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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

夢のロックン・ローラと「暑中見舞い」

2010-07-26 02:23:38 | 想い出を掘り起こす
 修学旅行の宿舎で、唐草模様の風呂敷を被り、母と、そして今はなき私の愛した女性を偲んで、スロー・バラードのロックを唄っていました。
 知らない間に各部屋からやってきた男女の学友たちが感動して体を揺らしています。それらの感動がまた私を揺さぶり、私は泣き出さんばかりにサワリの部分にさしかかったのですが、そこで目が醒めました。
 ひょっとしたらほんとうに泣き声を出していたかも知れません。

  
      途中の景勝地・寝覚の床 浦島太郎はここで目覚めたという

 もちろんこんな実体験はありません。
 私の修学旅行は半世紀以上前ですから、ロックもプレスリーもまだありません。
 ペレス・プラードのマンボがやっと上陸しはじめた頃でしょうか。
 だいたいにおいてマンボはアップ・テンポな曲が多かったので、ややスローな曲といえば「セレソローサ」ぐらいでしょうか。 

 で、そんな夢を見たのはなぜかという俗流フロイディアンばりの夢解釈は行いません。
 私も一応、彼の「夢の解釈」を読んではいます。しかしというか、だからというか安易に夢分析などというものは行いません。
 なぜなら、フロイト自身が、夢解釈というのは個別的であり、夢に現れた記号的要素を日常言語に置換すればそれがなし得るとはけっしていってはいないのです。
 ようするに夢の翻訳は、Googleの翻訳機能を緻密にしても不可能なのです。

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       木曽駒 どうしてこんなに優しい目つきが出来るのだろう
 
 フロイト自身がそこで行っている解釈も、その対象者の置かれた状況を事前によく知り、なおかつその対象者の過去や人間関係について知り尽くし、さらに最近、その身に起こった事柄の概要を知った上でやっと夢解釈にとりかかっているのです。
 ですから、巷間、よく言われるように、「こんな夢を見たがどうだ」といわれるほど安易なものではないのです。

 フロイトの夢に関する理論は、その後いろいろな批判にさらされています。
 しかしながら、夢というそれ自身不可思議で不合理なものを、日常的な意味の世界へと解釈できないかと考え実行したことはすばらしいことです。
 また、そのために、夢見る人の状況を予め緻密に調査するというのは、幾分、循環論的な感じもしますが、いわゆる解釈学的循環として許されるべきであり、一つの積極的なアプローチの仕方でもあると思います。

  
          御岳 逆光だがその存在感はすばらしい

 あ、おしゃべりが過ぎました。
 なぜ、そんな夢を見たのか前後の状況だけ報告致しましょう。
 ここ何日か異常に暑いので、皆様に「暑中見舞い」をと思い、先週、あるグループで訪れた信州は開田高原の写真などを載せようかと思ったのです。
 しかし、パソコンに向かった時点で、猛烈なけだるさと睡魔が襲いました。

 普通はこの時間は私にとってとてもアクティヴな時間帯なのですが、今日はもっとも日射が強い折、郵便局へ徒歩で手紙を出しに行ったことが確実に影響しているのだと思います。
 近くにポストはあるのですが、そこは日曜日は一回しかもって行きませんし、その時間はもう過ぎていました。そこへ行ってからはじめてそれと知り、それではと少し離れた郵便局まで歩きました。そこは一日四回ほど集めに来ます。

 その折り、猛暑対策を充分していなかったのだと思います。
 アポロンに逆らうイカルスのようなものです。

  
        渓のある暮らし アマゴやイワナとともに共生したい

 というようなわけで、もとはといえば皆様への暑中見舞いが発端でした。写真だけピック・アップした段階で猛烈な疲労と睡魔により中断したものをここに再現する次第です。
 題材は、信州は開田高原です。
 各地でこの夏の最高気温を記録した日、この高原も暑かったのですが、平地との乾燥の度合いの違い、空気そのものの爽やかさなどで別天地でした。

 これらの写真を掲載し、暑中見舞いと致します。
 私自身、過去、軽度な熱中症を三度ほど経験しています。
 寄る年波からいって、今度不用意に体験したらもう皆様とおさらばになるでしょう。

       
                そして、夕月

 私を71年間、照らし続けてくれたお日様にはまことに申し訳ないのですが、しばらくはあなたを避けさせていただきます。
 ゴメンナサイね。
 

コメント (4)
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