沖縄の海は、これまで私が見てきたものとは明らかに違っていた。
海岸からしばらくは透明感のある水色が沖に向かって広がり、なにがしかの箇所でそれが深いマリンブルーに変わる。そして、その境界線には、白波が立つのが見える。
この白波こそ、手前のサンゴ礁と外海とを隔つボーダーラインなのである。
そのコントラストの鮮やかな美しさ、沖縄の人たちがこれを美ら海(ちゅらうみ)として誇りに思うのもむべなるかなである。
訪れた辺野古の海は、そうした美ら海中の美ら海といっていいほど美しかった。
それを目撃した途端、私には、この辺野古での基地闘争の本質がわかったと思った。それは、この美ら海が、人類が生み出したもっとも醜く悲惨な戦争という目的のために無きものにされようとしているということだ。
政治、経済、軍事とさまざまな屁理屈が流通している。しかし、その本質は、この美ら海が戦争のためのあの無機的で醜悪な構造、V字型の二本の滑走路に置き換えられようとしているということだ。
短縮していえばこうだ。美ら海vs戦争。
この美しい海と戦争ないしは戦争への準備とどちらをとるのか・・・・。
まずはキャンプ・シュワブのメインゲート前のテント村へ行く。その前の道路を挟んで向こう側は沖縄であって沖縄ではない米軍の統治区域、日米地位協定によって、日本の統治が及ばない治外法権地区である。
この日は、ここで座り込みが始まってから1954日目。
活動家の男性の話を聞く。内容についてはニュースや出発前の予習と重複するが、それでもこの地で改めて聞くと、その臨場感のようなものが胸に迫る。「そしてあそこが・・・・」と指差す先にまさにそれがあるのだから。
話を聞いているさなかも、米軍の車両がわがもの顔に行き来する。
午後三時、第三ゲートから埋め立て物資が搬出入されるというので、テント村の住人たちはそちらへ抗議に向かう。
私たちは時間の関係もあって、1kmほど離れた辺野古川河口近くの辺野古漁港付近にある浜テント村へと向かう。ここは、辺野古でのの抗議活動のもう一つの拠点で、TVの報道などで知られた、小型ボートによる海上からの抗議活動の基地である。海上保安庁の船舶による暴力的な排除で、ずぶ濡れになりながら抗議を続ける人々の映像が目に浮かぶ。
ここでは、年配の女性の方の説明を聞く。
そしてこの地点からは、今まさに埋め立てが行われつつあるのを目視することができる。真新しいテトラポットが並ぶ向こう側に伸びる柿色の海上フェンス、その辺りで大型のクレーンがせわしなく動き回っている。
珊瑚がきらめく美ら海を殺しつつある現場だ。
それにしても、この辺野古漁港近辺の海は素晴らしい。珊瑚礁で一度せき止められた波は、サラサラと穏やかに浜に打ち寄せ、その砂地には、名も知らぬ小魚たちが群れ泳ぐ。
港の防波堤の先には、こんもりとした小島があって、その頂上には海運や漁業の安全を祈る祠や鳥居が鎮座している。
そのどこもがすばらしいロケーションである。
しかし、まさにこの場所で、戦争という愚行のために、それらを殺す犯行が進行しつつあるのだ。
まだ間に合う。この愚行は避けなければならない。