吉田クリニック 院長のドタバタ日記

日頃の診療にまつわることや、お知らせ、そして世の中の出来事について思うところ書いています。診療日には毎日更新しています。

田口淳之介、スーツ姿の土下座20秒に「嘘くさい」と失笑買う その2

2019年06月12日 06時25分19秒 | 日記
 芸能人の薬物使用で、保釈時の会見は、ほとんどパターンが同じである。たぶん誰かからの入れ知恵なのであろう。大抵「謝罪」「今後の誓い」「今後の応援要請」などである。でもそこまで言うなら逮捕される前に辞めればいいじゃないと思う。なんだかみんな逮捕されなければやめないのか?
 もちろん中毒性のためやめるためには今後かなりの努力が必要なことは理解できる。今後の努力次第である。だから謝罪はひとつのポーズでもいいので「型のごとく」でよかった。 
 あの過剰な土下座の意味は何なのか。より深い反省をこめてのものなのか? 反省の程度はここで示さなくともよい。今後の経過で十分判断できる。
 最近クレーマーがコンビニなどで因縁をつけ店長に土下座させるようなことがあった。近年では土下座の意味がすこし変わってきたかもしれない。そこで今回の彼の土下座である。「嘘くさい」とは思わないが一体何を意味するのであろうか?


田口淳之介、スーツ姿の土下座20秒に「嘘くさい」と失笑買う その1

2019年06月11日 06時19分30秒 | 日記
 6/7(金) 21:39配信 FLASH
 6月7日、大麻取締法違反で起訴された元KAT-TUNの田口淳之介被告が保釈された。弁護人が6月6日に保釈請求し、保証金は300万円だという。19時20分頃、湾岸署正面玄関に姿を現した田口被告は、謝罪の言葉を述べた後、地面に頭を付けて土下座した。
「このたびは、私が起こした事件で、みなさまにご心配をおかけし、誠に申し訳ございませんでした。ファンのみなさま、関係者のみなさまに多大なるご迷惑をかけてしまいました。金輪際、大麻などの違法薬物、そして、犯罪に手を染めないことをここに誓います。しばらくの間、私自身の芸能活動を休止しますが、しっかりと更正し、罪を償い、1日でも早くみなさまのご信頼を取り戻すべく、必死に生きて参ります。どうかこれからもみなさまからのご指導、ご鞭撻のほど、よろしくお願い申し上げます。本当に申し訳ありませんでした」
 その後、突如地面に頭をつけ、およそ20秒もの間、土下座をした。芸能人の土下座は珍しく、周囲の報道陣が一瞬ざわついたほど。


喪主 内田也哉子の謝辞 その3

2019年06月10日 06時09分41秒 | 日記
 芸能メディアの不倫・愛人問題追及にはかなりの偏りがある。徹底的に追及して叩きのめし芸能界から仕事をなくしてしまう勢いの場合も多い。しかし内田裕也氏の場合は過去数ある愛人問題にはほとんど触れられていない。メディアも彼が怖かったのかも?
 また過去、落語家 円楽師匠の不倫会見では会見場が爆笑に包まれた。さすが落語家である。新しいところでは俳優 原田龍二氏の絶妙な間(ま)は俳優ならではであり、辛辣で卑猥な質問に対してもごく真面目に受け答えする姿は記者から笑いも漏れた。
 社会的には許されないのであろうが、会場のメディアから「笑い」が取れた時点で、すでにメディア叩きが許されたと思ってよい。この会見で笑いがとれない場合は徹底して「痛めつけられる」のである。ということはいかに受け答えするかがカギだとすると、結局物事の価値基準ってなんだかよくわからなくなるのである。

喪主 内田也哉子の謝辞 その2

2019年06月08日 06時05分52秒 | 日記
 不思議なのは芸能スキャンダル大好きなマスメディアなのに、どうして過去何人もいた内田裕也氏の愛人問題を追及しなかったんだろう? ほかの芸能人なら夜討ち朝駆けしてお尻の穴をほじくるまでの情報収集し報道する。そして良俗に反するとばかりに徹底的にたたきのめし、まるで人民裁判を煽るようにして芸能界から抹殺しようとするのが今の風潮。
 でも内田裕也氏にはそれをしなかった。彼は突き抜けた人で破天荒だった。また不道徳でもあった。芸能メディアの美味しい材料ばかり持ち合わせているのに・・・とも思う。まあそれをメディアの肴にさせないほどのオーラがあるんだろう。とにかく樹木希林ともにまあすごい人たちだったと思う。
 それにしても娘 内田也哉子の謝辞には恐れ入った。エッセイストというが、ものすごい才能を感じるような鬼気迫る文章だった。あの2人の娘なら頷ける。

