雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

ありがたきもの

2014-12-11 11:00:32 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
        枕草子 第七十一段  ありがたきもの

ありがたきもの。
舅にほめらるる婿。
また、姑におもはるる嫁の君。
毛のよく抜くる銀の鑷子(ケヌキ)。
          (以下割愛)


めったにないもの。
舅にほめられる婿。
また、姑に可愛がられる嫁君。
毛がよく抜ける銀の毛抜き。

主人の悪口を言わない従者。
ほんの少しの癖もない人。
容貌も性格もすぐれていて、長く世間付き合いをしている間に、何のぼろも出さない人。
同じ局に住んでいる女房で、お互いに敬意をはらいあって、ほんの少しの隙もないほど心を配っていると思うのですが、最後まで隙を見せないでいるのは、なかなか難しいことです。

物語や歌集などを書き写す時に、もとの本に墨をつけないことは、めったにありません。立派な綴じ本などは、ずいぶん気を遣って書くのですが、必ずといっていいくらい、汚らしくしてしまうのですよ。

男と女の仲については、いまさら言いますまい。
女同士であっても、固い約束をして親しくしている人でも、最後まで仲の良いままなのは、めったにありません。



大変分かりやすく、少納言さまも現代に生きる私たちとほとんど変わらない感覚の持ち主だということが伝わってきます。

全文を示しておりませんが、この章段などは原文そのままでも十分理解できる内容です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

内裏の局

2014-12-10 11:00:55 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第七十二段  内裏の局

内裏の局、細殿いみじうをかし。
上の蔀あげたれば、風いみじう吹き入りて、夏も、いみじう涼し。
冬は、雪・霰などの、風にたぐひて降り入りたるも、いとをかし。
          (以下割愛)


宮中の局の中では、細殿が大変趣があります。
上の方の蔀を上げてあるので、風が強く吹き込んできて、夏もとても涼しいのです。
冬は、雪や霰などが、風と一緒に降り込んできたりしますのが、とてもいいのです。

部屋が狭くて、里から子供などが来た時には具合が悪いのですが、屏風の内側に隠しておいておくと、他の御殿の局と違って、中宮様の御座所に近いので、さすがの子供たちも声高く笑ったり出来ないので、大変よろしい。
昼なども、通りに面しているので油断することなく気を配っていることになります。まして夜は、男性が通ってきやすい場所ですから、のんびりと落ち着いていられそうもないのが、とてもいいのですよ。

夜警の衛府官などの沓の音が夜通し聞こえてきますが、その中の一つが止まって、そっと指一本だけで戸をたたくのてすが、「誰それらしい」と、すぐに聞き分けることが出来るのが、可笑しいのです。
男がとても長い間たたき続けているのに、内で何の音もしないと、「『もう寝てしまったのか』と思われるのではないか」と中にいる女房はしゃくにさわるので、少し身じろぎして衣ずれの音をさせると、「起きているらしい」と男は思うことでしょう。
冬であれば、火桶にそっと立てる火箸の音も、「いかにも周囲に注意しているのですね」と周囲に聞こえるものですのに、外の男はいっそう激しくしたたくものですから、とうとう女も堪りかねて声を出して制しているのですが、そんな様子を、私は陰でにじり寄って聞いていることもあるのですよ。
また、多勢の声で詩を朗読したり歌などをうたってくる時には、戸をたたいたりはしませんが、こちらから先に開けていると、私の局に来ていただこうとは思っていなかった人も立ち止まってしまうのです。多勢すぎて座る場所もなく、立ったまま夜を明かすのも、なかなかに楽しいのです。

御簾がとても青々としゃれていて、添えて立てた几帳の帷子が実に色鮮やかで、帷子の裾の端が少し重なりあっていて、戸口からこぼれ出て見えているところに、直衣の背縫いの部分が、ほころんで大きくあいている若君たちや、六位の蔵人は制服の青色の袍などを着ていて、気安げに引き戸のそばに寄り添って立っていることもできず、表通りに近い塀の方に背中を押しつけて、袖を掻き合わせ緊張して立っているのが、可笑しいのです。
また、指貫がとても色濃く、直衣はとても鮮やかなものを着て、袖口からは様々な色合いの下襲や単衣をちらつかせた人が、簾ごと外から押し込むようにして半身を局の中に入れているような格好も、外から見ると、とても風情があるのでしょうが、その人がきれいな硯を引き寄せて、手紙を書いたり、鏡を借りうけて顔を直している様子などは、どれもこれもいいものです。

三尺の几帳を立てているのですが、簾の帽額(モコウ・簾の上縁に布を横に長くつけたもの)の下に、ほんの少し隙間があいているのですが、その隙間が、外に立っている人と内側に座っている人が話をしているお互いの顔のあたりにその隙間がびったりとあたっているので、可笑しくなってしまいます。
背が高い人や低い人などだったら、どうだったでしょうか。でも、並の背丈の人でしたら、きっと目が合うことでしょうね。

