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浮きこぼれの問題について、次のようなコメントをいただきました。
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小1になる息子は、目を輝かせて入学したのもつかの間、学校の授業全般が物足りず、今ではやる気をなくしてしまっているようで無気力でイライラしやすくなってしまったようです。
毎日話を聞いていると、算数、国語も、体育(水泳、鉄棒など)、いずれにしても簡単すぎて新しく学ぶことがほとんど無いらしく、どれも実力以下のことしかさせてもらえず、ただいひたすらお友達が叱られたり個人指導を受けて理解できるのを待つ時間のようで、本当に無気力にならざるを得ない状況のようです。
先日偶然見かけた授業の様子から、どうしたものかさまよっているうち、浮きこぼれという言葉があることを知りました。
決してうちの子がとびぬけてよくできるという意味ではなく、普通に良く遊んで過ごした子なら、6人お友達がいて2人帰ったら残りは何人になるかといった問題は少しの手助けがあればわかるような気がするのですが、なかなか理解にいたらない子も少なからずいるようです(障害などは無いです)。
わが子の通った幼稚園は全くの自由保育で、ひたすら遊ぶのみでしたが、逆に自分の限界に存分に挑戦できたようで毎日嬉々として通っておりました。
しかし今の公立の小学校ではそれは適いません。入学4日目から毎日5時間授業で帰宅が3時半くらい。おやつを食べて同じく簡単な(しかし、塗り絵や覚えてしまいそうな1桁の計算カードなどが延々とあります)宿題を終えると4時半くらい。5時にはお風呂に入らないと翌朝早いので起きられません。こうなるとほとんど遊ぶ時間が取れません。
親の私が見ていてもこれまでのキラキラした目の輝きが最近急激にどんよりと曇り、いまどきの小中学生の目のように覇気の無い様子になってきてとても困惑しています。気分もイライラするようで家族にあたったり泣いたりすることも増えたように思います。
お友達や先生との関係はとてもうまく行っていて問題は無いのですが、今は長時間のルーチンワークばかりで、毎日頭も体も使き切れず人生初めて退屈で絶望している様子です。
私がこちらのブログで学んだような何かを面白い取り組みをさせてやりたくても、宿題をまじめにしていてはその時間が取れません。見ていてもかわいそうに思ってしまいます。
おそらくこういった状況はどの小学校でも起こっていることと思いますが、こういった状況を少しでも興味深い時間にするにはどういった方法がありますでしょうか?
今は、もうじき訪れる夏休みだけはできる限り自由に好きなだけ遊ばせてやりたいと思っております。
私自身小学生だったときのことを思いだすと、朝提出された宿題の丸付けを先生の代わりにさせてくれたりしながら片耳で授業を聞いていたりして授業時間を過ごしていました。これも先生の工夫だったのだと思います。でも今はきっとそんなことは問題になるのでしょうね。
せめてただ待つだけの時間は、読書にあててよいなどの対策があるといいなと切に願ってしまいます。何かよい案がありましたら、無気力で学校が嫌になってしまうまえにぜひ教えていただきたいと思っております。よろしくお願いします。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
浮きこぼれについての悩みは、
ぜいたくでずうずうしいものと解釈されることも多く、
解決するのは難しいですよね。
もし私が、子どもたちが夢中になって見ている幼児向けアニメを
何時間も真剣に見るように強いられたとしたら、
とても集中力が続かないし、ストーリーも登場人物の名前もうろ覚えのまま
意欲の薄い状態でテレビ画面を追い続けることになると思います。
それで評価がつけられるとすれば、かなり幼い子に差をつけられちゃうでしょうね。
やはり、人は、自分の知的なレベルや理解力にちょうど見合った内容の
