雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

衰退する河原院 ・ 今昔物語 ( 24 - 46 )

2017-02-10 10:18:54 | 今昔物語拾い読み ・ その6
          衰退する河原院 ・ 今昔物語 ( 24 - 46 )

今は昔、
河原院に宇多院(宇多法皇。第五十九代宇多天皇)がお住みになっていたが、崩御された後は住む人もなく、院の中は荒れてしまっていたが、紀貫之が土佐国より上京し、この様子を見て哀れに思い、歌に詠んだ。
 『 きみまさで 煙(ケブリ)たえにし 塩がまの うらさびしくも みえわたるかな 』 と。
 ( きみが亡くなり、塩焼く釜の煙も絶えてしまった塩釜を見ると、何とも寂しいことか。)
この院は、陸奥国(ミチノオクノクニ)の塩竃の浦の様子に似せて造り、海水を満ちるほど汲み入れていたので、こう詠んだのであろう。

その後、この院を寺にして、安法君(アンポウノキミ・源融の曽孫。歌人)という僧が住んだ。
この僧が、冬の夜、月がたいそう明るく輝いているのを見て、こう詠んだ。 
 『 あまのはら そこさへさえや わたるらむ こほりとみゆる ふゆのよのつき 』 と。
 ( 大空が底までさえわたっているのだろうか、氷のように見えるすばらしい冬の月だ。)

西の対屋の西側に、昔からの大きな松がある。その頃、歌人たちが安法君の僧坊に来て歌を詠んだ。
古曽部の入道能因(ノウイン・著名な歌人)は、
 『 としふれば かはらに松は おいにけり 子日(ネノヒ)しつべき ねやのうへかな 』 と詠んだ。
 ( 長い年月が経ったので、河原に松が生えてしまった。これほど生えると、子の日の遊びが寝屋の上で出来るというものだ。なお、子日は、新年最初の子の日に、青菜や小松の根を採って、無病息災を願う行事。)
[ 欠字あり。「大江」らしい。]善時は、
 『 さと人の くむだに今は なかるべし いた井のしみづ みぐさいにけり 』 と詠んだ。
 ( 水を汲みに来る里人も今はいないだろう。板囲いの井戸の清水は、水草に覆われてしまった。)
源道済(ミナモトノミチナリ)は、
 『 ゆくすえの しるしばかりに のこるべき 松さへいたく おひにけるかな 』 と詠んだ。
 ( 後世、ここに河原院があったというしるしとして残るはずの松でさえ、すっかり老いてしまったものだ。)

その後、この院はますます荒れ果てて、その松の木も先年大風で倒れたので、人々は哀れなことだと言い合った。
その院の跡は、今は小さな家々になり、お堂だけが残っている、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆


* 最初の歌、『きみまさで ・・・』の「きみ」は、この物語としては「宇多院」を指していると思われるが、古今集などの詞書では、河原院の旧主である源融(ミナモトノトオル)を指している。

     ☆   ☆   ☆

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