特にこの細殿は、賀茂の臨時の祭りの調楽の時などは、実に風情があるのです。
主殿寮の役人が、長い松明を高々とともして、寒いので首を襟の中にすくめて行くので、松明の先が物につき当たってしまいそうなのですが、楽しげに演奏し、笛を吹きたてて行くので、私たちも気をひかれているうちに、舞人や陪従の若君たちが晴れの装束で局の前に立ち止まり、女房に話しかけなどするので、お供の随身たちも立ち留まって、声をひそめて短く、自分の仕える若君のためにだけ先払いの声をかけているのも、歌や笛の音にまじっていつもより趣深く聞こえるのです。

なお戸を開けたままで、楽人たちが帰ってくるのを待っていると、若君たちの声で、「荒田に生ふる 富草の花・・・」(当時の風俗歌)と唱っているのが、往くときよりもう少し風情があり、何とまじめな人なのでしょう。その一方で、すたすたと歩いてさっさと退出して行ってしまう人もいるので、女房たちは笑うのですが、
「ちょっとお待ちなさいよ。『どうしてそんなに、この夜(世)を見捨ててお急ぎになるのか』ということがありますよ」などと言うものですから、気分でも悪くて倒れてしまいそうな様子で、「もしかすると、誰かが追いかけてきて捕まえられる」のかと見えるほど、大あわてで退出して行く人もあるようです。



よく登場する「細殿」とは、御殿の側面や後面などの「廂の間」を仕切って、女房の局などにあてた所をいいます。また、御殿をつなぐ細長い渡り廊下を指す場合もあります。
この章段に登場する細殿は、登花殿の西廂にあり、少納言さまの実体験に基づいています。少納言さま二十九歳の頃のことです。

局での生活の一端が描かれている章段ですが、少納言さまの「おばさま」ぶりが窺われたり、何よりも、宮中での人々の交わりはかなり自由であったようで、意外な気がします。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

職の御曹司におはしますころ

2014-12-09 11:00:00 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第七十三段  職の御曹司におはしますころ

職の御曹司におはしますころ、木立などの、はるかにもの旧り、屋のさまも、高う気どほけれど、すずろにをかしうおぼゆ。
母屋は、「鬼あり」とて、南へ隔て出だして、南の廂に御帳立てて、又廂に女房はさぶらふ。
          (以下割愛)


職の御曹司に中宮様がおいでになられた頃のことですが、庭の木立などが奥深く古色を帯びて茂り、建物の様子も、高くて何となく親しみが持てない感じですが、どういうわけか味わい深く感じられます。
母屋は、「鬼が棲んでいる」というので、そこは締め切って、南側に建て増しをして、南の廂の間に御几帳を立てて中宮様の御座所とし、又廂(マタヒサシ・さらに南にある廂。孫廂)の間に女房は伺候しています。

参内のため近衛の御門から左衛門の陣に参上なさる上達部(カンダチメ・上級貴族)の御前駆たちの警蹕(ケイヒツ)の声があり、それに比べて殿上人のそれは短いので、「大前駆、小前駆(オオサキ、コサキ)」とそれぞれ名前をつけて、聞いては私たちは大騒ぎをしていました。
それが度々のことなので、それぞれの声をみな聞き分けられるようになり、
「あれは何とかさんだ」
「これはだれそれだ」などと言うと、また、別の女房が
「違う違う」などと言うので、召使をやって見届けさせたりするのですが、言い当てた者は、
「やっぱりそうでしょう」などと言うのも可笑しいのです。

有明の月の頃、たいそう霧が立ちわたっている庭におりて、女房たちが歩き回るのをお聞きになって、中宮様もお起きになられる。
当番で御前に詰めている女房たちはみな端近くに座ったり、庭に下りたりして遊ぶうちに、しだいに空が白んでゆきます。

「左衛門の陣に、行ってみよう」と言って私たちが出かけますと、「私も」「私も」と他の女房も次々と話を聞きつけて一緒になって行くと、向こうから、殿上人が多勢で声高らかに、
「なにがし一声の秋」と詩を吟じながらこちらへ参上してくる音がするので、私たちは逃げ帰って、その殿上人たちと話などするのです。
「有明の月を鑑賞されていたのですね」などと感心して、歌を詠む殿上人もいます。

夜も昼も、職の御曹司に殿上人の姿が絶える時がありません。上達部まで、参内される途中に、特別のことがなく急ぐことのない方は、必ずこちらの職に参上なさるのです。



中宮御座所である職の御曹司の優雅な生活ぶりと、訪れる人が絶えない様子が描かれています。

しかしこの頃は、中宮定子の実父である関白道隆の死去以来、定子にとっては不遇の時が続いていました。この章段の場面は、中宮定子に第一皇女修子が誕生された後の明るいひとときが描かれているのです。

時代はすでに、藤原道長、そして彰子の時代へと動こうとしておりました。その流れを考えますと、本段の最後の部分は、少納言さまの渾身のレポートだったのではないでしょうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あぢきなきもの

2014-12-08 11:00:57 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第七十四段  あぢきなきもの