学習を続けていないと、その時間は
苦行でしかないのでしょう。
ただ日本の公立小学校に「できる子」への対策を求めることは難しいし、もし、そうしたシステムができた場合、早期教育がさらに過熱したり、
学校内での子どものランク付けにつながる危険もあります。
どうすればよいのか、本当に難しい問題です。
私が、虹色教室で子どもたちと接していると、
公立の小学校では「浮きこぼれ」となりそうな能力の高い子たちも、
現代っ子特有の「弱点」をたくさん持っています。
「市販の難しいレベルの問題集なら数学年先のものまで、
先取りしても解ける」
という低学年の子たちも、
ほとんどの子が、生活環境の変化が原因で、
一昔前の低学年の子たちは困らなかったようなことに困難を抱えているのです。
ちょうど4年生くらいの学習から、勉強するのに、
その「現代っ子が苦手」な概念が含まれてくるため、
それまで「簡単すぎる~」と悩んでいた子が、
いきなり「いつの間にか、さっぱりわからなくなっていた」となる場合も
よくあるようです。
「現代っ子が苦手」な概念というのは、
ひとつは、「あいまいさ」を含むものです。
体感からくるもので、およその見当をつけるのです。
たとえば、13579054÷363
といった割り算を学ぶとき、だいたい1300円くらい持っているとき、
だいたい350円くらいの物がいくつくらい買えるか……という
おおまかな見当がつけられる力が必要です。
子どもたちと接していると、かなり難しい計算まで解ける子でも、
この「あいまい」な「だいたい」を求められる問いにぶつかると、
手も足も出なくなる子が多いのです。
「70円持っていて、だいたい平等になるように分ける」なんて経験が
少ないのでしょうね。
もうひとつの苦手は、今、何が最重要か気づいて、そこに集中する力です。
どの子も、重要なことにも重要でないことにも均一に
力を注ぐ子が多いのです。
独楽を回しているとき、独楽を見ずに、教えられたフォームばかり気にしていたり、バットを振っているときに、ボールを見ずに、観客や自分の服などに気を取られていたり……と、
テストそのものはいつも満点という子も、
物事への取り組み方が、今時っ子で、
集中のポイントがずれているということは
よくあります。
これも放っておくと、概数を習う時期になって、「少数第一位まで求めなさい」
とか「少数第一位を四捨五入しなさい」なんてまぎらわしい指示が増えてくると、
違いを分けている重要な一点に注目できず、同レベルに大事な暗記のひとつとして、それらを扱って、繰り返しミスする結果につながりやすいです。
現代の子が苦手としているもうひとつのことは、
「自分でゼロから考える」ということです。
自由研究にどこから手をつけたらよいかわからない、「自由作文」で悩む、という子は多いですよね。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
そうした子どもたちの姿を見ていると、
低学年の時、「できているから」と無視せずに、
学校の先生方が、
「できる子」たちにも、現代っ子特有の苦手があることを理解して、
それを楽しく克服する工夫を、授業に盛り込んでいくことが大事じゃないかな
と感じています。
「生き物」を目にしたとき、現代の子たちは、名前と図鑑で読んだ生態を言葉にしたら、もうそれについて全て知っているような捉え方をしてしまいます。
どんなに知っているように見えるものに対しても、
「よく見る」「よく観察する」「疑問を持つ」「推測する」「自分の気持ちを表現する」「新しい発見をする」「それを通して他の子とコミュニケーションを取る」「自分の感じたことを、言葉で表現する」
といったことが
しっかりできるようにしていく教育は、
どれほど先取り学習をしている子にも、もともと学習意欲が高い子にも
常に必要です。
テストを通してだけ子どもを見るのでなくて、
コミュニケーションを通して子どもを知る努力や、
自然に子供同士そうした力を高めあえるようにする工夫が、
教育の場にいるのではないでしょうか?
