12月27日、今年最後の名古屋行き。
若い人たちとの勉強会。ハンナ・アーレントの『人間の条件』を読む。
私がレポーター。
あれもこれもと参照したい文献がドンドン出てきて、結局は中途半端。
でも何とか格好を付けることが出来た。

会合に先立ち、会場近くの名古屋城に立ち寄る。
懐かしいところだ。
ここで三年間を過ごした。青春まっただ中であった。
さらに遡れば、まだここが六連隊であった戦前、前線へ送られる前夜の父に面会に来たこともある。
城内を散策をするほどの時間もないので、ここからは有料という箇所までの石垣を見て歩く。
あの頃(といってのもう半世紀前だが)はこんな風に石垣を見たことはなかった。毎日、全く無頓着にここを通っていたのだ。
いや、最初の日ぐらいはなにがしか感動し、目を見張ったかも知れない。
いずれにしても、こんな立派なものの傍らを毎日、通っていたのだと思うと改めて感慨が湧く。

ここからは有料という箇所に辿り着いた。
天守閣や東南の隅櫓ぐらいは写真に収めようとして境界ぎりぎりのカメラアングルのいい場所を探す。
すると警備員がやってきて、「済みません。ご入場でしたら入場券をお求め下さい」という。
「あ、すみません。今日は時間がないのでまたゆっくり来ます。ところで、ここから写真だけ撮らせていただきたいのですが・・・」
私の丁重なもの言いと、百万ドルの笑顔が効を奏して、警備員は快く諒解してくれた。
撮り終わって、「ありがとうございました」と礼をいうと、「今度はぜひゆっくりいらして下さいね」とこぼれるような笑み。
私の百万ドルの笑み(ちょっと、しつっこい)が効を発揮するはずだ。この警備員さんは女性(女性だと「さん」がつくのか?)だった。

慌てて会場である名古屋市の市政資料館へ向かう。
案ずることはなかった。私が最初であった。おまけに、1時からとなっていたのだが、会場清掃などの都合で1時15分からだという。
そうするうちに三々五々集まり始めた。最初についた私と次に来た人(三ヶ日の人)はともに県外の人間。田舎者は律儀なのだ。

かつての裁判所 現名古屋市政資料館(重要文化財)

内部も建築当時を保持 ここで会合や結婚式も出来る

各部屋には裁判所当時の部屋の名前が残されている
前回はドンピシャリ私の母の葬儀の日で欠席したため、久しぶりの顔合わせだが、もう何回も同じテキストを読み合ってきた同士で、疎遠な感じもしない。
かなり分厚いレポートを用意したのだが、4時間弱の制限内ということで、途中、ちょっとした休憩をはさんで一気呵成に報告をする。
というとかっこいいのだが、自分でもどうまとめたか分からない箇所もあって時折つっかえる。つっかえた点を思い返すと、やはりアーレントの原テキストで、解釈に手こずった箇所であった。まことにもって、「明瞭に思考する者は、明瞭に語る」である。
それでも何とか簡単な質疑応答を含めて時間内に終了することが出来た。
さて、おきまりの忘年会である。
会場は名古屋駅近く、予約した時間までには一時間ほどある。歩こうということになった。おそらく4キロほどはあろう。
さほど寒くはない。しゃべりながら歩けば暖かいほどだ。
<photo src="42430250:635094912:l">
途中のエピソード (1)
途中テレビ塔の辺りで、悠然と構えている黒猫に出合う。野良のようなのだが人気の多いところに暮らしているだけに、人との間合いのはかり方が実に巧妙だ。かなり近づき、しかもフラッシュを焚いて写真を撮っても身じろぎもしないし、そわそわする様子もない。
しかしこれ以上はという距離ではサッと身を翻す。といって遠くに立ち去るわけではない。また一定の距離を保った位置にいる。
考えてみれば、野良の身ではあれ、やたら人をおそれていてはおまんまにありつけないのだ。同情をした人間がちゃんとおまんまを施してくれる距離、しかもその人間が危害を加えることが出来ない距離、それがその猫が身に付けた人間という生き物との距離感なのだ。
生き物が状況の中へと差し出され、そこで生きて行く知恵というのは凄い。そうでなければ淘汰されてしまうような地点での知恵、果たしてひとはそんな知恵を持っているのだろうか。