あぢきなきもの。
わざと思ひ立ちて、宮仕へに出で立ちたる人の、もの憂がり、うるさげに思ひたる。
養女の、顔憎げたる。
しぶしぶに思ひたる人を、強ひて婿どりて、
「思ふさまならず」と、嘆く。


いまさらどうしようもないもの。
自分から望んで、宮仕えに出てきた女房が、ふさぎ込んだり、宮仕えをおっくうがったりしているのは、困ったものです。
養女の顔が憎らしげなの。
婿になるのを渋っていた男を、無理に婿として迎えておいて、
「期待通りではない」と嘆いても、どうなるものでもありません。



感覚として分かりやすい章段です。
現代でも「味気ない」という言葉を遣いますが、ニュアンスは少し違うようです。

文中の「養女(トリコ)の、顔憎げなる」の部分ですが、自分の子供ならともかく、養女であれば選ぶことが出来るのだから、醜い子供だといって後悔しても自分の責任ですよ
、ということなのでしょう。
少納言さまのなかなか辛辣な一面が窺えます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

心ちよげなるもの

2014-12-07 11:00:10 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第七十五段  心ちよげなるもの

心ちよげなるもの。
卯杖の捧持。
御神楽の人長。
御霊会の振幡とか持たる者。


得意満面なもの。
卯杖を捧げ持っている舎人の得意そうな顔。
御神楽の人長舞をつとめる近衛舎人。
神楽の振り幡とかいうものを持っている者。



卯杖とは、正月初めの卯の日に、大舎人寮や兵衛府などから天皇、皇后、中宮、東宮などに奉った杖。桃や梅の木で作られ、邪気を追い払うまじないに用いられた。
なお、「捧持」を「法師」としている本もあるようです。

「心ちよげ」には、「気持ちよさそう」といった意味と、「満足そう」といった意味があります。
本段は短いものですが、どちらの意味として取るかで少しニュアンスが違ってきます。本稿では、「得意げで実力以上の姿を示そうとしているもの」と解釈しました。
その方が少納言さまらしいと思うのですが、如何でしょうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

御仏名のまたの日

2014-12-06 11:00:47 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第七十六段  御仏名のまたの日

御仏名のまたの日、地獄絵の御屏風とりわたして、宮に御覧ぜさせたてまつらせたまふ。ゆゆしう、いみじきこと、かぎりなし。
「これ、見よ、見よ」
と、仰せらるれど、さらに見はべらで、ゆゆしさに、小部屋に隠れ臥しぬ。

「雨いたう降りて、つれづれなり」とて、殿上人、上の御局に召して、御遊びあり。
道方の少納言琵琶、いとめでたし。済政箏の琴、行義笛、経房の中将笙の笛など、おもしろし。

ひとわたり遊びて、琵琶弾きやみたるほどに、大納言殿、
「琵琶、声やんで、物語りせむとすること遅し」
と、誦したまへりしに、隠れ臥したりしも起き出でて、
「なほ、罪は恐ろしけれど、もののめでたさはやむまじ」
とて、わらはる。


御仏名(ミブツミョウ・法会の一つ。十二月十九日から三日間行われる)の次の日、天皇は清涼殿より地獄絵の御屏風をお持ちになり、ずっと広げて中宮様にお見せになられました。その絵は私には大変気味が悪くて、堪らないことといったら、この上もありません。
「これをぜひ見よ。ぜひ見よ」
と中宮様がお命じになられますが、まったく拝見いたさず、あまりの気味悪さに私は小部屋に隠れ臥してしまいました。

その日は、「雨がひどく降って、退屈だ」ということで、殿上の侍臣を、上の御局に召されて、管弦の御遊びがありました。
道方の少納言は琵琶で、とてもすばらしいものでした。済政の君が箏の琴(ショウノコト・十三弦の琴)、行義が笛、経房の中将が笙の笛など、見事なものでした。

一曲演奏して、琵琶を弾きやめた時に、大納言殿が、
「琵琶、声やんで、物語せむとすること遅し」
と、吟誦なさったその時には、隠れて臥していた私も起き出してきて、
「やはり、屏風を拝見しないという仏罰は恐ろしくても、演奏のすばらしさには我慢しきれないでしょう」
と言って、皆さんに笑われてしまいました。



いやにしおらしい少納言さまが描かれていますが、出仕されて間もない頃のことのようです。

登場する大納言殿は、藤原伊周で中宮の兄であり、この時二十歳。中宮定子は十七歳。少納言さまが二十八歳の頃の出来事です。
伊周と定子の父道隆は関白職にあり、短い文章の中に栄華の片鱗が窺えます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

頭の中将の・・その1

2014-12-05 11:02:14 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第七十七段  頭の中将の・・その1

頭の中将の、すずろなるそら言をききて、いみじういひおとし、
「『なにしに、人と思ひ、褒めけむ』など、殿上にて、いみじうなむのたまふ」
と、きくにも恥づかしけれど、
「まことならばこそあらめ。おのづからききなほしたまひてむ」
と、笑ひてあるに、黒戸の前などわたるにも、声などするをりは、袖をふたぎて、つゆ見おこせず、いみじう憎みたまへば、ともかうもいはず、見も入れですぐすに、二月晦がた、いみじう雨降りて、つれづれなるに、御物忌にこもりて、