また、
今の取り組みが易しく、さっさと終わってしまった子のために、
「おまけ」として、その時期の学習テーマの中で、少しひねった問題や、想像力や創造性を必要とする課題に
できてもできなくてもいい「チャレンジ」として
取り組ませてあげると良いのではないかと感じています。
そうしたとき、個人の先生だけにそうした負担がかかると大変なので、
先生同士コミュニケーションが活発になって、協力し合って
そうした工夫が日々改善されていくと良いのにな~と
感じています。
言葉がうまくまとまらないのですが、
何が言いたかったかというと、「浮きこぼれ」への対策は、
エリート教育とか、できる子を優遇する教育ではなくて、
小学校なら6年間という大きな枠の中で、「(最初できていたばっかりに浮きこぼれで)できなくなる子をなくす」とか、
「どの子にも本当の実力をつけていく」という対策でもあるという見方が
必要なのかな~ということなのです。
優遇、優遇~思う気持ちで、何もできなくなってしまいますから。
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小1になる息子は、目を輝かせて入学したのもつかの間、学校の授業全般が物足りず、今ではやる気をなくしてしまっているようで無気力でイライラしやすくなってしまったようです。
毎日話を聞いていると、算数、国語も、体育(水泳、鉄棒など)、いずれにしても簡単すぎて新しく学ぶことがほとんど無いらしく、どれも実力以下のことしかさせてもらえず、ただいひたすらお友達が叱られたり個人指導を受けて理解できるのを待つ時間のようで、本当に無気力にならざるを得ない状況のようです。
先日偶然見かけた授業の様子から、どうしたものかさまよっているうち、浮きこぼれという言葉があることを知りました。
決してうちの子がとびぬけてよくできるという意味ではなく、普通に良く遊んで過ごした子なら、6人お友達がいて2人帰ったら残りは何人になるかといった問題は少しの手助けがあればわかるような気がするのですが、なかなか理解にいたらない子も少なからずいるようです(障害などは無いです)。
わが子の通った幼稚園は全くの自由保育で、ひたすら遊ぶのみでしたが、逆に自分の限界に存分に挑戦できたようで毎日嬉々として通っておりました。
しかし今の公立の小学校ではそれは適いません。入学4日目から毎日5時間授業で帰宅が3時半くらい。おやつを食べて同じく簡単な(しかし、塗り絵や覚えてしまいそうな1桁の計算カードなどが延々とあります)宿題を終えると4時半くらい。5時にはお風呂に入らないと翌朝早いので起きられません。こうなるとほとんど遊ぶ時間が取れません。
親の私が見ていてもこれまでのキラキラした目の輝きが最近急激にどんよりと曇り、いまどきの小中学生の目のように覇気の無い様子になってきてとても困惑しています。気分もイライラするようで家族にあたったり泣いたりすることも増えたように思います。
お友達や先生との関係はとてもうまく行っていて問題は無いのですが、今は長時間のルーチンワークばかりで、毎日頭も体も使き切れず人生初めて退屈で絶望している様子です。
私がこちらのブログで学んだような何かを面白い取り組みをさせてやりたくても、宿題をまじめにしていてはその時間が取れません。見ていてもかわいそうに思ってしまいます。
おそらくこういった状況はどの小学校でも起こっていることと思いますが、こういった状況を少しでも興味深い時間にするにはどういった方法がありますでしょうか?
