勉強が好きになるまでのプロセス 4で、敏感な子についてこんなことを書きました。
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「相手と自分の気持ちが強烈に迫る状態」を解除していくことと、相手と自分の気持ちを強烈に味わいながらも、それを楽しみ、それによって自分のエネルギーを最大限に発揮していける状態にしていくこと
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これについて、勉強が好きになるまでのプロセス 9で少しだけ説明したのですが、別の面から言葉にしておこうと思います。
北海道大学の戸田竜也先生が、『教育』という冊子のなかで、自己肯定感について、こんな指摘をしておられます。
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きょうだいは、親だけでなく、祖父母や関係する支援者などからも「しっかりしている」「障害のある子どもの面倒を見て偉い」等評価されることが多い。
きょうだいは、自分のポジティブな側面が評価されることを学習する一方、「自分の弱さ」をそれらの人たちに受け入れられた経験・機会に乏しい。
ゆえに、あるときにはだらしなく、親にあまえたり、弱さもある「ありのままの自分」が、親や周囲の人たちに受け入れられるということに確信がもてないのである。
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この指摘は、障害児の「きょうだい」支援についての文脈で書かれたものですが、きょうだいに障害のある子がいなくても、
完璧主義の子、五感や人との関わりに過敏なところがある子、幼児期から評価や結果を比べる環境に育った子、過剰に適応がいい子、いわゆるおりこうさんタイプの子に対しても、十分すぎるほどの配慮が必要なところだと感じています。
今回の記事では、完璧主義の子、五感や人との関わりに過敏なところがある子に焦点をあてて書いていくことにします。
ごく一般的な子の場合、「褒めて育てる」ことは、自己肯定感を育むことにつながるものです。
でも、完璧主義の子や五感や人との関わりに過敏なところがある子は、褒められると、褒められるような相手の求める自分しか外に出せなくなってしまいがちなので、適度な配慮が必要です。
相手の求める自分しか出せなくなるのと正反対のようで、同じようなタイプの子が陥りがちな態度に、理想的な自分が出せない場面で、パニックを起こしたり、自分のなかに引きこもってしまったりするというものがあります。
もしかして期待通りの自分が出せないかもしれないという不安で、反抗的なムスッとした態度を取ったり、バカ騒ぎをしたりすることもあります。
特に、「相手の気持ちも自分自身の好き嫌いも強烈にせまってしまう」という葛藤を抱える子は、非常に幼い時期から、ありのままの自分を表現するのが難しいように見えます。
大人の気持ちをいち早くキャッチして、「期待通り動かなくてはいけない」という思いに縛られる一方で、年齢以上に自分の意志や好みがはっきりしていて、自分を束縛する外の刺激に対しても、外の期待を裏切りたい自分自身に対してもいらだちを感じているようです。
2,3歳であっても、「こうして、こうして、こうしよう」といった何手順かの行動のイメージを持って動いているのに、大人が自分に何を求めているかも即座に気づくため、
自分のしようとしたことをしょっちゅう中断されて、ちょっと緊張気味に大人にあわせています。
でも、自分の意志で動きたかったという気持ちはなかなか消えないようです。
おまけに、大人が自分が喜んでいることや楽しそうにしていること期待しているのを感受するため、自分自身に対するいらだちを募らせたり、
「うれしい、面白い、楽しい、わくわくする」といった感情をあまり表さなくなったりします。
一方で、同じ理由で、ずっと激しいかんしゃくを起こし続けて、リラックスして遊べなくなる場合もあります。
そうしたときに、大人がそうした子の性質をよく理解して、子どもがありのままの自分を出しやすいよう調整してあげると、激しいかんしゃくばかり起こしていた子は、真反対の終始穏やかで落ち着いた子になるし、
何をするのもイヤイヤ取り組んでいた子が、これも真反対に、長い時間、集中して物事に取り組むようになったりするのです。