雅工房 作品集

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身代わり観音 ・ 今昔物語 ( 16 - 3 )

2023-08-15 16:06:34 | 今昔物語拾い読み ・ その4

      『 身代わり観音 ・ 今昔物語 ( 16 - 3 ) 』


今は昔、
周防の国、玖珂の郡に住んでいる人がいた。その国の判官代(ハンガンダイ・国守の代官。土地の有力者が任命された。)である。
幼い頃から三宝(仏・法・僧)を信じて、常に法華経の第八巻の普門品(フモンボン・いわゆる観音経)を読誦して、観音に仕えていた。毎月の十八日には、自ら精進潔斎して、僧を招いて、普門品を読誦させた。
また、その郡のうちに一つの山寺があった。三井寺(山口県にあり、現在の極楽寺。)という。観音の霊験あらたかな寺である。
判官代は、常にこの寺に詣でていて、その観音を長年恭敬(クギョウ)し奉っていた。

ところで、この判官代にはその国の内に敵がいて、隙を窺っては判官代を殺そうと思っていた。
ある時のこと、判官代は国府に参り、公務を勤め終えて家に帰る途中で、その敵が多くの兵を引率して、待ち受けていた。そこへ判官代がやって来たので、敵は喜んで、判官代を殺そうとした。敵とその引き連れてきた軍勢は、判官代を見つけると喜んで馬から引きずり落として、刀でもって切り、弓矢でもって射、鉾でもって貫き、足を切り、手を折り、目をえぐり、鼻を削り、口を裂き、ズタズタに殺して放り出した。
敵は、長年の望みを遂げたことを喜び、飛ぶようにして逃げ去った。

ところが、判官代は、敵をはじめ敵兵たちが自分を馬から引きずり落とし、切ったり射たりしたが、全く体には当たることなく、一分ほどの傷も負わなかった。とはいえ、怖ろしいことはこの上なく、心も肝も消え失せて、前後不覚になってしまったが、気を取り戻すと、ともかく無事であることを喜んで、家に帰った。
この国や郡内の人は、誰もが「判官代は殺されてしまった」と聞かされた。敵も、殺してしまったので安心していたが、判官代が生きていて家にいるらしいと聞いて、敵は信用できず、大変不思議に思った。
そこで、密かに判官代の家に人を遣って見させると、使いは帰ってきて報告した。「昨夜ずたずたにして殺したはずの判官代は、一分の傷も負わないでいる」と。
敵はそれを聞いて、いぶかしく思うこと限りなかった。

その後、判官代の夢に、貴く気高い僧が現れて告げた。「我は汝の身に代わり、たくさんの傷を受けた。これは汝の急難(緊急の災難)を救うが為である。もし、この虚実を知りたいと思うなら、三井寺の観音を見奉るべし」と。そこで夢から覚めた。
明くる朝、判官代は急いで三井寺に詣でて、観音を拝み奉ると、その首からはじめ足の裏に至るまで、傷のない所は一分としてないほど、観音の御身は傷だらけである。御手は折って前に棄てられ、御足は切って傍らに置かれ、御眼はえぐり取られ、鼻は削られていた。
判官代はこれを見て、涙を流し、声を挙げて泣き感激すること限りなかった。

国内の近くの人も遠くの人も、これを聞いて集まってきて、その傷を拝み奉って、尊び感激した。
その後、多くの人々が力を合わせて、観音像をもとの姿に修復し奉った。
それから後は、国内の上中下の人々は、この判官代を冗談に「金判官代」と名付けた。そのわけは、多くの軍勢にただ一人で立ち向かい、ずたずたに切られたり射られたりしたが、塵ほどの傷も受けなかったからである。
また、敵はこの事を聞いて、長い間の悪心を止めて、道心を起こして、判官代と親交を結び、もとの恨み心を捨て去ったのである。
また、この事を聞く人は、熱心にこの観音を崇拝するようになった。

これを思うに、観音の霊験の不可思議なることは、天竺震旦をはじめとしてわが国に至るまで、今に始まったことではないが、これはまさしく人の身代わりになって傷をお受けになったことは、貴く感慨深いことである。
されば、この世に生を受けた人は、熱心に観音を祈念し奉るべきである、
となむ語り伝へたるとや。

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