虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

子どものきらきらした感じがなくなった? 1

2019-04-30 07:30:30 | それぞれの子の個性と才能に寄りそう

先日、小学2年生の女の子たちのグループレッスンでこんなことがありました。

その中にひとり、長い間お休みしていた女の子の親御さんから、

久しぶりのレッスンの後で、

(子どもたちがコンパスで作図する工作をしていた姿を見て)

「虹色のパワー、きらきらした感じが以前となんか違う?という感じがしました。

2年なりたてのチームは、きらきら個性があったほうが好きです。

子供発信というより大人の希望が色濃く出ている感じがしました。」といった意見を

いただきました。

こうした意見、グループレッスンをしていた子どもたちが2年生になる頃や

3年生の半ば頃に耳にすることがあり、

その背後にあることをきちんと言葉にして伝えておく必要を感じました。

 

この小学2年生の女の子グループの4人は、どの子も創造力と知能の高い子たちです。

3歳からいっしょにレッスンしていますが、

幼児期を通して自由にパワフルに大人が圧倒するような工作作品を作ってきました。

それぞれが自分が経験したことや目にしたもの、興味を持ったもの、試してみたいものなどを

自分のやり方でどんどん作り、常にやりたいことがあふれ出すようでした。

自分で外の世界にアンテナを張っていて、

さまざまなことに興味関心があり、調べたり、学んだりすることに

積極的でした。

算数も大好きでいきいきと学んでいました。

 

今回のレッスンで、親御さんのひとりが、そんな子らの

子どもらしい個性のほとばしりのようなものを感じ取れなかったとコメントした理由は、

ひとりひとりの子どもの発達のプロセスが理由のひとつにあるように思いました。

 

子どもたちと2,3歳の頃から関わっていると、想像力があって

自由にのびのびと独創的な工作作品を作る子たちは、

幼い子たちのほとんどが熱中する

繰り返しの多い敏感期の活動にあまり熱心でないところがあります。

 

そうした活動をしていても、すぐに自分の扱っているものを何かに見立てて、自分のイメージした作品作りに

移っていくので、自分で動きや形を作りだす一方で、

巧緻性は二の次というところがあります。

イメージするのが上手で、観察力もあるので、

「こんな風に作りたい」と思うものを目指して作っていき、

やや乱雑に切り貼りしているところがあっても、完成度の高いものが

できあがります。

また、自分の頭で考えるのが好きなので、大人の教える通りに何かを作るという

ことにあまり興味がありません。

自分の考えを追っていくのが好きなので、大人の説明を理解しよう

という気持ちが薄い場合もあります

そうした子たちは小学1年生の半ばくらいまで、どんどん作りたいものの幅を広げ、

旺盛な創作意欲を見せます。作るもののサイズがどんどん大きくなっていくことも

多々あります。

でも、1年生の半ばくらいから、粘土をこねまわして、未完成なまま

作品を仕上げたり、「昆虫を捕まえるわなが作りたい」といった

動きを作りだす試行錯誤に作品作りが終始したりする時期を経て、

2年生になる頃、大人の教える見本通りの作品を作りたがることもよくあるのです。

 

外らパッと見て判断するだけだと、自分で完成形をイメージして、もりもりと物を作っていた子が、

大人に作り方を教えてもらって見本通りのものを作る姿は

個性の輝きが失われたようにも見えます。

でも、ひとりひとりの子どものそばで、その成長をつぶさに見守ってきた身からすると、

その一瞬、一瞬に、その子の個性が新たな段階を迎えて輝いているように見えるのです。

 

自分のアイデアで自分の頭を使って自発的に行動していた子たちは、

それをとことん突き詰めると、自分でできることの限界にぶつかります。

 

ちょうどその頃、遅ればせながらきた敏感期のような

作業そのものが目的であるような活動にはまったり、

大人の示す見本通りに真似たりする姿があります。

 

これまでは、ちゃっちゃと思いを形にするのが優先で、ていねいに作業することなど

気にもしなかった子が、技を習得したり、道具を使いこなしたりできるまで、

地味な繰り返しに根気よく耐える様子があるのです。

 

得意なことや、手慣れたことなら、どんどんチャレンジし、賞賛されもするんです。

でも、苦手なことや、初めてすることは、やってみることに抵抗があるし、がんばっても

うまくいかないです。

そうしたそれまでの成長でやりのこしてきたことに自ら関わっていこうとする姿が

子どもにはあるんです。

だから、何かの価値を認めるなら、その正反対の価値も、やっぱり大事にしていかなきゃ

いけないな、と感じています。

 

子どもたちが2年生になる頃や3年生の半ば頃の子が、

それまできらきらしていた個性が見えにくくなるのには別の理由もあります。

というのは、外に見える活動から、活動にある意味に気づくこと、理解を深めること、すでに知っている

バラバラの知識を統合していくことといった内面での活動の中に個性がより濃く

表れるようになるからです。

下の写真のようなものをコンパスで作っていく際にも、

もりもり物を作っていた子は、コンパスで描く線がどうしてこんなきれいな曲線を

作りだすのか、その理由に気づいて面白がっていました。

「作図の仕方は難しいけどコンパスで五角形も作れるよ」と言うと、

「サッカーボールを作りたい!」と面を組み合わせてできる立体に関心を

寄せる子もいました。

そうした気づきの世界、理解の世界、興味の広げ方の世界に

個性の輝きが見えるのです。

 

 

子どものきらきらした個性が見えにくいという時、

こんな風に、その子のやりのこしてきたことに本能的に関わる時期であったり、

個性の質が変化して、外からは見えにくいものに変わる時期であったり

するのです。

 


 

 


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