雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

キャットスマイル  ⑨ 一大事件

2014-03-18 19:00:44 | キャットスマイル 微笑みをありがとう
          キャットスマイル
               ⑨ 一大事件


その後もボクは、時々食欲が減ることがあったが、それもごくたまのことで、特に変わったこともなく過ごしていた。
トラもすっかり以前のような威厳に満ちた姿に戻ったし、チビは相変わらず出歩いていて、食事の頃にはきっちりと帰ってきて、思う存分食べている。そして、いまだにボクの寝床を狙っていて、大きな頭でボクを押しのけようとする。
     *
お天気の良い時は、ボクたち三匹は、揃ってテラスで過ごすことが多くなった。
トラは箱の中で寝ていることが多いが、ボクはテラスのコンクリートの上で横になるのが好きだ。もっとも真冬の寒い時には、箱の中か、その頃だけ敷いてくれるマットの上で寝そべることになる。
チビは、テラスでも好き勝手である。ボクと同じようにコンクリートの上に寝そべることも多いが、ボクと違って真冬でもコンクリートの上でぐうぐう眠っている。箱に入ることも多いが、それもチビが入っている中に入り込んでいって、トラを押しつぶすようにして眠っている。
全くチビという奴は、自分の図体の大きさが分かっていないらしい。

テラスは南側にあり、とても日当たりがよく、夏は風通しがよく、冬は北風を防いでくれる。
冬もお天気さえ良ければいっぱいの日差しがあり、夏は日差しが遠のくし、お母さんが日除けをつけてくれる。その下で寝転んでいるボクたちの上を涼しい風が通り抜けて行く。蝉の声がうるさいのは少し困りものだが。

あの日、いたずら坊主たちに追われて、傷を負ってたまたまこの家の庭に逃げ込んだのが、今の生活の始まりなのだが、それも、もう随分と前のことになり、思い出すことも少なくなった。
あれから、夏も冬も何度か迎えたし、今ではボクの体はトラと比べてもチビと比べても見劣りしないほどになっている。
もっとも、トラとチビは茶と白の虎模様であり、ボクは灰色がかった白で、見た目は全然違う。
体つきも、トラほど長くないし、チビほど丸々としてはいない、ただ足の長さはボクが一番でその分背が高い。

その日は、雨模様の日であった。
ボクもトラもテラスには出ないで、家の中で寝そべったりゴロゴロして一日を過ごしたが、チビはいつものようにどこかへ出かけていた。
ただその日は、夕方になって、食事の頃になってもチビは帰って来ないのである。
時々遊び呆けて夜遅くまで帰って来ないこともあるが、たいていは、どうしてそれほど時間に正確なのだと思うほど、食事時には帰ってきているのである。

夕方も過ぎ、雨は止んでいたが外はすっかり暗くなっているのにチビは帰って来ず、お母さんも少し気になったらしく、庭に出たり、すぐ近くまで捜しにいったらしい。チビがこの時間まで帰って来ないのは特に珍しいことではないので、お母さんがわざわざ捜しに行ったのは、お天気が良くないこともあり、虫の知らせのようなものがあったのかもしれない。

お母さんが外へ捜しに行って少し経った頃、テラスのある所のガラス戸に何かがぶつかる音がした。
ボクが駆け寄っていると、ガラス戸の向こうにチビがうずくまっていた。様子が変である。
ボクは大声を出した。
その声にトラも駆け寄ってきて、ガラス戸に爪を立てたが、外のチビは身動きをしない。
ボクとトラは大声で鳴き叫び、家の中を走り回った。

外から帰って来たお母さんは、ボクとトラが暴れ回っている姿に異常を感じて、ガラス戸に駆け寄った。
すぐにガラス戸が開けられたが、チビは少しばかり頭を持ち上げ、小さな声で鳴いたが、その声はかすれていてほとんど聞き取れないほどである。
お母さんは飛び出してチビを抱え上げた。
チビはぐったりとしていて、口と顔のあたりから血が流れていた。顔のあたりの血はすでに固まっていたが、口からはまだ少し血が流れていた。電灯に照らされたテラスには点々と血の跡が見られた。

