人や場に対する警戒心が強いために、さほど発達上の問題は感じられなくても
集団生活でうまくいかないことが多い子がいます。
うまくいかないから自己肯定感が下がって、
自己肯定感が下がるから自分の気持ちを素直に表現できなくなって、
さらに集団での活動がストレスになっていく……という悪循環に陥りがち。
そうした子が虹色教室に来ると、最初のうちはやっぱり緊張していて、
周囲に対してバリアを張った状態で、閉鎖的な遊び方をします。
狭い同じ部屋にいながら、きょうだい間でだけ打ち解けて、友だちやわたしと
一定の距離を保ち続ける子らもいます。
最初のうち……だけでなく、そうした緊張状態がずいぶん長く続く子もいます。
「そうした子にどう接したらいいですか?」
「どうしたら緊張しないようになりますか?」と問われると答えに困るけれど、
わたしが「お母さん」ではない第三者だからこそ、役に立てることはあります。
外の世界とその子の世界の境界面に立って、外と内との橋渡しをすることです。
境界面に風穴を開けて、内と外の風通しをよくすることともいえます。
この橋渡しの瞬間、風穴が開く瞬間というのは、たいてい、
無意味で無駄で停滞しているように見えたり感じられたりする時間に
起こります。ショッキングな辛い出来事がきっかけとなることも多々あります。
なぜって、緊張している子が閉鎖的な自分の世界で遊んでいるのは、
その状態が安心で心地よくて自由だからでしょうから。
もし、外からほかの子と一緒にする活動を求められたり、
内から「他と関わりたい」という衝動に突き動かされたりしたら、
ゆったりリラックスして過ごすことはできないでしょう。
たとえ自分自身の好奇心から外の世界へ踏み出したい場合でも、
安全が脅かされて、不快な気分になったり、
イライラしたり、キレやすくなったり、陰鬱で頑固になったりするはずです。
そんなときに、外からは、雰囲気が悪くなっていく中で
これといったことをするでなく、後味が悪いまま時間が過ぎていったように見えても、
緊張が強いその子とわたしの心と心は、それまでにないほど近づいて
絆のようなものが生じたのを実感することがあります。
「互いに共有する物語を持った」と言った方がいいかもしれません。
経験的にわたしは、子どもの変容のプロセスの始まりを垣間見たのだろう
と捉えています。
といって、あまりに取るに足らないような主観的なものなので、
言葉にするとなると気が引けるのですが、
緊張の強い子たちが外の世界で自分らしくいきいきと振舞うようになっていく
プロセスはとても似通っていて、
始まりはいつも、誰も目にとめないようなつまらない出来事です。
緊張が強い子が、ほかの大人や子どもがいる場で、過度に不安がったり、
新しいことへの参加を拒んだり、ちょっとしたことでピリピリしたり、
不必要なほど頑固になったりするのは、さまざまな原因が考えられます。
神経の細かさや高ぶりやすさのせいで内向的な態度が強くなっているのかもしれないし、
触角の過敏さなど感覚統合の問題を持っているため
人に近づくことに防衛的になっているのかもしれないし、
想像力の弱さがあるため未知のことに不安を覚えるのかもしれません。
育ってきた環境や経験の量や親子関係の問題で、本来なら「ちょっと内気かな」と
感じるくらいの性質が融通のきかないものになっていることもあるでしょう。
子どもをほかの子らがいる場に連れて行っても、一緒に楽しそうに遊ぶどころか、
怯えたり、イライラしたり、親の背後で固まったままだったりすると、
「何もしないのに、わざわざ連れていくべきなのかな?」
「育て方に問題があるのかな?」「子どもの発達に問題があるのかな?」と
親自身も葛藤や迷いで身動きできなくなるかもしれませんね。
『プレイセラピー 関係性の営み』の著者、ゲリー・L・ランドレスによると、
子どもには生まれながらに自己実現傾向というものが備わっていて、
そこから学びと変化へ向かう動機づけが生じるそうです。
環境への不適応を起こしていた子どもが変化していくプロセスについて、
ゲリーは次のように語っています。
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それまでとは違った自己に向かうこうした動きは、セラピストの暖かさや関心、
注意、理解、純粋性、共感を子どもが感じ取ると、それに促されて始まります。
心理的な態度が動きを促すというこの傾向によって、子どもは自己志向的に
行動するために、そして自分の自己概念や基本的な姿勢を変化させるために、
自分自身のものすごい量の資質をあてにすることができるようになるのです。
このように、変化するための能力は子どもの中にあり、セラピストが方向づけや忠告、
情報を提供した結果として生じるものではありません。ロジャースが表現したように、
「もし私がある種の関わりができたなら、個人的な発展が生じるだろう」
ということになります。
『プレイセラピー 関係性の営み』P58(ゲリー・L・ランドレス著/日本評論社)
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