雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

振り子はチクタクチクタク ・ 小さな小さな物語 ( 1215 )

2019-12-08 15:27:22 | 小さな小さな物語 第二十一部

「わが家には、幾つ時計があるのだろう」と、ふと思いました。
まあ、今どきのことですから、時計なんて一家に一つあれば十分だとは言いませんが、それにしても、その数の多さに我がことながら驚いてしまいます。
壁にかかっている時計だけでも、各部屋に一つあり、廊下や洗面所などにも、よくも隙間を見つけたものだと感心するほど掛かっています。いくら狭い家だとはいえ、どの場所にあっても時計が見えないと承知できないのかとさえ思ってしまいます。
置時計となれば、とてもそんなものではありません。玄関先は、花瓶と時計が数を競っていますし、どの部屋にも、どの空間にも複数個が鎮座なさっています。
腕時計となれば、動いているのかどか分からない物を含めると、とても数を把握していません。その他にも、テレビやラジオ、スマホに電子辞書、パソコン、万歩計にも時計機能が付いています。
そうした時計に満ち溢れた狭い家の中で、なぜか私は腕時計をつけて生活しています。

こうして書き連ねてみますと、少々わが家が異常ではないかと思わないでもないのですが、同じようなことを話題にした事がある友人の話や、たまにおじゃまする他人様のお家も、程度の差はあるとしても、似たような環境の人は少なくないようです。
私たちの生活が、時間によって刻まれ、命さえ時間によって量られていることは確かでしょうが、さて、私たちはそれほど時間に縛られているのでしょうか。
仕事や学業や、誰かとの待ち合わせなど、時間が重要な意味を持つことは少なくありませんし、重要さの差はあるとしても、時間を意識しなくてはならない場面は、一日に何度もあることも確かです。
しかし、私たちは、これほどの時計を必要とするほど、時間に縛られ、あるいは、時間を大切にしているのでしょうか。

そして、わが家の時計を見回してみた時、振り子を持った時計が少ないことに気付きました。数えるまでもなく、壁に掛かっているものが一つと、置時計が二つ、それも、申し訳のような振り子です。
そう言えば、若い頃、お金持ちになれば、ボーン、ボーンと低くて迫力のある音を出す大きな柱時計を買おうと考えたことがありました。残念ながら、お金持ちになることは出来ず、大きな柱時計も買うことが出来ないままになりそうです。
そう考えながら、壁に掛かっている時計の、小さな振り子を見つめています。ボーン、ボーンという音ではなく、この時計は音楽を奏でることになっているはずですが、その機能は止められていて、かすかに電子音のようなものが聞こえてくるばかりです。
それでも振り子は、律義に、右、左、右、左と実に公平な動きを見せています。

かつて思い描いた大きな時計は、チク、タク、チク、タクと休みなく息づかいを伝え、時々、ボーン、ボーンと大きな音を立てます。そして、その振り子は、規則正しく、それでいて人をあきさせることなく動き続けています。
ひるがえって、私たちの社会にも、振り子は存在しているようです。ただ、その振れ幅は大きく、左右同じでないことが多いようです。一方に大きく振ると他方にも大きく振れるのは振り子の原理そのものですが、私たちの社会の振り子は、左右の振れ幅が異なることが少なくなく、それが紛争のもとになるのでしょう。
どちらに正義があるとしても、隣国同士が振り子をぶつけ合うことは、辛いことです。

( 2019.07.14 )


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