今は、もうじき訪れる夏休みだけはできる限り自由に好きなだけ遊ばせてやりたいと思っております。
私自身小学生だったときのことを思いだすと、朝提出された宿題の丸付けを先生の代わりにさせてくれたりしながら片耳で授業を聞いていたりして授業時間を過ごしていました。これも先生の工夫だったのだと思います。でも今はきっとそんなことは問題になるのでしょうね。
せめてただ待つだけの時間は、読書にあててよいなどの対策があるといいなと切に願ってしまいます。何かよい案がありましたら、無気力で学校が嫌になってしまうまえにぜひ教えていただきたいと思っております。よろしくお願いします。
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浮きこぼれについての悩みは、
ぜいたくでずうずうしいものと解釈されることも多く、
解決するのは難しいですよね。
もし私が、子どもたちが夢中になって見ている幼児向けアニメを
何時間も真剣に見るように強いられたとしたら、
とても集中力が続かないし、ストーリーも登場人物の名前もうろ覚えのまま
意欲の薄い状態でテレビ画面を追い続けることになると思います。
それで評価がつけられるとすれば、かなり幼い子に差をつけられちゃうでしょうね。
やはり、人は、自分の知的なレベルや理解力にちょうど見合った内容の
学習を続けていないと、その時間は
苦行でしかないのでしょう。
ただ日本の公立小学校に「できる子」への対策を求めることは難しいし、もし、そうしたシステムができた場合、早期教育がさらに過熱したり、
学校内での子どものランク付けにつながる危険もあります。
どうすればよいのか、本当に難しい問題です。
私が、虹色教室で子どもたちと接していると、
公立の小学校では「浮きこぼれ」となりそうな能力の高い子たちも、
現代っ子特有の「弱点」をたくさん持っています。
「市販の難しいレベルの問題集なら数学年先のものまで、
先取りしても解ける」
という低学年の子たちも、
ほとんどの子が、生活環境の変化が原因で、
一昔前の低学年の子たちは困らなかったようなことに困難を抱えているのです。
ちょうど4年生くらいの学習から、勉強するのに、
その「現代っ子が苦手」な概念が含まれてくるため、
それまで「簡単すぎる~」と悩んでいた子が、
いきなり「いつの間にか、さっぱりわからなくなっていた」となる場合も
よくあるようです。
「現代っ子が苦手」な概念というのは、
ひとつは、「あいまいさ」を含むものです。
体感からくるもので、およその見当をつけるのです。
たとえば、13579054÷363
といった割り算を学ぶとき、だいたい1300円くらい持っているとき、
だいたい350円くらいの物がいくつくらい買えるか……という
おおまかな見当がつけられる力が必要です。
子どもたちと接していると、かなり難しい計算まで解ける子でも、
この「あいまい」な「だいたい」を求められる問いにぶつかると、
手も足も出なくなる子が多いのです。
「70円持っていて、だいたい平等になるように分ける」なんて経験が
少ないのでしょうね。
もうひとつの苦手は、今、何が最重要か気づいて、そこに集中する力です。
どの子も、重要なことにも重要でないことにも均一に
力を注ぐ子が多いのです。
独楽を回しているとき、独楽を見ずに、教えられたフォームばかり気にしていたり、バットを振っているときに、ボールを見ずに、観客や自分の服などに気を取られていたり……と、
テストそのものはいつも満点という子も、
物事への取り組み方が、今時っ子で、
集中のポイントがずれているということは
よくあります。
これも放っておくと、概数を習う時期になって、「少数第一位まで求めなさい」
とか「少数第一位を四捨五入しなさい」なんてまぎらわしい指示が増えてくると、
違いを分けている重要な一点に注目できず、同レベルに大事な暗記のひとつとして、それらを扱って、繰り返しミスする結果につながりやすいです。
現代の子が苦手としているもうひとつのことは、
「自分でゼロから考える」ということです。
自由研究にどこから手をつけたらよいかわからない、「自由作文」で悩む、という子は多いですよね。
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そうした子どもたちの姿を見ていると、
低学年の時、「できているから」と無視せずに、
学校の先生方が、
「できる子」たちにも、現代っ子特有の苦手があることを理解して、
それを楽しく克服する工夫を、授業に盛り込んでいくことが大事じゃないかな
と感じています。
「生き物」を目にしたとき、現代の子たちは、名前と図鑑で読んだ生態を言葉にしたら、もうそれについて全て知っているような捉え方をしてしまいます。
どんなに知っているように見えるものに対しても、
「よく見る」「よく観察する」「疑問を持つ」「推測する」「自分の気持ちを表現する」「新しい発見をする」「それを通して他の子とコミュニケーションを取る」「自分の感じたことを、言葉で表現する」
といったことが
しっかりできるようにしていく教育は、
どれほど先取り学習をしている子にも、もともと学習意欲が高い子にも
常に必要です。
テストを通してだけ子どもを見るのでなくて、
コミュニケーションを通して子どもを知る努力や、
自然に子供同士そうした力を高めあえるようにする工夫が、
教育の場にいるのではないでしょうか?
