ちょっぴり『老子』 ( 42 )
老子の考える政治体制
『老子』の理想政治
「 道常無為、而無不爲。候王若能守、萬物将自化。化而欲作、吾将鎮之以無名之朴。無名之朴、亦将不欲。不欲以静、天下将自定。 」
『老子』第三十七章の全文です。
読みは 、「 道は常に無為なれども、しかも為さないものは無し。候王もし能(ヨ)く守らば、萬物まさに自ずから化せんとす。化して欲作(オコ)らば、吾まさに之を鎮めるに無名の朴を以ってせんとす。無名の朴を以ってせば、またまさに欲せざらん。欲せず以って静かなれば、天下まさに自ずから定まらんとす。 」
文意は、「 『道』は常に無為であって、目につくような働きはしないが、しかも何もかも為さないというものはない。諸侯のような地位の者が、もしよく『道』の教えを守るならば、萬物は自然に感化される。『道』が教える方向に感化される過程で不当な欲望を起こす者があれば、私ならその欲望を鎮めるのに、私自身が無名の朴となって接する。無名の朴、すなわち『道』の教えるところに感化されれば、萬物もまた自然に無欲になるだろう。萬物が無欲になり静かになれば、天下は自然に安定するだろう。 」
『老子』が理想とする政治のあり方が示されています。
『道』すなわち、無名の朴 ( 切り出したばかりの名もない原木 ) となって、自然の原理のままに万民に接すれば、万民は自然と不当な欲望を持たなくなり、安定した政治が行われるということのようです。
『老子』の一貫した考え方なので、言葉の意味は分かるのですが、さて、ありのままで接して万民を納得させるような人格者など、そうそういるとも思われません。
『道』を修得すればそのようになるのでしょうが、さて、それが分からないのですよ。
「道経」と「徳経」
『老子』の書全体を「道徳経」と呼ぶことがあります。そして、前半を「上」として「道経」、後半を「下」として「徳経」と分けられています。
これは内容もさることながら、生成の過程から分けられたようで、古い時代から二分されているようです。
上編である「道経」は三十七章から成っていて、今回が最終部分にあたります。
次回の三十八章から八十一章までが「徳経」ということになります。拙い解説が続きますが、よろしくお願いします。
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老子の考える政治体制
『老子』の理想政治
「 道常無為、而無不爲。候王若能守、萬物将自化。化而欲作、吾将鎮之以無名之朴。無名之朴、亦将不欲。不欲以静、天下将自定。 」
『老子』第三十七章の全文です。
読みは 、「 道は常に無為なれども、しかも為さないものは無し。候王もし能(ヨ)く守らば、萬物まさに自ずから化せんとす。化して欲作(オコ)らば、吾まさに之を鎮めるに無名の朴を以ってせんとす。無名の朴を以ってせば、またまさに欲せざらん。欲せず以って静かなれば、天下まさに自ずから定まらんとす。 」
文意は、「 『道』は常に無為であって、目につくような働きはしないが、しかも何もかも為さないというものはない。諸侯のような地位の者が、もしよく『道』の教えを守るならば、萬物は自然に感化される。『道』が教える方向に感化される過程で不当な欲望を起こす者があれば、私ならその欲望を鎮めるのに、私自身が無名の朴となって接する。無名の朴、すなわち『道』の教えるところに感化されれば、萬物もまた自然に無欲になるだろう。萬物が無欲になり静かになれば、天下は自然に安定するだろう。 」
『老子』が理想とする政治のあり方が示されています。
『道』すなわち、無名の朴 ( 切り出したばかりの名もない原木 ) となって、自然の原理のままに万民に接すれば、万民は自然と不当な欲望を持たなくなり、安定した政治が行われるということのようです。
『老子』の一貫した考え方なので、言葉の意味は分かるのですが、さて、ありのままで接して万民を納得させるような人格者など、そうそういるとも思われません。
『道』を修得すればそのようになるのでしょうが、さて、それが分からないのですよ。
「道経」と「徳経」
『老子』の書全体を「道徳経」と呼ぶことがあります。そして、前半を「上」として「道経」、後半を「下」として「徳経」と分けられています。
これは内容もさることながら、生成の過程から分けられたようで、古い時代から二分されているようです。
上編である「道経」は三十七章から成っていて、今回が最終部分にあたります。
次回の三十八章から八十一章までが「徳経」ということになります。拙い解説が続きますが、よろしくお願いします。
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