ここの所の日経朝の連載小説はよいものが続いていました。
現在の黒書院の六兵衛はさすが人気作家だけあり、毎日読むのが
楽しみな展開でした。
ただ、気が付いてみればただこれだけのことをよく引っ張ったなあという
テーマとされているものはごく小さなネタで、それをよく毎日毎日読ませる
技術があると感心しました。
前の韃靼の馬と等伯が突出して面白く、視点の上でも歴史の新局面を
気付かせてくれる知の刺激も多く、読む楽しさも喜びもあったのですが、
今回の黒書は作家に遊ばれたような感じでそれもあと少しかあという
感じです。
夕刊の方はこれらのものと比べると雰囲気も固さも違います。
ファミレスも今月から始まった家康も仕方なく読んでいる感じ。
別にどうでもいいような展開です。
そんなわけで、私は日経は朝、一番最初に小説から読み始めて
履歴書、とずっと文化面から読み出します。
経済新聞なのに文化面重視というのがおかしいところです。
でも、年々読み応えが出てくる感じがあります。
一番の読み応え記事は、二面の真相深層と迫真は週刊誌一冊分の
内容がある感じ。
そして、土曜日のプラスもお楽しみの一つ。
このランキングがいろいろと知るきっかけになり、また次の楽しみや
お出かけの際のヒントとか食べたいものリストとかに加わります。
最近では、ホテルの朝食とバターが興味深く、これに漏れたものと
重複するものの差などいろいろ考えさせてくれます。
バターで言えば入るべきものが入ってないような気がするし、大島の
バターなどはもっと知らせるべきものなのではと感じてしまいます。
秋のお菓子はここで紹介され反響の大きさで取り寄せサイトがパンクして
しまったりとその効果の大きさと引き合いに見合う規模が必要なものしか
紹介しえないのかとかいろいろ考えさせてくれます。
日曜に考えるは今考えるテーマとしては毎回実にタイムリーだと感心して
しまいます。
ネットで諸々のニュースが早く手元に届く昨今でも紙で毎日届く新聞を
頼りにしてしまい、その紙面に載ったことでより確度が増すといった
安心感が情報の質としてあるような気がします。
それだけ最近はニュースソースというのが重要視され、ただ発信する
ことはだれでもできる世の中だからこそ新聞の役割というのが増して
いる気がします。
現在の黒書院の六兵衛はさすが人気作家だけあり、毎日読むのが
楽しみな展開でした。
ただ、気が付いてみればただこれだけのことをよく引っ張ったなあという
テーマとされているものはごく小さなネタで、それをよく毎日毎日読ませる
技術があると感心しました。
前の韃靼の馬と等伯が突出して面白く、視点の上でも歴史の新局面を
気付かせてくれる知の刺激も多く、読む楽しさも喜びもあったのですが、
今回の黒書は作家に遊ばれたような感じでそれもあと少しかあという
感じです。
夕刊の方はこれらのものと比べると雰囲気も固さも違います。
ファミレスも今月から始まった家康も仕方なく読んでいる感じ。
別にどうでもいいような展開です。
そんなわけで、私は日経は朝、一番最初に小説から読み始めて
履歴書、とずっと文化面から読み出します。
経済新聞なのに文化面重視というのがおかしいところです。
でも、年々読み応えが出てくる感じがあります。
一番の読み応え記事は、二面の真相深層と迫真は週刊誌一冊分の
内容がある感じ。
そして、土曜日のプラスもお楽しみの一つ。
このランキングがいろいろと知るきっかけになり、また次の楽しみや
お出かけの際のヒントとか食べたいものリストとかに加わります。
最近では、ホテルの朝食とバターが興味深く、これに漏れたものと
重複するものの差などいろいろ考えさせてくれます。
バターで言えば入るべきものが入ってないような気がするし、大島の
バターなどはもっと知らせるべきものなのではと感じてしまいます。
秋のお菓子はここで紹介され反響の大きさで取り寄せサイトがパンクして
しまったりとその効果の大きさと引き合いに見合う規模が必要なものしか
紹介しえないのかとかいろいろ考えさせてくれます。
日曜に考えるは今考えるテーマとしては毎回実にタイムリーだと感心して
しまいます。
ネットで諸々のニュースが早く手元に届く昨今でも紙で毎日届く新聞を
頼りにしてしまい、その紙面に載ったことでより確度が増すといった
安心感が情報の質としてあるような気がします。
それだけ最近はニュースソースというのが重要視され、ただ発信する
ことはだれでもできる世の中だからこそ新聞の役割というのが増して
いる気がします。