六文錢の部屋へようこそ!

心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

軍刀立てのある家を買いませんか? 旧岐阜県知事官邸

2010-07-10 01:24:04 | 歴史を考える
 先日、かなり離れた床屋まで徒歩で行きました。
 それには二つの理由があります。
 ひとつはここしばらく運動不足気味なので、歩こうと思ったわけです。しかしそれにもまして、もうひとつ強い動機がありました。
 それは、自宅から床屋へといたる途次にあるある建造物を是非カメラに収めたいと思ったからです。

  
           車寄せポーチのある玄関部分

 それは前にも一度ここに載せたのですが、旧岐阜県知事官舎なのです。
 なぜ今更それをということですが、最近、ここをめぐって不穏な動きがあるからです。

 不穏といっても、私が勝手にそう感じるだけで、別に何かの陰謀がめぐらされているわけではありません。
 でも、どうも様子が変なのです。荒れ放題だった生け垣がばっさりと処分され、周りの樹木もすべて伐られ、庭に相当する部分も整地され、ようするに、この敷地の中にぽつねんと建物のみが淋しく残っているのです。
 そしてこの分では、この建物自体も処分されそうな気配なのです。

  
         建物裏手の全景 左は洋風 右は和風
 
 ここはやはり廃屋フェチの私の出番です。
 しかも相手は、歴史的建造物ともいえるものなのです。

 廻りには仮の塀がめぐらされ、塀のないところには虎模様のロープが張り巡らされていました。
 まずはその外から撮しました。
 しかし、この建物の全貌を記録するにはこれでは不十分です。
 ためらわずロープをくぐりました。
 建物を一周し、様々な角度から撮しました。

  
      和風部分南側 ひさしの屋根は後年瓦から改装している

 さて引き上げようかなという折しも、一台の乗用車が止まり、虎模様のロープを外して敷地の中に乗り入れてきました。
 万事休すです。
 私は紛れもない不法侵入者なのです。

 ドアが開いて男性が降りてきました。
 私より少し若い人です。
 私の方から進み出て詫びました。
 「申し訳ありません。子供の時から知っている建物なので、是非写真に収めたくて・・・」

  
       人がいなくなってから久しいのか内部は荒れている

 男性は私を一瞥してから、「ああ、構いませんよ。ここを懐かしがってくれる人は結構いらっしゃるのですから」。
 これで図に乗った私。
 「失礼ですがここの持ち主、武藤さん(かつての岐阜県知事でここを県から買い取った人)の関連の方ですか」
 「いいえ、その武藤さんからここを買い取ったものです」
 と、男性。さらに続けて、
 「今日もここを見回りに来たのですが、もし興味がおありでしたら中も見て行きませんか」
 との降って湧いたようなお誘い。

  
       斜めに走るは丸太造りの鴨居 これは珍しいという

 善人を絵に描いたような私の容貌が、不法侵入への非難はおろか、この歴史ある建物の内部の見学までをも現実化してしまったのです。
 「あ、はい、よろしくお願いします」
 と私。
 男性は、持参した鍵で扉を開け私を案内してくれました。
 いろいろ説明を受けながら、私はその男性に問いかけます。
 「いったい、ここをどうするつもりなんですか。ここを県の歴史的建造物として何らかの形で遺せないのでしょうか」

  
           廊下曲がり角の天井部分の細工

 以下、会話方式ではまだるっこくなりますから、男性の答えをかいつまんで述べてみましょう。
 それを実現するには二つの方法があるというのです。
 ひとつは、県が県政史上の有形の資料として買い上げてくれて、現県庁の近くなりに移転し保存してくれたらということで、それを県にたいして働きかけてはいるのだが・・・とのことでした。

 ふたつめは、この場所で、この基本的構造を遺したまま、内装を手直しし、昭和の建築物のレトロさ、しかも知事官舎であったということを強調したコンセプトで飲食店などの営業店舗として利用してくれればということで、その引き受け手を捜しているということです。

 ひとつめの案は、県民の税負担との関連で検討されねばならないでしょう。
 ふたつめの案は面白そうです。
 レトロ「風」の店はごまんとありますが、ここは正真正銘のレトロなのですから。
 私に、資本力と起業精神があり、そして何よりも若さがあったら・・・。

  
             書院造り風の床の間

 いや事実、可能性はありますよ。
 ロケーションも悪くはありません。岐阜駅からまっすぐ南へ1キロ強、旧国道21号線との交差するところです。
 敷地にたっぷり余裕がありますから、駐車場も確保できますし、客席から臨むちょっとした庭園も造れます。

 手元にお金があって、何かやりたくてウズウズしているあなた、ご一考されてはいかがでしょうか。
 感じとしてはもちろん和食が似合うのでしょうが、思い切ってフレンチやイタリアンでもいけそうです。いずれの場合もBGMはバロックがいいと思います(と私の趣味の押し売り)。

      
           銅(あかがね)のドアの取っ手

 さっきから私が、知事「官舎」といっていることに違和感をもたれた人はとても鋭い方です。普通は知事の公邸、公舎というべきところですよね。
 しかし、ここは紛れもなく知事「官舎」だったのです。
 なぜかというと、今のように知事が選挙で選ばれるようになったのは、日本が敗戦を迎えた2年後、地方自治が運用され始めた1947(昭和22)年からで、それ以前には知事は中央政府(主として内務省)が任命する官選の官吏だったわけです。

 以上が、ここが公舎ではなく官舎であったことの理由ですが、私を案内してくれた男性もその辺には精通しているようで、「岐阜はどうも長州閥系の知事が多かったようです」と教えてくれました。
 そしてその証拠として指し示したのが、玄関脇にある一見、傘立てと見えるものの正体です。

     
            これが傘立てならぬ軍刀立て

 なにやら武骨な傘立てだなぁとは思ったのですが、なんとそれは「軍刀立て」なのでした。長州閥の末裔が勤める知事を、長州出身の軍人たちが訪れ、ここにその軍刀を立てたのでした。
 実際のところ私自身、戦前の幼少時、街中を軍刀を携えた士官級の軍人(岐阜の場合ほとんど陸軍)が、あるいは軍用車で、あるいは騎馬で通りかかるのを見たことがあります。

  
      下の凹みは鐺(こじり=鞘の先端の部分)を収めるためのもの

 なんかそれだけでも歴史を感じる建物ですね。
 他にも、今日の職人がなし得るかどうか分からない長尺の丸太造りの鴨居、廊下の曲がり角の工作、ドアの真ちゅうの取っ手、書院造り風の床の間、天井や欄間の造り、そして玄関応接間部分の洋風とその他の部分の和風の絶妙なバランスなどなど、これらが単純に壊されてしまうのはいかにも残念なのです。

 そうなんです、今年の秋頃までに上に述べた二つの案のいずれかが実現しない場合、この建物は取り壊される運命なのです。
 だからこそこの建物は、通りかかるたびに、「俺を撮せ、俺を記憶せよ」とうるさく私にささやき続けたのです。

 一応、撮影に関しては、思いがけずその内部まで叶いましたが、この建物の運命は未定で、それは今秋には決定されるはずです。
 どうやら、たぶん秋口までには私の寿命も持ちそうなので、その行く末を見届けてやりたいと思っています。

  
                欄間の細工

 ここがもし飲食店になどなったら、多少高い店でも、一度訪れてみたいものです。
 もちろん、軍刀を携えてではありませんが・・・。
 今秋、何らかの動きがありましたらまたここで報告するつもりです。
 





 
 
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする