すっかり桜も散り、初夏っぽい日が続くように
なりました。
昨日は、芝桜も満開になりかなりの混雑を予想した
のですが、その割に道路人通りもたいしたこともなく、
普通の土曜日でした。先週の方がにぎやかな週末
でした。
ところが日曜になるとヘリやら渋滞を避けたバイク
やら、どこかの祭りの花火やら、実にうるさい日曜
となりました。
それでも、都内の花見に比べれば全然のどかなものです。
群馬県に数箇所のまねた芝桜の公園が現れても、秩父の
人気は衰えず、毎年この時期はひどい渋滞を起こします。
陽気がよくなり、外に出かけたい日がつづきますが、買い込んだ
本は積みあがるばかりで、なかなか読書する時間もありません。
昔なら、本屋の店頭で見かけて手にとって見て、最初の数ページ
を読んで購入を決めたものですが、最近はもっぱら新聞の
書評欄とテレビの週間ブックレビューという番組により、
まず読んでみようと思った本は、手に取ることなくネットで
注文してしまいます。
本屋さんにある本は実に少なくなっているのです。
それに本の刊行される数が近年増え、もはや店頭で遭遇して
買うというスタイルにはそぐわなくなっているのと、誰か
ナビゲーター役を果たさなくては、読まれるべき本も世に
でにくくなっているのです。
そんななかで、最近できた本屋大賞という本屋さんの店員さんが
売りたい本というジャンルが注目されて、本屋さんがつくった
ポップからヒット作が生まれたり、その大賞でランクインした
本が売れ出すという効果がでています。
私の長い通勤時間があった当時は、車内の友としてミステリー
本は欠かすことのできないものであり、それも選ぶのに苦労
しました。ひとつの手助けになったのが、ミステリー年間ベスト
10とかこのミステリーがすごいという出版社の選考です。
これらに選ばれると本にはその1位という帯が巻かれて、やがて
ベストセラーになっていくという結果につながります。
当然そういう帯のついた本は、世の注目もあるので買っては
見ますが、すべてがおもしろいかというとそうでもありません。
中にはかなりつまらないものもあるし、同じ1位にもレベルに
差があることもあります。
今日読み終えた本にもそんなミステリーベスト1位の帯がついて
いました。湊かなえ著『告白』です。
これも週間ブックレビューを見たかして買ったものだと思いますが、
どうしてこれが読みたいと思ったか良く覚えていません。
読んでみて、タイムリーな設定と時代感覚を持っているようですが、
内容は読んでいて気持ちのいいものではありませんでした。
まるで質の悪い週刊誌の記事を続けて読んでいるような読書として
の醍醐味や物語の巧みさとか人を魅了するものが乏しく、ただ
じとっとするもを感じます。
小説的な見方をすれば、人間観察や人生的な面で何か新しい見方
とか、新しい境地を謳うような先進性とか文学的試みのような
ものがないので、とても現代的な話なのに全体的に後ろ向きな
イメージがあるのです。
たかがミステリーだからといってしまえばそれまでですが、
これは本屋大賞の最終選考にも入っていたそうなので、果たして
本屋さんもこれを売りたいと思っていたのかと思ってしまいました。
テーマとなる復しゅうとか報復というのは、直接てきなもので
あればあるほどつまらなくて、物語的に全て書いてしまうと
いうのも文学として失敗しているのではないでしょうか。
それが桐野夏生なんかとの違いでしょう。
彼女は、ここまで見せてしまうのかというえげつなさというか女性の
心理とかサガとか露出がありながら、肝心の答えはどうだったっけと
いうところがありましたが、そういう読者を離さないテクニックと
いうか、物語の魅力がない分物語の価値が軽く見られるのでは
ないでしょうか。文学的成功という意味でも。
なりました。
昨日は、芝桜も満開になりかなりの混雑を予想した
のですが、その割に道路人通りもたいしたこともなく、
普通の土曜日でした。先週の方がにぎやかな週末
でした。
ところが日曜になるとヘリやら渋滞を避けたバイク
やら、どこかの祭りの花火やら、実にうるさい日曜
となりました。
それでも、都内の花見に比べれば全然のどかなものです。
群馬県に数箇所のまねた芝桜の公園が現れても、秩父の
人気は衰えず、毎年この時期はひどい渋滞を起こします。
陽気がよくなり、外に出かけたい日がつづきますが、買い込んだ
本は積みあがるばかりで、なかなか読書する時間もありません。
昔なら、本屋の店頭で見かけて手にとって見て、最初の数ページ
を読んで購入を決めたものですが、最近はもっぱら新聞の
書評欄とテレビの週間ブックレビューという番組により、
まず読んでみようと思った本は、手に取ることなくネットで
注文してしまいます。
本屋さんにある本は実に少なくなっているのです。
それに本の刊行される数が近年増え、もはや店頭で遭遇して
買うというスタイルにはそぐわなくなっているのと、誰か
ナビゲーター役を果たさなくては、読まれるべき本も世に
でにくくなっているのです。
そんななかで、最近できた本屋大賞という本屋さんの店員さんが
売りたい本というジャンルが注目されて、本屋さんがつくった
ポップからヒット作が生まれたり、その大賞でランクインした
本が売れ出すという効果がでています。
私の長い通勤時間があった当時は、車内の友としてミステリー
本は欠かすことのできないものであり、それも選ぶのに苦労
しました。ひとつの手助けになったのが、ミステリー年間ベスト
10とかこのミステリーがすごいという出版社の選考です。
これらに選ばれると本にはその1位という帯が巻かれて、やがて
ベストセラーになっていくという結果につながります。
当然そういう帯のついた本は、世の注目もあるので買っては
見ますが、すべてがおもしろいかというとそうでもありません。
中にはかなりつまらないものもあるし、同じ1位にもレベルに
差があることもあります。
今日読み終えた本にもそんなミステリーベスト1位の帯がついて
いました。湊かなえ著『告白』です。
これも週間ブックレビューを見たかして買ったものだと思いますが、
どうしてこれが読みたいと思ったか良く覚えていません。
読んでみて、タイムリーな設定と時代感覚を持っているようですが、
内容は読んでいて気持ちのいいものではありませんでした。
まるで質の悪い週刊誌の記事を続けて読んでいるような読書として
の醍醐味や物語の巧みさとか人を魅了するものが乏しく、ただ
じとっとするもを感じます。
小説的な見方をすれば、人間観察や人生的な面で何か新しい見方
とか、新しい境地を謳うような先進性とか文学的試みのような
ものがないので、とても現代的な話なのに全体的に後ろ向きな
イメージがあるのです。
たかがミステリーだからといってしまえばそれまでですが、
これは本屋大賞の最終選考にも入っていたそうなので、果たして
本屋さんもこれを売りたいと思っていたのかと思ってしまいました。
テーマとなる復しゅうとか報復というのは、直接てきなもので
あればあるほどつまらなくて、物語的に全て書いてしまうと
いうのも文学として失敗しているのではないでしょうか。
それが桐野夏生なんかとの違いでしょう。
彼女は、ここまで見せてしまうのかというえげつなさというか女性の
心理とかサガとか露出がありながら、肝心の答えはどうだったっけと
いうところがありましたが、そういう読者を離さないテクニックと
いうか、物語の魅力がない分物語の価値が軽く見られるのでは
ないでしょうか。文学的成功という意味でも。