「『さすがに寂々しくこそあれ。ものやいひやらまし』となむ、のたまふ」
と、人々語れど、
「世にあらじ」
など、いらへてあるに、日一日、下に居暮らして、まゐりたれば、夜の御殿に入らせたまひにけり。
          (以下割愛)


頭の中将が、いい加減な私に関する根も葉もないうわさ話を聞いて、私をひどく言いけなし、
「『どうして、まともな人間だと思ってほめたりしたのだろう』などと、殿上の間で、ひどいことをおっしゃってますよ」
と、人から聞くだけでも恥かしいのですが、
「うわさが本当のことなら仕方もないですが、そのうち本当のことが耳に入り、機嫌を直してくれるでしょう」
と思い、笑ってそのままにしていたのですが、頭の中将は黒戸の前などを通る時にも、私の声などがする時には、袖で顔をふさいで、全然こちらに視線を向けず、ひどくお憎みになるので、私の方でも、どうもこうも言わず、目にもとめないで過ごすうちに、二月の末、ひどく雨が降って所在ない折に、頭の中将が宮中の御物忌に籠っておられて、

「『交際を断っていると、さすがに寂しくて仕方がない。何か言ってやろうか』とおっしゃっている」
と女房たちが私のところにきて話してくれるのですが、
「まさか、そんなことはないでしょう」
などと、あしらってそのままにしているうち、一日中、自室でじっと過ごしてしまい、夜になって参上したところ、中宮様はもう御寝所にお入りになられていました。

女房たちは長押の下の間に、ともし火を近く取り寄せて、扁を継いでいる。(漢字の扁を示して、旁を次々加えていく遊びらしい)
「まあうれしい。早くいらっしゃいな」
などと、私を見つけて言うけれど、中宮様がご不在では興ざめな気持ちがして、「何のために参上したのだろう」と思ってしまいます。
炭櫃のそばに座っていますと、そこにまた女房たちが多勢集まってきて座り、お話などしていますと、
「誰それさんはおいでですか」(本当は清少納言を呼んだのを、故意に名を伏せた形をとっていると思われる)
と、とても派手な声で私を呼ぶのです。

「妙なことですねぇ。こちらに上がったばかりなのに、いつの間に私がいるのが分かったのでしょう。何の用事が出来たのでしょうか」
と若い女房に尋ねさせると、主殿(トノモリ)の官人が来ているという。
「少々、あなた様に直接申し上げねばならないことがあります」
と言うので、出て行くと、主殿寮の官人が言うには、
「これは頭の中将様があなたにお差し上げになります。ご返事を早く」
と言う。

「ひどく私をお憎みになっていらっしゃるのに、いったいどんな手紙だろうか」と思うけれど、今すぐに、急いで見るほどのことでもないので、
「もう、お行きなさい。すぐにご返事申し上げますよ」
と言って、ふところに入れて、そのまま続けて女房たちの話を聞こうとするかしないかのうちに、先ほどの官人が引っ返して来て、
「『ご返事がないのならば、さっきのお手紙を頂戴して来い』とお命じになります。御返事を、早く早く」と言うのです。
「まるで、かいをの物語じゃないの」(「かいをの物語」は不詳。このあたり諸説あるようですが、どれもしっくりきません)
と冗談を言って、手紙を見ますと、青い薄様の美しい紙に、とても麗しくお書きになっています。絶交宣言といったような、心配するような内容ではなかったのです。

「蘭省花時錦帳下」(白楽天の詩で、「はなやかな中央の官庁の錦の帳の下で、あなた方はさぞ楽しいことでしょう」といった意)
と書いてあって、「下の句は、いかに、いかに」とありますので、どうしてよいものかと困ってしまいました。
「中宮様がいらっしゃれば、お目にかけたいのですが、この下の句を、誰でも知っているような有名な詩を物知り顔に、へたくそな漢字で書くのも、全く見苦しいことですし」などと、あれこれ思案する暇もなく、主殿寮の官人がしつこく催促しますので、とりあえず、その手紙の奥の余白に、炭櫃に消え炭があるのを使って、
「草の庵を誰かたずねむ」(当代随一の歌人、藤原公任の句を借りたもの)
と書きつけて渡しましたが、それっきりで、ふたたび向こうからは返事も来ませんでした。

皆寝てしまい、あくる早朝、大急ぎで自分の局に下がっていましたら、源の中将の声で、
「ここに『草の庵』さんはいるか」と仰々しい言い方をしますので、
「変なことを言われますね。どうして、そんな人並みにもならない者がいましょうか。『玉の台』とでも言って、お訪ねになりましたら、返事もいたしましょうに」
と答えました。