また、
今の取り組みが易しく、さっさと終わってしまった子のために、
「おまけ」として、その時期の学習テーマの中で、少しひねった問題や、想像力や創造性を必要とする課題に
できてもできなくてもいい「チャレンジ」として
取り組ませてあげると良いのではないかと感じています。
そうしたとき、個人の先生だけにそうした負担がかかると大変なので、
先生同士コミュニケーションが活発になって、協力し合って
そうした工夫が日々改善されていくと良いのにな~と
感じています。
言葉がうまくまとまらないのですが、
何が言いたかったかというと、「浮きこぼれ」への対策は、
エリート教育とか、できる子を優遇する教育ではなくて、
小学校なら6年間という大きな枠の中で、「(最初できていたばっかりに浮きこぼれで)できなくなる子をなくす」とか、
「どの子にも本当の実力をつけていく」という対策でもあるという見方が
必要なのかな~ということなのです。
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特に中学はチャイムが鳴って、教室に生徒がそろうのに5~10分かかり、忘れ物チェックをされ、忘れ物した人をしきりに叱る先生が多くて、授業時間の約半分をそれについやされていたことを思い出しました。
授業どころではない学校ですよね。
かなり極端だとは思いますが。
私は決して、出来る子ではありませんでしたが、つまらなくてしかたがない…時間が多かったのは事実です。
公立の学校の一斉授業、基準を真ん中に合わせると、上は浮きこぼれ、下は落ちこぼれ…難しいとは思います。
そこで、親ができる対処って何なのでしょうか?
この続きを楽しみにしています。
近々行われる三者懇談会で、子供のやる気喪失について相談しようかと考えておりましたが、何も解決案が無いのでは若い先生を困らせるばかりになりそうでどうしたものかと悩んでおりましたが、奈緒美先生の記事をぜひ参考に担任の先生のご意見も伺いつつ提案させていただけたらと思いました。
我が家はかなり前からいつもこちらのブログをバイブルのように参考にさせていただいています。
先生のレッスンを参考に(といってもまだ実際のレッスンは一度も叶ってないので想像ですが)、遊んで興味を持ったものにちょこっと知的な概念を織り交ぜてみています。
ブロック教室もヒント満載ですよね。親の私だけが見たのですが、何かを説明してあげたいときや遊びの中でたびたびアイデア拝借しております。
そのおかげだと思いますが、おもしろ半分に幼稚園のとき鶴亀算の問題を見せたら自力で考えて解いてしまいました。辛抱強く試行錯誤をしている姿は奈緒美先生がよく大切だとおっしゃっている姿と重なって間違ってないんだろうなと感じました。
りんごを切るときや時計や音符や折り紙などから分数の概念を、飛行機飛ばしや幅跳びなどの競争で距離を測る際に必要に迫られて小数の概念なんかも触れていたら、かなりわかるみたいで、普段の会話でもよく使うようになりました。
以前のこちらの記事を参考に、ゲームの点数を表にまとめることなんかも提案してみたら、遊びでもとても役に立ってるみたいです(こんなやり方でよいでしょうか?)。
ほんとに勉強って時間じゃないんだなぁと実感しています。このブログを参考にしていると学校の授業では物足りなくなるのでは?と思ってしまいます。プリント学習を白黒印刷とすれば、このブログのようなやり方はカラフルで手触りもにおいもある魅力的な遊びのような学習の仕方ですよね。楽しいし印象深いので頭に勝手に入ってしまう感じです。生活に密着しているので忘れてしまうといったたぐいのものではない感じです。
このブログを参考に育った子達もどんどん成長していると思います。どうか小学生向けの内容もこれからぜひたくさん期待しています。ありがとうございました。