喪主 内田也哉子の謝辞 その1

2019年06月07日 05時56分11秒 | 日記
 平成31年3月17日に肺炎で死去した内田裕也さん(享年79)のお別れの会「内田裕也 Rock’n Roll葬」が4月3日、東京・青山葬儀所で営まれた。喪主を務めた長女のエッセイスト内田也哉子(43)が謝辞を述べた。なんだかすごい文章なので全文引用する。

 私は正直、父をあまりよく知りません。わかり得ないという言葉の方が正確かもしれません。けれどそれは、ここまで共に過ごした時間の合計が、数週間にも満たないからというだけではなく、生前母が口にしたように、こんなに分かりにくくて、こんなに分かりやすい人はいない。世の中の矛盾を全て表しているのが内田裕也ということが根本にあるように思います。
 私の知りうる裕也は、いつ噴火するか分からない火山であり、それと同時に溶岩の間で物ともせずに咲いた野花のように、すがすがしく無垢(むく)な存在でもありました。率直に言えば、父が息を引き取り、冷たくなり、棺に入れられ、熱い炎で焼かれ、ひからびた骨と化してもなお、私の心は、涙でにじむことさえ戸惑っていました。きっと実感のない父と娘の物語が、始まりにも気付かないうちに幕を閉じたからでしょう。
 けれども今日、この瞬間、目の前に広がるこの光景は、私にとっては単なるセレモニーではありません。裕也を見届けようと集まられたおひとりおひとりが持つ父との交感の真実が、目に見えぬ巨大な気配と化し、この会場を埋め尽くし、ほとばしっています。父親という概念には到底おさまりきれなかった内田裕也という人間が、叫び、交わり、かみつき、歓喜し、転び、沈黙し、また転がり続けた震動を皆さんは確かに感じとっていた。これ以上、お前は何が知りたいんだ。きっと、父はそう言うでしょう。
 そして自問します。私が父から教わったことは何だったのか。それは多分、大げさに言えば、生きとし生けるものへの畏敬の念かもしれません。彼は破天荒で、時に手に負えない人だったけど、ズルい奴ではなかったこと。地位も名誉もないけれど、どんな嵐の中でも駆けつけてくれる友だけはいる。これ以上、生きる上で何を望むんだ。そう聞こえています。
 母は晩年、自分は妻として名ばかりで、夫に何もしてこなかったと申し訳なさそうにつぶやくことがありました。「こんな自分に捕まっちゃったばかりに」と遠い目をして言うのです。そして、半世紀近い婚姻関係の中、おりおりに入れ替わる父の恋人たちに、あらゆる形で感謝をしてきました。私はそんなきれい事を言う母が嫌いでしたが、彼女はとんでもなく本気でした。まるで、はなから夫は自分のもの、という概念がなかったかのように。
 もちろん人は生まれ持って誰のものではなく個人です。歴(れっき)とした世間の道理は承知していても、何かの縁で出会い、夫婦の取り決めを交わしただけで、互いの一切合切の責任を取り合うというのも、どこか腑(ふ)に落ちません。けれでも、真実は母がそのあり方を自由意思で選んでいたのです。そして父も、1人の女性にとらわれず心身共に自由な独立を選んだのです。
 2人を取り巻く周囲に、これまで多大な迷惑をかけたことを謝罪しつつ、今更ですが、このある種のカオスを私は受け入れることにしました。まるで蜃気楼(しんきろう)のように、でも確かに存在した2人。私という2人の証がここに立ち、また2人の遺伝子は次の時代へと流転していく。この自然の摂理に包まれたカオスも、なかなかおもしろいものです。
 79年という長い間、父が本当にお世話になりました。最後は、彼らしく送りたいと思います。
Fuckin' Yuya Uchida, don't rest in peace just Rock 'n’ Roll !!

元院長の運転免許取り消しへ 池袋暴走12人死傷 その3

2019年06月06日 06時43分55秒 | 日記
 いずれにせよ今後運転免許なんてこの人にとっては無用の長物なのである。それよりも自分に運転能力がないのを本人も理解しつつ(医師からも止められていた)、それでもなおかつ運転し続けた上でのこの事故である。
 しかも「ブレーキが故障していた」と車のせいにしたりして見苦しいことこの上ない。それでも車の不具合を主張するならそれは認知症かもしれないが、それなら家族が事故を起こさないように事前に策を講ずるべきであった。運転をやめさせない家族も同罪である。
  コメントでも「事故を起こしたことは申し訳ないが車のブレーキがこわれていたため」と反省の色がない。これはもうきわめて悪質と言わざるを得ない。
 免許取り上げ云々ではない。被害者の夫のコメントどおり「厳罰」に処するべきである。