「ああ、よかった。自室ということでしたねぇ。御前の方で聞いてみようとしていたのです」
と言って、
「昨夜の事の次第はですね、頭の中将の宿直所に、少し気の利いた者は全部、六位の蔵人までも集まって、いろいろな人のうわさを、昔、今と話しあっている時に、頭の中将が、
『やはりこの女(ヒト)とは、ぷっつり縁が切れてしまってからはどうも不便なことだよ。もしかしたら、向こうから何か言って来ることでもあるかと期待をしていたが、少しも気にかけた様子もなく、平気な顔をしているのも、随分しゃくにさわる。今夜は、悪いにしろ良いにしろ、はっきりと結論を出してしまいたいものだ』と言って、一同相談の上で届けた手紙を、
『今ここでは見まい、と言って中に入ってしまった』と、主殿寮の官人が言うので、また追い返して、『いきなり、手をつかまえて、有無を言わせずに返事を強引に受け取って帰ってくるのでなければ、手紙を奪い返せ』と頭の中将が厳しく言い聞かせて、あれほどひどく降る雨のさかりに使いにやったところ、いやに早く帰って来て、
『これです』と言って差し出したのが、さっきの手紙なものだから、
『返して寄こしたんだな』と言って頭の中将が一目見るや否や、叫び声を上げたので、『何なんだ』『どうしたんだ』と、みなが寄ってきて見たところ、
『大泥棒めが。これだから、やはり無視するわけにはいかないんだ』と言って、皆が見て大騒ぎとなり・・・」


       (その2に続く)  
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

頭の中将の・・その2

2014-12-05 11:00:27 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          (その1からの続き)

「『少納言が送ってきた句に、上の句を付けて送ろう』
『源の中将つけよ』などと、夜が更けるまであれこれと付けあぐんだ挙句、打ち切りになってしまったんですよ。
『このことは、これから先、きっと語り草となることだ』などと、皆の意見は一致したのです」
などと、源の中将はとても気恥かしくていたたまれないほど、くどくどと私に話して聞かせて、
「改めて、あなたのお名前を『草の庵』と、付けましたよ」
と言って、急いでお立ちになってしまったので、

「何ともみっともない名前が末代まで伝わるなんて、情けないことだわ」
と言っている時に、修理の亮則光(かつての清少納言の夫)が、
「大いにお礼を申し上げたくてね、『上の御局におられる』と思って、そちらに参上してしまったのです」と言うので、
「どうしたのです。司召(ツカサメシ・臨時の除目)などがあるとも伺っていませんのに。何におなりになったのですか」と聞きますと、
「いえいえ。本当にとてもうれしいことが昨夜ありましたのを、早く知らせたくてわくわくしながら夜を明かしましたよ。これほど面目を施したことは今までありませんでしたよ」
と、先ほど書いた事柄を、源の中将がすでにお話になったのと同じ話をしたうえで、

「『ただこの返事次第で、こかけをしふみし(この部分意味不詳・・一説には、清少納言を宮中から追い払う手段とも)、一切そんな者がいたとさえ思うまい』と、頭の中将様がおっしゃったので、その場にいる者全員で、いろいろ考えたうえで、使者をお送りにになったのですが、使いの者が手ぶらで帰ってきた時は、むしろよかったのです。二度目に返事を持って帰ってきた時には、
『どうなることか』と胸がさわぎ、『本当に出来の悪い返事なら、兄(二人は夫婦であったが、世間では兄妹と呼ばれていた)である私にとっても不幸なことになるだろう』と心配したが、なみ一通りのことではなく、多勢の人が褒めるやら感心するやらで、
『兄よ、こっちに来なさい。これを見てみよ』と頭の中将様がおっしゃったので、内心は大変うれしかったのですが、
『私は詩歌の方面には、とてもお仲間入りできそうにもない身でございます』と申しあげたところ、

『意見を述べよとか、理解せよとか言うのではない。ただ、当人に話してやるために聞かせるのだよ』とおっしゃったのは、兄としては少し情けない立場でしたが、皆さんが上の句をつけようと工夫しても、
『うまい文句が見つからない』
『それに、これだけのものに、返しをするべきだろうか』などと相談し合い、
『へたな返歌をして、ぶち壊しだと言われては、かえって残念だろう』というわけで、夜中までも相談し合っていましたよ。
このことは、私にとっても、あなたにとっても、大変な喜びではありませんか。司召に少々良い官を得ることなどは、これに比べれば、うれしくとも何とも思いませんよ」と言うので、
「なるほどね、多勢でそんな企みがあろうとも知らないで、うっかり返事をしたら、恥をかくところだったんだわ」と、冗談だったにせよ、胸が苦しくなるように思いました。
この「妹」「兄」と言う呼び方は、天皇まですっかりご存知で、殿上でも、官名では呼ばず、「兄」という、あだ名で呼ばれていたのです。

同僚の女房たちと、話などしながら座っている時に、
「ちょっと」と、中宮様がお召しになったので、御前に参りますと、「先夜のことを、おっしゃろう」ということでした。
「お上が大笑いされて、私にそのことをお聞かせになりましたし、殿上の男たちはみな、扇にあの句を書きつけて持っているのよ」などと仰せになるにつけても、
「あきれてしまいました。それにしても、何者が私にあの句を思いつかせたのでしょうか」と不思議でした。