途中のエピソード (2)
別に何かを求めてうつむいて歩いているわけではない。もともとうつむき加減の人生なのだ(と気取ってみる)。
私の前を歩いている仲間が気付かず、私のみが気付いたのはやはり私がうつむいていたからであろう。ようするに、拾いものをしてしまったのである。何か細長いものが落ちていて、拾い上げると布の袋に収められた筒状のものである。袋の上から触ってみると、何か筒にくぼみがついている。もしやと思って袋から出してみると、やはり予想どうり、横笛というか篠笛というか和楽器であった。
よく使い込まれてはいるもののさほど高価ではなさそうだが、この種のものには使い勝手や思い入れなど、持ち主にとっては金額に換算されない価値があるものである。
で、交番に届けることにした。ところがその交番が見あたらない。大きな交差点ならあるだろうぐらいに高をくくっていたのだがないのだ。とうとう、忘年会の会場まで持参することとなった。
そこでその店のフロントにいたマネージャーとおぼしき男性に最寄りの交番をたずねて、そこへ届け出た。
時効時の払い下げや謝礼の請求など、あらゆる権利請求を放棄して、「ちゃんと遺失物届けが出された場合、その人のもとへ返るようにしてやって下さいね」といって交番を離れた。

人物が特定できないようトリミングしたら酒瓶ばかりになった(笑)
で、やっと忘年会の席に着いたわけであるが、若い人とのお喋りは結構楽しかった。
和食のコースであったが、飲み物は赤ワインで通した。
最近このパターンが多いが、光り物の刺身など以外ではほとんど問題ない。光り物だって、同時に口にしなければいいだけだ。
気がつけば、6時半に飲み始めて11時近くまで、よく飲みよくしゃべった。
多分今年は、もう家族以外と話す機会はないのだから、「まっ、いいか」である。
親子以上に年齢が離れているのに、それを感じることなく応答できるのはいい。もっとも、そう思っているのは私だけで、彼らにとっては年寄りの面倒を見ていてくれるということかも知れない。
帰宅してからも意外と目が冴えてすぐには寝なかったが、寝付いたら最後、目覚ましを止めてさらに寝た。
思えば4キロの歩行、加えて交番までの急ぎ足の1キロ弱、これが老骨に響いたようだ。しかし、無理が出来るうちは無理をしていたいと思う。
ということで、今年の対外的な活動はすべて終わった。
以下は年内のスケジュール。
12月28日
自分の居住範囲の大掃除のつもりが中掃除、いや小掃除かなに留まった。しかし、昨日までよりは快適。
29日
正月の食い物、とりわけ野菜に関して農協の売り場への最後のアタック。
30日
おせちの下ごしらえと、日持ちのするものの製作。
31日
おせち完成。息子夫妻を迎えての年越しの宴。
来年は私の年。
生まれたときから数えると7回目の寅年。
ほんとうに遠くへ来たものだ。
若い人たちとの勉強会。ハンナ・アーレントの『人間の条件』を読む。
私がレポーター。
あれもこれもと参照したい文献がドンドン出てきて、結局は中途半端。
でも何とか格好を付けることが出来た。

会合に先立ち、会場近くの名古屋城に立ち寄る。
懐かしいところだ。
ここで三年間を過ごした。青春まっただ中であった。
さらに遡れば、まだここが六連隊であった戦前、前線へ送られる前夜の父に面会に来たこともある。
城内を散策をするほどの時間もないので、ここからは有料という箇所までの石垣を見て歩く。
あの頃(といってのもう半世紀前だが)はこんな風に石垣を見たことはなかった。毎日、全く無頓着にここを通っていたのだ。
いや、最初の日ぐらいはなにがしか感動し、目を見張ったかも知れない。
いずれにしても、こんな立派なものの傍らを毎日、通っていたのだと思うと改めて感慨が湧く。

ここからは有料という箇所に辿り着いた。
天守閣や東南の隅櫓ぐらいは写真に収めようとして境界ぎりぎりのカメラアングルのいい場所を探す。
すると警備員がやってきて、「済みません。ご入場でしたら入場券をお求め下さい」という。
「あ、すみません。今日は時間がないのでまたゆっくり来ます。ところで、ここから写真だけ撮らせていただきたいのですが・・・」
私の丁重なもの言いと、百万ドルの笑顔が効を奏して、警備員は快く諒解してくれた。
撮り終わって、「ありがとうございました」と礼をいうと、「今度はぜひゆっくりいらして下さいね」とこぼれるような笑み。
私の百万ドルの笑み(ちょっと、しつっこい)が効を発揮するはずだ。この警備員さんは女性(女性だと「さん」がつくのか?)だった。

慌てて会場である名古屋市の市政資料館へ向かう。
案ずることはなかった。私が最初であった。おまけに、1時からとなっていたのだが、会場清掃などの都合で1時15分からだという。
そうするうちに三々五々集まり始めた。最初についた私と次に来た人(三ヶ日の人)はともに県外の人間。田舎者は律儀なのだ。

かつての裁判所 現名古屋市政資料館(重要文化財)