元院長の運転免許取り消しへ 池袋暴走12人死傷 その2

2019年06月05日 06時20分40秒 | 日記
 というようなニュースであったが、だから何?という感じである。今更この容疑者(逮捕されていないので正確には容疑者ではない)が免許を取り消されようが取り消されまいが、そんなことはどうでもいいことである。まさか今後車を運転し自由に都内をドライブするわけがない。
 いや、でも今回事故の前には「車を新車に替えるつもりでいた」という。医者には下肢の運動能力低下にて運転は止められていたにもかかわらずである。つまり本人には運転をしないという選択肢はなかったようである。本人や、あるいは「乗せてもらえば便利だから」という同乗させてもらう家族にしてみればこのまま容疑者が運転し続けたほうが「楽」なのである。
 しかし運転免許取得時を思い出せば当然なのであるが技能試験や学科試験に通るだけの能力がなければ免許は交付されない。すでにその能力がないのにもかかわらず運転をし続けた容疑者の罪は重い。

元院長の運転免許取り消しへ 池袋暴走12人死傷 その1

2019年06月04日 05時39分40秒 | 日記
 5/31(金) 11:55配信All Nippon NewsNetwork(ANN)
 東京・池袋で車が暴走して12人が死傷した事故で、車を運転していた87歳の男性の運転免許が31日午後にも取り消される見通しであることが分かった。
 4月19日、豊島区東池袋で旧通産省・工業技術院の飯塚幸三元院長が運転する車が暴走し、3歳の女の子と母親が死亡、10人が重軽傷を負った。捜査関係者によりますと、5月31日午前9時半から警視庁では違反内容に間違いがないか確認する聴聞会が開かれたが、飯塚元院長は足が悪いとして欠席した。現在、東京都の公安委員会が開かれていて、午後にも飯塚元院長の運転免許証の取り消し処分を下す見通である。

妊婦加算、再開の方向で検討 「妊婦税」批判受け凍結中 その3

2019年06月03日 05時51分53秒 | 日記
 それで、「妊婦税」と揶揄された凍結中の「妊婦加算」を再開しますよってどうなんだろう? 何がどうなってこの妊婦加算が再開されるに至ったのであろうか。結局窓口負担を請求したらまた文句言われるのは医療機関である。納得がいく説明を妊婦さんにしてくれないと困るのである。
 別に特に妊婦さんだけに、より丁寧な診察をするわけじゃない。見落としやミスがあれば(あるいはこちらにミスなどなくとも)クレームをつけるのは妊婦さんに限ったことではない。
 でも妊婦の投薬には、自信などないけどいつだって細心の注意を払っている。患者さんが絶対安全じゃないと困るといえば投薬しない。報道では妊婦加算請求する場合は「文書による丁寧な説明を」などとあるが笑止である。説明はいつも丁寧なつもりである。そして理解し得てなさそうであれば、あるいは家人にどのような説明をしたかの証明にする場合などには、必要に応じて文書は自発的に出している。
 「妊婦加算」ったって「雀の涙」である。そんなもの請求するため、あれやこれやと縛られるくらいなら、妊婦診察しても最初からこんな加算、請求なんぞしませんわ。

妊婦加算、再開の方向で検討 「妊婦税」批判受け凍結中 その2

2019年06月01日 05時45分59秒 | 日記
 妊婦には「通常よりも丁寧な診療が必要」と報道されているが意味不明である。
 例えば高齢者の肺炎などは咳がなく熱も出ないのにレントゲン撮ったら「え~こんなひどい肺炎が」なんてこともある。またほとんど何にも症状がなく「ちょっと食べ過ぎで胃が重いですね」という糖尿病患者の心電図に急性期の結構ひどい心筋梗塞を見つけびっくりすることもある。これらは注意に注意をかさねより丁寧な診察をしないと見落とすのである。
 つまり我々は妊婦だろうが何だろうがいつも「丁寧な診療」が要求されているわけでそれは何も妊婦に限ったことではないのである。
 最初からこの妊婦加算ってのはなんだか「妊婦さんは大事にしますよ」的な政治的パフォーマンスなんだという感じがした。それならその加算分は行政が10割負担すればよかったのに中途半端に妊婦本人に請求するシステムにしたため「妊婦税」だって文句が出たのだ。
 しかもそんな文句は行政じゃなくていつだって医療機関の窓口にねじ込まれるわけである。鬱陶しいったらありゃしないっての。