このことがあってから後は、袖の几帳(前述の「袖をふたぎて・・」からの比喩)なども取り捨てて、頭の中将は私に対して機嫌をお直しになったようです。



頭の中将との相当激しいバトルがあったようです。
この頭の中将とは、藤原斉信(フジワラノタダノブ)のことで、この時二十九歳。少納言さまより一つばかり年下だったようです。
彼は、後に大納言にまで昇進しており、上級貴族の家柄であり、少納言さまと年格好も似ていることから、彼女の才たけた部分で気に入らないことがあって、このようなバトルが展開したのでしょうね。

それにしても、少納言さまの教養の高さと機知に富んでいる様子がよく分かる場面ですが、同時に、なかなかに、お気の強いことが窺われます。
現代の女優さんにたとえれば、どなたにあたるのでしょうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

返る年の

2014-12-04 11:00:14 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第七十八段  返る年の

返る年の二月廿余日、宮の、職へ出でさせたまひし御供にまゐらで、梅壺にのこり居たりし、またの日、頭中将の御消息とて、
「昨日の夜、鞍馬に詣でたりしに、今夜、方の塞がりければ、方違ヘになむいく。まだ明けざらむに、帰りぬべし。かならずいふべきことあり。いたう叩かせで、待て」
と、のたまへりしかど、
「局に、ひとりは、などてあるぞ。ここに寝よ」
と、御匣殿の召したれば、まゐりぬ。
          (以下割愛)


あくる年の二月廿日過ぎに、中宮様が、職の御曹司にお出ましになられた御供についていかないで、梅壺に居残っておりましたが、その翌日、頭の中将のお手紙ということで、
「昨日の夜、鞍馬寺へ参詣しましたが、今晩、方角がふさがっていたので、方違えによそへ行きます。明朝まだ夜が明けないうちに、京に帰り着くつもりです。ぜひお話したいことがあります。あまり局の戸を叩かせないように待っていて下さい」
と、おっしゃったのですが、
「自分の局に一人ぼっちとは、どうしてそんなことをするの。こちらで寝なさい」
と、御匣(ミクシゲ・中宮定子の妹君か)殿がお召しになったので、そちらに参上してしまいました。

すっかり寝坊してしまい、起きてから自室に下がってきますと、下仕えの女が、
「昨夜、どなたかが随分戸を叩いておられました。やっとのことで起きてまいりましたら、『上の局に行かれたのか。それなら、こうこうだと申しあげてくれ』とのことでしたが、お取次をしても『よもやお起きになりますまい』と思いまして、寝てしまいました」と話す。
「気のきかないことだなあ」と思いながら聞いていますと、使いとして主殿寮の官人が来て、
「頭の殿からのお言伝でございます。『今すぐ退出するのだが、お話したいことがある』とのことです」と言うので、
「しなくてはならないことがあって、上の局にあがっています。そちらで」と言って、使いを帰しました。

自分の局では、「戸を開けて入って来られるかもしれない」と気が気でなくて面倒なものですから、梅壺の東面の半蔀を上げて、
「ここにおります」と申し上げますと、頭の中将は実にすばらしいお姿で門の方から出ていらっしゃいました。
桜の綾の直衣がたいそう華やかで、裏の艶などは、何ともいえぬほど清らかで美しいのをお召しになり、葡萄染(エビゾメ・浅い紫色)のとても濃い色の指貫には、藤の折枝が絢爛豪華に織り散らしている紋様で、下の衣の紅の色や、打ち出した光沢などが輝くばかりに見えます。
白いのや薄紫色のなどの下着が、その下にたくさん重なっています。
狭い縁に、片足は縁から下におろしたままで、上半身は少し簾のもと近くに寄って座っておられる様子は、まことに、「絵に描かれたり、物語の中でのすばらしい姿として語られているのは、まさしくこのようなお姿なのだ」と見えました。
御前の梅は、西のは白く、東のは紅梅で、少し散りかけになってはいますが、まだまだ美しく、うらうらと日差しものどやかで、人に見せたいような風情のある情景です。

御簾の内側に、私などではなく、もっと若々しい女房などで、髪が麗しく肩あたりにこぼれかかっていたりしていて、外の中将と気のきいた受け答えなどをしているのであるなら、今少し情緒があり、見所もあるのでしょうが、すっかり盛りを過ぎ、とても古くさい女が、髪なども自分のものではないのか、ところどころが縮れたりまばらになったりしていて、それに今は喪に服している時なので、目立たない薄い鈍色(ニビイロ・ねずみ色)の表着に、色合いもはっきりしない際衣(キワギヌ・不詳、季節に合わせた服の意味か)などをたくさん重ねて着てはいても、全然引き立って見えないうえに、中宮様がおいでにならないので、正装である裳もつけないで、袿姿で座っている状態ですから、せっかくの風情をぶち壊しにしていて、残念なことです。

