当地での稲刈りはほぼ終了したようです。
稲刈り最中の田や、それが終了したばかりの田を通りかかると、プ~ンと刈りたての稲特有の青臭くも甘い匂いがします。
こればかりは都会では味わえない秋の香りです。

現在は、コンバインで刈り取りますから、一挙に脱穀までして、田圃には寸断された藁くずが散乱している風景が多いのですが、私の家のすぐ前に、もっと具体的にいえば道路を横切って20メートルもしないところに、昔ながらの「稲かけ」をして自然乾燥をしている田圃があります。
下の写真は、脱穀までしてしまう田圃の刈り跡と、藁を残す田圃の刈り跡を比較したものです。その違いがはっきり分かるでしょう。


この「稲かけ」、地方によっていい方が違うようですが、私が少年時住んでいたところでは確か、「稲はさ」またはその訛りと思われる「稲わさ」といっていたと思います。横木を稲で挟むからでしょうか。
ほかには「稲木」とか「稲ばた」ともいわれるようです。
皆さんのところではどうでしょうか。
この方法ですと、藁が使えますね。
正月の注連飾りなどの、あのまだ青さの残った藁が思い浮かびます。

私が度々書いてきたように、私の住まいのあるところは、市の中心街からせり出す都市化の動きと、昔ながらの農村とがせめぎ合っている、私にいわせればまだらなところなのです。
この写真のからも、そうした地のおおよその風情は分かるのではないでしょうか。

ところで、最後の写真、稲かけの向こうにパトカーが・・。すわ「稲かけ殺人事件」の発生かと思われそうですが、あの車はパトカーではなく、近くにある日赤血液センターの血液運搬車なのです。
稲かけの向こう側にそれらの駐車場があるため少しアングルを変えていたずらをしてみました。
この血液運搬車、緊急時には高らかにサイレンを鳴らして出動します。時としては、真夜中にいきなり鳴り渡るサイレンで叩き起こされることもあります。
稲かけと血液運搬車、この二つが私の居住環境を示す象徴かも知れません。
秋はあっという間に深まりを見せています。
晩秋の日々はさらに駆け足で去ってゆくことでしょう。
稲刈り最中の田や、それが終了したばかりの田を通りかかると、プ~ンと刈りたての稲特有の青臭くも甘い匂いがします。
こればかりは都会では味わえない秋の香りです。

現在は、コンバインで刈り取りますから、一挙に脱穀までして、田圃には寸断された藁くずが散乱している風景が多いのですが、私の家のすぐ前に、もっと具体的にいえば道路を横切って20メートルもしないところに、昔ながらの「稲かけ」をして自然乾燥をしている田圃があります。
下の写真は、脱穀までしてしまう田圃の刈り跡と、藁を残す田圃の刈り跡を比較したものです。その違いがはっきり分かるでしょう。


この「稲かけ」、地方によっていい方が違うようですが、私が少年時住んでいたところでは確か、「稲はさ」またはその訛りと思われる「稲わさ」といっていたと思います。横木を稲で挟むからでしょうか。
ほかには「稲木」とか「稲ばた」ともいわれるようです。
皆さんのところではどうでしょうか。
この方法ですと、藁が使えますね。
正月の注連飾りなどの、あのまだ青さの残った藁が思い浮かびます。

私が度々書いてきたように、私の住まいのあるところは、市の中心街からせり出す都市化の動きと、昔ながらの農村とがせめぎ合っている、私にいわせればまだらなところなのです。
この写真のからも、そうした地のおおよその風情は分かるのではないでしょうか。

ところで、最後の写真、稲かけの向こうにパトカーが・・。すわ「稲かけ殺人事件」の発生かと思われそうですが、あの車はパトカーではなく、近くにある日赤血液センターの血液運搬車なのです。
稲かけの向こう側にそれらの駐車場があるため少しアングルを変えていたずらをしてみました。
この血液運搬車、緊急時には高らかにサイレンを鳴らして出動します。時としては、真夜中にいきなり鳴り渡るサイレンで叩き起こされることもあります。
稲かけと血液運搬車、この二つが私の居住環境を示す象徴かも知れません。
秋はあっという間に深まりを見せています。
晩秋の日々はさらに駆け足で去ってゆくことでしょう。