多くの企業が大型連休に入ったということで、道路や交通機関は大変な混雑が報じられています。
高速道路などは、道路環境の整備や、様々な情報、利用者の選択などの影響もあってか、10年ほど前と比べると、多くの地点でずいぶん緩和されているように思われます。
それでも、いつもとは違う激しい渋滞や、新幹線などでも100%を遥かに超える乗車率になった列車が何本もあるようです。
季節の風景といえばそれまでですが、第三者の目では混雑の中大変だろうなと感じるのですが、気がつけば自分が当事者になっていることもあり、その時には、それほどの悲壮感など抱いていないのですから、不思議な気がします。
この期間に、海外に出掛ける人も多く、各地の空港も大混雑です。海外に向かう人々のほとんどは、練り上げた計画を抱いてのレジャーなのでしょうし、各地の著名なレジャー施設や観光地、あるいは宿泊施設も満員状態のようです。
折から、近隣国との摩擦もあって、地域によっては観光客の減少が現実化している地域もあると報じられていますが、日本列島全体としては、異常と報じられる猛暑など何のそのとばかりに、盛り上がっている人の姿が多く報じられています。
そうした中で、激しい混雑や渋滞の中を、故郷へ向かう家族連れの姿も多く見られます。大きな荷物を持ち、子供の手を引いて、故郷へ向かう人々の姿は、テレビを通じての姿であっても、ほのぼのとしていて、自然に顔が緩んできます。
『故郷へ、故郷へ』という家族連れの姿は、なおわが国に根付いている風景なのでしょうか。当然、家族連れではなく、ただ一人、故郷へ向かう人も少なくないことでしょう。
また、孫の元気な姿を見せたいとか、都会生活を頑張っているよと報告したい、といった前向きな目的で向かっている人が大勢いるのでしょうが、中には、それほど具体的な理由はないとしても、何とはなく疲れを感じていたり、心の奥に澱(オリ)のようなものを感じていたりして、この休み、親の顔でも見てみるか、久しぶりにお墓参りでもしてみるか、という人もいるかもしれません。
核家族化という現象が広がり始めてから久しく、現在のわが国では、どこが故郷だか分からないという人も少なくない、と何かの記事で読んだ記憶があります。
確かに、故郷といえる地をはっきり持っている人であっても、すでに実家が無くなり、親戚や親しい知人が少なくなるにつれて、その地に足が向かなくなるのは、ごく自然な事でしょう。
また、生まれ育った土地で生涯を過ごす人にとっては、『故郷』というものが少し違うものとして感じているかもしれませんし、例えば、東京のまんまん中で生まれ育った人が、縁あって、新幹線の駅からはさらに数時間を要するような土地で何十年間を過ごした場合、やはり、その地を故郷としての認識はあるのでしょうか。
かく申し上げる私自身が、自分の故郷というものに、極めてあやふやな認識しか抱けないのです。それでも、やはりこの季節は、漠然としたものですが、「故郷」に想いを走らせることがよくあるのです。
『故郷へ、故郷へ』・・・。そこに向かう動機は何であれ、故郷と認識している地があることは、心の重しになってくれるはずです。そして私のように、極めてあやふやな故郷しか持っていない人は、ぜひ、何かの時に思い描く地を『故郷』に定めるというのはいかがでしょうか。都市とでもいいし、神社仏閣でもいいし、何かの施設でもいいし、風景でもいいのではないでしょうか。
『故郷』は、私たちの揺れ動くことの多すぎる心の、ちょっとした重しになってくれるような気がするのです。
( 2019.08.13 )
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