「中宮職へ参上します。伝言はありますか。あなたは、いつ参上するのですか」などと、頭の中将はおっしゃる。
「それにしても、昨夜は明けてしまわないうちに、『いくらこんな時刻ではあっても、前もって伝えているのだから、待っているだろう』と思って、月が大変明るい頃に西の京という所から帰ってきて、すぐに局を叩いたところ、留守居の女がやっとのことで寝ぼけまなこで起きて来た様子や、その応対の無愛想なことといったら」などと話して、お笑いになる。

「何とも、がっかりしてしまったよ。どうしてあんな者を雇っているのか」とおっしゃる。
「なるほど、そうであったのか」と、可笑しかったり、お気の毒だったり。
しばらくして、頭の中将は出ていかれました。そのすばらしいお姿を、外から見ている人があれば興味をひかれて、「部屋にはどれほど美しい女性がいるのだろう」と思うことでしょう。
反対に奥の方から見られているとしたら、私の後ろ姿からは、「外にあれほどすばらしい男性がいようとは」思いもつかないことでしょう。

日が暮れてから、中宮職に参上しました。
中宮様の御前に女房たちが多勢集まり、殿上人らも伺候していて、物語の良し悪し、気に入らない所などを品定めしたり批判したりしていました。
『うつぼ物語』の主人公である涼や仲忠などについては、中宮様までが短所や長所など、お考えを述べられていました。

「さあ、これはどういうことか、早く弁護をして下さいよ。中宮様は、仲忠の幼い頃の生い立ちの賤しさを、しきりに仰せになるのですよ」
などと女房の一人が言うので、
「どうしてどうして、琴なども天人が天くだるほどに弾きましたし、仲忠はそんな下品な人ではないですよ。涼は仲忠のように帝の御娘を手に入れましたか」と言うと、仲忠びいきの人たちは勢いを得て、
「そら,御覧なさい」などと言っていると、中宮様が、
「そのような話よりも、昼に斉信(頭の中将)が参上した時の様子をそなたが見ていたら、『どれほど夢中になって褒めることだろう』と思いましたよ」と仰せになると、女房たちは、
「そうですよ。本当に、いつもよりもずっとすばらしかったのですよ」などと言う。私は、
「『何より先に、斉信様のことを申し上げよう』と思って参上いたしましたのに、物語のことに紛れまして」と、梅壺の東面でのことを申し上げると、
「私たち皆が見ましたが、あなたのように縫ってある糸や針目までも見通すほどは詳しくはみていませんわ」と言って笑う。

「頭の中将が『西の京という所の風情溢れることといったら。一緒に眺める女性があればなお風情が増したことだろう、と思いましたよ。垣などもみな古びて、苔が生えていましてねぇ』などと話されると、宰相の君が『瓦に松はありましたか』と応じたのを、頭の中将が大変感心され、『西の方、都門を去れること、いくばくの地ぞ』と口ずさんだのですよ」
などと、女房たちがうるさいほどに私に話してくれる様子などは、実に楽しいことでした。



この章段も、頭の中将との話です。
今回は、上流貴族である中将のすばらしい衣装が紹介されています。
少納言さまの家系は、一般庶民からいえば雲の上のような存在ですが、宮中にあっては中流の家系に過ぎません。「兄」と呼ばれていた夫も、六位、五位といった身分ですから、上流貴族からは程遠い身分といえます。

少納言さまは、絢爛豪華な生活を送る上流貴族たちと、どのような気持ちで接し、それを観察していたのでしょうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

里にまかでたるに

2014-12-03 11:00:06 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第七十九段  里にまかでたるに

里にまかでたるに、殿上人などの来るをも、やすからずぞ、人々はいひなすなる。いと有心にひき入りるおぼえ、はたなければ、さいはむも憎かるまじ。
また、昼も夜も、来る人を、なにしにかは、「なし」とも、かがやき返さむ。まことにむつまじうなどあらぬも、さこそはめぐれ。
あまりうるさくもあれば、「このたび、いづく」と、なべてには知らせず、左中将経房の君、済政の君などばかりぞ、知りたまへる。
          (以下割愛)


里に退出している時に、殿上人などが訪れるのを、ただ事ではないと、女房たちはあらぬ噂を立てるようです。私の場合は、特に思慮深く隠し事をしている覚えはさらさらありませんので、そのようなことを言われても腹など立ちません。
そうは言っても、昼も夜も訪ねて来る人を、どうしてそうそう「不在です」などと、恥をかかせて帰らせることが出来ましょうか。それほど親しくない人でも、そんなふうに訪ねてくるようですからね。
あまりにも煩わしいので、「このたびは、どこそこにいる」と、一般には知らせないで、左中将経房の君、済政の君などだけが知っていらっしゃいます。

