雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

もののあはれ知らせ顔なるもの

2014-12-02 11:00:24 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第八十段  もののあはれ知らせ顔なるもの

もののあはれ知らせ顔なるもの。
洟垂り、間もなうかみつつ、ものいふ声。
眉抜く。


みじめな感じが伝わって来る表情。
鼻が垂れて、ひっきりなしに鼻をかみながら物を言う声。
眉毛を抜く時の表情。



一行目の現代訳は、どうもすっきりしません。この「もののあはれ」は、しみじみとしたものとか、風雅などではなく、みじめな様子ということでいいと思うのですが。
「眉抜く」というのは、眉毛を抜いて眉墨を引く時の表情で、これは現代でも見られるものかもしれません。

この章段の前後は、比較的長い文章が集まっているのですが、一息入れるように挿入されている本段は、とても美しい描写とは言えず、このあたりが少納言さまの真意を掴むことの難しさの一つなのかもしれません。
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寡作の歌人

2014-12-01 11:00:08 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子   ちょっと一息 

寡作の歌人

平安王朝は、女流作家全盛期でもありました。
この時代の知性とか教養を計る尺度の最も有力なものは、和歌に関する知識と創作能力でした。
少納言さまが活躍された頃は、枕草子や源氏物語など、今日でいえば小説とか随筆、あるいは日記やコラムにあたるような文芸も高い評価を受けていたようですが、やはりその根幹をなすものは和歌でした。

ところが、まことに不思議なことに、少納言さまが残された和歌の数はきわめて少ないのです。
研究者の資料などによりますと、その数はわずかに五十五首だそうです。しかも、中宮定子に「詠歌免除」すなわち歌を作ることを免除してもらう許可さえ得ているのです。

それでは、少納言さまは和歌を作ることが苦手だったかといえば、とてもそうとは思えないのです。
当代一流の歌人である、藤原公任・赤染衛門・伊勢大輔らと和歌の贈答を行っており、『後十五番歌合』には、和泉式部・赤染衛門・伊勢大輔らとともに入撰しています。ちなみに、紫式部は撰ばれていません。

このように、当時の超一流の歌人と互角と評価されていた少納言さまが、なぜこれほど作品が少ないのか、大きな謎といえます。
その原因としては、第七十九段にあるように、最初の夫則光が大変な和歌音痴であったらしいこと、あるいは、父である元輔の影響によるともされています。その父の影響というのも、「偉大な歌人である父の名誉を汚さないため」とも「元輔の作品には、古歌から流用したようなものが多々あり、それを嫌ったため」とも言われています。いずれにしても、少納言さまは、平安朝の女流文学者の中では、飛びぬけての「寡作の歌人」なのです。

また、機会をみて、少納言さまの和歌を味わってみたいと思っています。
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