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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

映画『新生ロシア1991』とサンクトペテルブルクの思い出

2023-02-20 02:16:38 | 歴史を考える

 もう何度もあちこちに書いたが、1991年8月、私は初めての海外旅行の途上にあった。行く先はモーツァルト没後200年に際しての記念すべき音楽祭に湧くザルツブルグであった。三つのオケと二つのオペラを含むこの夢のような旅は、ボーナスもなにもない自営業の私に、私自身が与えた開業20年ぶりのボーナスであった。

 この旅で、私が最初にその足を下ろす異国の地は、当時のソ連、モスクワ空港であった。モスクワに滞在する予定はなかったが、そこで給油のため一時間半か二時間の滞在があるので、空港内へ降り立っての行動は予定されていた。
 ノーテンキな私は、その空港内で、上質のウオッカでも入手せんものと手ぐすね引いていた。機は、大小の湖と白樺林が点在するモスクワ郊外の空港へと滑り込んだ。

            

 その時であった。スワと席を立とうとした私に無慈悲な宣告が下された。機内アナウンス曰く、「ソ連当局のお達しにより、乗客の空港内立ち入りは禁止されました。そのまま、お席にて出発をお待ち下さい」
 ガ~ン、ソ連の、モスクワの地をこの足下で感じとりたいという私の望みはかくして断たれることとなった。1991年8月22日(日本時間)のことだった。

 その要因もほぼ推測できた。いくら世間に疎い私でも、ゴルバチョフのペレストロイカやそれに同調するエリツィンに対し、それに抵抗する旧共産党系の反動派がクーデターを図ったが既に鎮圧されたというニュースは出発前日にキャッチし、それじゃ、モスクワ空港内の散策も・・・・と安心しきっていたのだ。

       

 しかし、結局はソ連が崩壊し、その傘下の国々の独立と同時にその中心であったロシアは新生ロシアとして再出発するという歴史的大事件が、この現地においては、日本の地で新聞やTVで見ていたように、「ハイ終わりです」というわけにはゆかないことは当然だったのだ。
 しかも、私がモスクワ空港へ着いたその日、クーデター派によってクリミアに幽閉されていたゴルバチョフが、開放され、まさにモスクワ空港経由で帰ってくるその日だったのだ。

 航空機の窓から見る空港は、まさに厳戒態勢だった。機関銃を積んだ装甲車が走り回り、完全な戦闘ムードの兵士たちが、あちこちで警備の体制をとっていた。銃を携帯した兵士の一隊が、機体の周りをパトロールする。窓越しにではあるが、下手に目を合わせると狙撃されそうな気分にすらなる。

       

 前置きが長くなった。私が観た映画は、ちょうどその頃、当時のレニングラード(いまのサンクトペテルグルクで何が起こっていたことを映像にしたものである。
 日にちや時間などの字幕が入る以外、ほとんどノーナレのモノクロ映像は、この都市の各地での凄まじい数の人々の不安や怒りや訴えを映し出す。それらは、やっと73年にわたるスターリニズムの抑圧体制からテイクオフしようとしているとき、そのネジを逆転させようとしている反動派のクーデターに反対するものだ。

 実は私は、コロナ禍が始まる寸前の2019年夏、このサンクトペテルブルクを訪れている。その折は、主として1917年のロシア革命の痕跡を追いかけたのだが、その折見た多くの風景が、この映画では、その17年の革命を否定する場として登場するのは感慨深かった。
 ここに載せたモノクロの写真は映画からのものだが、カラーは2019年に私が撮ってきたものだ。

       
 
 映画は、サンクトペテルブルクの各地で人々が集まり、集会やデモを行うシーンが出てくる。とりわけ、私が何度も行ったエルミタージュ美術館(1917年のロシア革命では、ボルシェビキがケレンスキー一派を最終的に追い出し、政権を樹立した当時の冬宮)前の宮殿広場には、八万人の大観衆が集結する大集会がおこなわれ、人々は口々に要求のスローガンを叫び続けた。
 この映像を見て、これだけの人々が集まりながらも、ほとんど流血をみなかったのは、素晴らしいと思う。

       

 その結果が、ソ連の解体となり、連邦内の国々は独立し、新生ロシアが誕生したことは誰もが知っている。そして映画は、そこで終わっている。
 この映画には、若き日のプーチンもチラッとだが出てくる。反動派のクーデターに反対する立場からのものである。

       

 私たちにとっての興味は、その後のロシアがどうして今日見られるようなプーチンの専制政治体制になり、ウクライナへ侵攻するなど大ロシア主義の道をたどることになったかである。
 あの、サンクトペテルブルクの街を埋め尽くした「自由」への叫びは、どこへ行ってしまったのだろうか、ということでもある。

       

 その解明に役立つのは、ハンナ・アーレントの『革命について』ではないかと思う。これを論じだすと長くなるので端折るが、彼女は、革命の成否はその革命が要求する内容の方向性によるとする。
 搾取や強権、抑圧からの解放は革命の要因になりやすい。ただ、その「~からの自由」のみの革命は挫折しやすいという。むしろ、問題は獲得すべきものを明確にすること、つまり、「~からの自由」にとどまらず、「~への自由」が明確にされねばならないとする。

       

 それを適用するならば、1991年のロシアの「革命」は、73年続いたスターリニスト支配「からの自由」を実現したものの、自らの体制をいかなるものとして形成するかの、新しい体制「への自由」という展望を欠いていたがゆえに、新自由主義とのグローバルな世界的競争に投げ出されるなか、今日のような奇怪な体制を余儀なくされているのではないか。

       

 世界には、いま開催されているG7のような一時的安定の中で静態的に不動であるかのような「優等生国家」がある。しかし、それらの国々がいつ炸裂するかわからないマグマを抱え込んでいるのは、アメリカやこの国をみるだけでじゅうぶんわかる。
 世界の歴史は、そうした潜勢態にあるものが、ちょっとした変化で、現勢態に転ずることから生じる。

       

 1991年までの20世紀の大半は、米ソの不動の体制下にあり、左翼も右翼も、リベラルも、全てその舞台で踊っていたのだから。


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