左衛門尉則光(実質的な夫。まわりの人は兄・妹と呼んでいた)が訪ねてきて、世間話などしているうちに、
「昨日、宰相の中将(斉信・七十七段の頭の中将と同一人物)が参内なさって、『妹(清少納言のこと)の居所を、いくらなんでも知らぬはずはあるまい。教えよ』と、しつこくお聞きになったので、まったく知りませんと申し上げたのに、無理にも白状させようとなさったのですよ」などと話し、
「身に覚えのあることは、それを隠しだてするのは、とても苦しいものですねぇ。危うく口を割りそうだったのに、左の中将は、全く無表情で、素知らぬ顔で座っておいでになったのですが、もしあの方と少しでも目を合わせれば笑い出してしまいそうで困ってしまい、食卓の上にわかめがあったのを取って、どんどん食べてごまかしたので、他の人は『食事時でもないのに、変な物を食べているなあ」と見ていたことだろうね。
それでも、そのお陰で、ありがたいことにあなたの居所を『どこそこ』とは申し上げずにすみましたよ。もし笑い出していたら、駄目だったでしょうね。
『本当に知らないらしいな』と宰相の中将が思われたのも、とても可笑しかったですなあ」などと話すので、
「絶対に、話さないで下さいよ」と念を押してから、数日が経ちました。

夜が大分更けてから、門をひどく乱暴に叩くので、『何者が、こんなに無遠慮に、遠くもない距離にある門を音高く叩いているのか』と、使用人に確かめさせると、それは滝口の武士だったのです。
「左衛門の尉のお使いです」と、滝口の武士は手紙を持って来ていました。
家人はみな寝ているので、灯火を取り寄せて手紙を見ますと、
「明日、御読経の結願の日ということで、宰相の中将が、御物忌に籠っていらっしゃいます。『妹の居る場所を教えろ、教えろ』とお責めになるので、もう、どうしようもありません。もはや、隠し通せません。『こうこうです』とお教えしましょうか。どうしましょう。あなたの言われるようにします」と書いてある。
その返事は書かずに、わかめを一寸くらい紙に包んで持って行かせました。

その後、則光がやって来て、
「先夜は宰相の中将に責めたてられて、あちらこちらと適当な所にお連れして歩き回ったのですがね。もう、むきになって責められるので、まったくやり切れません。
ところで、どうして、私の手紙に全く答えもしないで、つまらぬわかめの切れ端など包んで下さったのか。変な包み物だねぇ。そんな物を包んで送るということもあるのですか。何か行き違いがあったのかな」などと言う。
「全然分かっちゃいなかったんだ」と思うと、気に入らないので、物も言わないで、硯箱にある紙の端に、

『かづきする あまのすみかを そことだに
     ゆめいふなとや めを食わせけむ』
 (海に潜る海女のように隠れている私の住処を、そこ(底)とさえ絶対
  に言うなと、目配せをするという意味を込めて、芽を食わせたのでしょう)

と書いて御簾の外に差し出したところ、
「歌をお詠みになったのですか。絶対に拝見いたしますまい」
と言って、扇で紙をあおぎ返して逃げ去ってしまったのです。

このように親しくつき合ったり、互いに後ろ盾になったりしているうちに、何というわけでもないのですが、少し仲が悪くなってきていた頃、手紙を寄こしてきました。
「たとい不都合なことなどありましても、やはり兄妹と固い約束をした気持ちは忘れないで、はた目には『兄妹の仲が続いている』ように扱って欲しいと思っています」と書いてありました。
則光がいつも言うことには、
「私を思って下さる女性は、歌なんか詠んで寄こしてはならない。そんな人はすべて、仇敵だと思います。『いよいよ、これが最後で、別れよう』と思う時にこそ、歌なんかを読めばいい」などと言っていたので、この手紙の返事として、

『くづれよる 妹兄の山の 中なれば
     さらに吉野の 川とだに見じ』
 (吉野川の両岸に相対している妹山と兄山が、互いに崩れて近付けば、吉野川は川(彼は)には見えない。つまり、崩れかけた二人の仲ですから、もう仲良しのあなたという扱いは出来ない、といった意)
   
と書いて送っておいたのですが、、本当に見ずじまいだったのでしょうか、返事もないまま終わってしまいました。

その後、則光は五位に叙爵されて、遠江の介となりましたが、腹立たしい気持ちがおさまらず、それきり縁切りとなってしまいました。



左衛門尉則光は、橘氏の氏の長者の長男であり、名門の御曹司ともいうべき人物です。
この人が少納言さまの最初の結婚相手で、少納言さまが十六歳、則光は十七際の頃と推定されています。
少納言さまの生家、清原氏も名門であり、官位などもほぼ似通った家同士と思われます。ただ、時代は藤原氏の全盛期であり、いくら名門といっても両家にとっては恵まれないことの多い時代だったことでしょう。

この章段では、この二人の別離の経緯が描かれています。
二人の間には男の子が一人おりましたが、結婚生活は二、三年で破たんに至ったようです。淡々と描かれていますが、少納言さまはまだ十代であったと思われ、その心情は決して平安なものではなかったことでしょう。

なお、本段では則光を左衛門尉と書かれていますが、この頃はまだその役に就いておらず、記述時の官位を用いているようで、そのような表記は他にもいくつも見られるようです。

また、最後の部分ですが、則光の昇進がお気にいらないようですが、どうやら少納言さまは、六位の蔵人があまり熱心に仕事をせず、実入りの良い地方の役人である受領を望む風潮がお気に召さなかったようです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする