。
歴代の当主や、亡霊が、夜な夜な出てきそう。

がらーんとしたダイニングには、テーブルが4つぐらいあったり。
社員研修所か、保養所か、ここは?

と、まるで、なんの役にも立たない関係ないことに時間を費やせる、休日の幸せ。
さて、まだまだ余った自由時間、なにをしようかと、ぼんやり。

時差のある地のブログは、時々、のぞいてみるが、まだアップされないので、またネット遊びに戻る。
皿洗いも追加されたらしいので、無理強いはよくない。

延々と、ネット遊びは続き、ついに深夜に及ぶ。
明らかにやりすぎ。
慣性の法則、引きこもり。

なにを思ったか、社交ダンスの派手派手ドレスを販売サイトで見た。

見始めると、どんどん見てしまい、時間を忘れ、ドレス巡り。
それも、きれいなブログで、美しく紹介されているものではなく、実質本位の商品としてのモノばかり。
表示された価格と小さな写真、その商品をクリックして、詳細を見る。そればかり。
延々とクリックとスクロールを繰り返している。
もう、見たいから見ているのでなく、感覚が麻痺している。
そこには思考はなく、ブロイラーのように、フォアグラ鴨のように、目を白黒させて、詰め込むだけ。

ネット依存症はよろしくない。
目にも悪い。
良い子は、一定のルールを決めて、ネット遊びをしましょう。
大人からのメッセージです。


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明日からは、またブログ更新・制限時間10分攻撃となる。
両極端ですね。
もっと、振幅感覚をやじろべえのように、やさしいバランスにしなくては。