内部も建築当時を保持 ここで会合や結婚式も出来る

各部屋には裁判所当時の部屋の名前が残されている
前回はドンピシャリ私の母の葬儀の日で欠席したため、久しぶりの顔合わせだが、もう何回も同じテキストを読み合ってきた同士で、疎遠な感じもしない。
かなり分厚いレポートを用意したのだが、4時間弱の制限内ということで、途中、ちょっとした休憩をはさんで一気呵成に報告をする。
というとかっこいいのだが、自分でもどうまとめたか分からない箇所もあって時折つっかえる。つっかえた点を思い返すと、やはりアーレントの原テキストで、解釈に手こずった箇所であった。まことにもって、「明瞭に思考する者は、明瞭に語る」である。
それでも何とか簡単な質疑応答を含めて時間内に終了することが出来た。
さて、おきまりの忘年会である。
会場は名古屋駅近く、予約した時間までには一時間ほどある。歩こうということになった。おそらく4キロほどはあろう。
さほど寒くはない。しゃべりながら歩けば暖かいほどだ。
<photo src="42430250:635094912:l">
途中のエピソード (1)
途中テレビ塔の辺りで、悠然と構えている黒猫に出合う。野良のようなのだが人気の多いところに暮らしているだけに、人との間合いのはかり方が実に巧妙だ。かなり近づき、しかもフラッシュを焚いて写真を撮っても身じろぎもしないし、そわそわする様子もない。
しかしこれ以上はという距離ではサッと身を翻す。といって遠くに立ち去るわけではない。また一定の距離を保った位置にいる。
考えてみれば、野良の身ではあれ、やたら人をおそれていてはおまんまにありつけないのだ。同情をした人間がちゃんとおまんまを施してくれる距離、しかもその人間が危害を加えることが出来ない距離、それがその猫が身に付けた人間という生き物との距離感なのだ。
生き物が状況の中へと差し出され、そこで生きて行く知恵というのは凄い。そうでなければ淘汰されてしまうような地点での知恵、果たしてひとはそんな知恵を持っているのだろうか。

途中のエピソード (2)
別に何かを求めてうつむいて歩いているわけではない。もともとうつむき加減の人生なのだ(と気取ってみる)。
私の前を歩いている仲間が気付かず、私のみが気付いたのはやはり私がうつむいていたからであろう。ようするに、拾いものをしてしまったのである。何か細長いものが落ちていて、拾い上げると布の袋に収められた筒状のものである。袋の上から触ってみると、何か筒にくぼみがついている。もしやと思って袋から出してみると、やはり予想どうり、横笛というか篠笛というか和楽器であった。
よく使い込まれてはいるもののさほど高価ではなさそうだが、この種のものには使い勝手や思い入れなど、持ち主にとっては金額に換算されない価値があるものである。
で、交番に届けることにした。ところがその交番が見あたらない。大きな交差点ならあるだろうぐらいに高をくくっていたのだがないのだ。とうとう、忘年会の会場まで持参することとなった。
そこでその店のフロントにいたマネージャーとおぼしき男性に最寄りの交番をたずねて、そこへ届け出た。
時効時の払い下げや謝礼の請求など、あらゆる権利請求を放棄して、「ちゃんと遺失物届けが出された場合、その人のもとへ返るようにしてやって下さいね」といって交番を離れた。

人物が特定できないようトリミングしたら酒瓶ばかりになった(笑)
で、やっと忘年会の席に着いたわけであるが、若い人とのお喋りは結構楽しかった。
和食のコースであったが、飲み物は赤ワインで通した。
最近このパターンが多いが、光り物の刺身など以外ではほとんど問題ない。光り物だって、同時に口にしなければいいだけだ。
気がつけば、6時半に飲み始めて11時近くまで、よく飲みよくしゃべった。
多分今年は、もう家族以外と話す機会はないのだから、「まっ、いいか」である。
親子以上に年齢が離れているのに、それを感じることなく応答できるのはいい。もっとも、そう思っているのは私だけで、彼らにとっては年寄りの面倒を見ていてくれるということかも知れない。
帰宅してからも意外と目が冴えてすぐには寝なかったが、寝付いたら最後、目覚ましを止めてさらに寝た。
思えば4キロの歩行、加えて交番までの急ぎ足の1キロ弱、これが老骨に響いたようだ。しかし、無理が出来るうちは無理をしていたいと思う。
ということで、今年の対外的な活動はすべて終わった。
以下は年内のスケジュール。
12月28日
自分の居住範囲の大掃除のつもりが中掃除、いや小掃除かなに留まった。しかし、昨日までよりは快適。
29日
正月の食い物、とりわけ野菜に関して農協の売り場への最後のアタック。
30日
おせちの下ごしらえと、日持ちのするものの製作。
31日
おせち完成。息子夫妻を迎えての年越しの宴。
来年は私の年。
生まれたときから数えると7回目の寅年。
ほんとうに遠くへ来たものだ。