お母さんは大声でチビの名前を呼び、抱き上げた。それでなくとも大きなチビの体は、ぐったりとしていてさらに重たそうにお母さんは抱え上げて、
「どうしたの、チビ。しっかりして!」
と繰り返した。お母さんの服のあちこちに血が滲んだ。

お母さんは、お父さんたちのために用意していたらしいバスタオルの上にチビを寝かせ、包み込むようにして抱き上げると、
「トラ、チロ、お留守番頼むわよ」
と言って、家を飛び出していった。
ボクが病院に行く時などに使われる籠は物置の中なので、お母さんはチビを抱きかかえたまま病院に向かったらしい。

ボクはトラに体を寄せて、小さく鳴いた。
お留守番を頼むといわれても、何が出来るわけでもないし、それは、いくら偉大なトラだといっても同じだと思う。
ボクたちは、ただ部屋の中をうろうろし続けていた。
寝そべってみても何だか落ち着かず、もちろん眠ることなど出来ない。
ボクとトラだけでの留守番が、とても長い時間になった。

どれくらいの時間が経ったのか、お母さんとお姉さんが帰ってきた。お母さんの電話でお姉さんは直接病院に行ったらしい。
「大丈夫よ、チビは大丈夫だからね」
と、お姉さんは、ボクたち二匹を同時に抱き上げてそう言った。
しかし、その顔はとても大丈夫そうな顔ではなく、「チビは大丈夫だから」という言葉は、お姉さんが自分自身に言っているような声に聞こえた。

お母さんとお姉さんとの会話や、お父さんに説明している話などから、チビの様子が少しばかり分かってきた。
どうやら、車か自転車にぶつかったらしく、怪我の様子からすれば、多分自動車らしいとのことであった。怪我をしているのは、頭と口の中で、腰のあたりも打っているのは、跳ね飛ばされたためらしい。
口の中の怪我は、出血はひどいが、治療で治るし、腰のあたりや足には骨折がないので、時間が経てば良くなっていくらしい。
問題は頭から顔にかけての傷で、おそらくここをぶつけたらしく、左目が心配だし、頭の方はしばらく様子を見る以外に方法はないらしい。

怪我をしたのは、血の固まり具合からすれば、お母さんが病院に連れて行った時から二時間ほども前のことらしく、もしかするとしばらくは気を失っていたか、まったく動けなかったのではないかと病院の先生は言っていたらしい。
おそらく片目は腫れあがっていて見えない状態なので、傷む体と見えない片目をかばいながら、一歩一歩必死になって家まで辿り着いたらしい。

お母さんもお姉さんも涙ながらに話していて、お父さんも沈痛な面持ちで聞いていて、お兄さんも側に立っていた。
頭の怪我は命にかかわるほどのもので、今はとにかく安静にしていることが大切で、鎮痛剤を打ってとりあえず寝かせているらしい。
この丸一日ぐらいが山で、手術というわけにもいかず、あとはチビの生命力に託すしかないという状態だというのである。
     *
その夜、ボクはトラに身体を寄せて眠った。
とても独りで寝ることなど出来なかったので、寝床を出てトラの横に寝そべったが、トラも嫌がる様子を見せずに僕の頭を舐めてくれた。
「チロ、トラに優しくしてもらいなさいよ。そうそう、トラに舐められていい顔しているわね。トラもチロも、良い夢を見てぐっすり眠れば、きっと明日にはチビも元気になるからね」
とお姉さんはボクたちの頭を撫でてくれた。

その夜、ほんとにボクは夢を見た。
しかしその夢は、ボクが大怪我をして、口から血を垂らしながら、一歩一歩、懸命にわが家に向かっている夢であった。

     * * *


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