今日の朝の珈琲はまたケニアマサイです。
朝起きてしばらく風邪声になる毎日です。
珈琲を飲む頃、声は元に戻り、寒さにも対抗
できる気持ちになります。
ケニアの甘味がひと時癒しと一日の活力になり、
がんばろうと思います。
この甘味を感じる度、最近考えることがあります。
それは成田山の参道などで売っている昔ながらの
甘栗の石焼です。
あの飴色の艶は砂糖かザラメを溶かし込んだものなのか
それとも栗本来の甘味成分なのか解りませんが、あの焼き方
は珈琲の焙煎と同じ理論なのだろうと思います。
そして、甘味にも共通したものがありそうです。
珈琲豆も焙煎の仕方により、ネルの中に残る成分に差が
できます。
大量の豆を高温で焦げるギリギリで焼き上げると微粉が
より多く出て、ネルの中を真黒く詰まらせるように感じ
ます。
浅煎りならそのかすの様な渋皮が簡単に分離できますが、
焼けて黒い微粉となってしまってからは分離するのは
容易ではないようです。
軽くふるいにかけるということも一法でしょうが、効率が
悪いばかりか実量も目減りしてしまうことになりあまり
やりたいことでもありません。
ふるっての味とそのままの味は実験して微粉の影響を
調べなければならないかもしれません。
深く長く煎るとコロッとトロリとした深い甘味が出ると
思われがちですが、そんなこともないようです。
ベストのポイントと温度変化と焙煎時間とだんだんある点に
集約されていくような感じです。
午後は、昨日のチョコ味の検証をします。
朝起きてしばらく風邪声になる毎日です。
珈琲を飲む頃、声は元に戻り、寒さにも対抗
できる気持ちになります。
ケニアの甘味がひと時癒しと一日の活力になり、
がんばろうと思います。
この甘味を感じる度、最近考えることがあります。
それは成田山の参道などで売っている昔ながらの
甘栗の石焼です。
あの飴色の艶は砂糖かザラメを溶かし込んだものなのか
それとも栗本来の甘味成分なのか解りませんが、あの焼き方
は珈琲の焙煎と同じ理論なのだろうと思います。
そして、甘味にも共通したものがありそうです。
珈琲豆も焙煎の仕方により、ネルの中に残る成分に差が
できます。
大量の豆を高温で焦げるギリギリで焼き上げると微粉が
より多く出て、ネルの中を真黒く詰まらせるように感じ
ます。
浅煎りならそのかすの様な渋皮が簡単に分離できますが、
焼けて黒い微粉となってしまってからは分離するのは
容易ではないようです。
軽くふるいにかけるということも一法でしょうが、効率が
悪いばかりか実量も目減りしてしまうことになりあまり
やりたいことでもありません。
ふるっての味とそのままの味は実験して微粉の影響を
調べなければならないかもしれません。
深く長く煎るとコロッとトロリとした深い甘味が出ると
思われがちですが、そんなこともないようです。
ベストのポイントと温度変化と焙煎時間とだんだんある点に
集約されていくような感じです。
午後は、昨日のチョコ味の検証をします。