goo blog サービス終了のお知らせ 

六文錢の部屋へようこそ!

心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

私は檸檬 私は花梨 そして基次郎

2008-10-13 01:18:09 | よしなしごと
 自転車でときどき通る箇所にレモン(檸檬)の樹とカリン(花梨・花櫚)の樹がある。
 まだ実は熟し切っていなくて青い。

 この時期の青い檸檬は私だ。
 願わくば爆弾を秘めたそれであって欲しい。

 

 花梨も私だ。
 それ自身の果実は食したりしないが、風呂に浮かべたり、焼酎に漬けるとえもいわれぬ香りを発する。
 私も自身は煮ても焼いても食えないが、なにかと結びついて役割を担うこともありうるかも知れない。
 私の場合は、花梨ではなく、「可憐」といわれることもあるが、それはこの際どうでもいい。

    

 檸檬にしても、花梨にしても、さして大きな花ではない。
 それがこのように立派な実を結ぶのは、自然が秘める可能性のようなものを余すところなく示している。

 その過程を眺め、その結実を見るとなんだか幸せな気分になる。
 なにかが「なる」こと、生成すること、それはすばらしいことなのだ。
 ひとにはそれと知れぬ可能態としてしかなかったものが、自然のエネルギーを吸収して現実態となることなのだ。

 

 ひとは今、人為のエコノミーに気をとられ、そうしたひとの恣意をはるかに越えた自然の生成に驚異することは少ない。
 しかし、根源的なのは自然の方であり、ひとが生み出したシステムなどは一時期のほんのちっぽけなものでしかない。
 実生活からいったら無理ではあろうが、出来るだけそうした人為的なもので右往左往などしたくはない。

 

 
 私は青い檸檬だ、そして実り行く花梨だ。
 生成し、消滅するものの全てだ。


 

以上の独りよがりな文章に登場する「檸檬ー爆弾」のイメージはいうまでもなく梶井基次郎の「檸檬」に依拠したものである。
 これを機会にそれを読み直してみた。
 この短い文章の中で、彼は自らを定位出来ない不安をのべたてたあと、やたらものの名前を列挙する。
 それは、そうしたものたちとの関わりのうちにおのれを定錨したいという欲望のようなものである。

 そうして彼は、とある店で檸檬を求めその質量感に「ある」ということを実感する。
 しかし、当時の文化の最先端といわれるような丸善の中で、再び彼はおのれと周辺の存在感が希薄になるのを覚える。
 そのとき思い出したのがくだんの檸檬である。
 
 彼は積み上げた美術書の上に檸檬を乗せて丸善を去る。
 そしてその檸檬が爆弾であることを夢想する。
 ここには、梶井がどれほど意識したのかはともかく、人為の集積としての美術書と、自然の生成と消滅を孕んだ爆弾としての檸檬が対置されている。
 果たして檸檬は爆発するのだろうか。





コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Which do you like? 秋の雲・夏の雲

2008-10-11 01:25:01 | 写真とおしゃべり
 空なんか見上げている場合ではない。
 私が入っている個人年金の会社が破綻した。
 この会社の生命保険にも入っている。もう三十年以上になるつきあいの担当者(女性)と電話で話した。
 年金も保険金も一定程度は保証されるがその比率は不確定であるとのこと。
 その上、今月入金予定の一年分の個人年金も支払いは六ヶ月ほど延びるとのことだ。

 

 担当者にぐだぐだ言ってもしょうがないので、「あなたも大変ですね」と言ったら、「そんな風に言ってくれるのは六さんだけだ」と少しウルウル。朝から、顧客からの問い合わせや抗議の電話でかなり参っている様子だ。

 かといって私に余裕があるわけではない。
 私のように自営業であって、しかも欠落期間がある国民年金にしか入っていない者にとっては、公的年金だけでは食っては行けない。それを補填するための個人年金だったのだがそれが揺らいできたのだから、空など見ている余裕はない。

 

 しかし、私は空を見る。
 もともと世の中をさほど巧く生きてきた訳ではないし、したがって、晩年にいたって安泰のうちにいられる保証もないわけだ。
 だから、失くしたものはもともと無かったものだぐらいに考えて空を見上げるしかないではないか。
 折しも空は秋を絵に描いたような風情なのだ。

 

 夏の猛々しい雲もそれなりにダイナミックで嫌いではない。
 少しばかり重々しくて威圧的なのが難だが、事実そうした自然のもとにあるのだから致し方ない。
 突き刺さるような暑さの中、ふと見上げると力量感溢れる雲、その存在感に私の精気も反応する。

 

 そへゆくと秋の雲ははるかに流動的でかつ優しい。
 そして、少し目を離すともうその様相を変えてしまう。まことに「私の心と秋の雲」である。
 年金というシステムが、実は淡いおぼろげなものに過ぎないことの象徴か。
 おっと、せっかく念頭から追い払おうとした迂回戦術がフイにななってしまった。

 
 
 夏の雲が風を起こすダイナモであるとしたら、秋のそれは風の巧みな受け手であろうか。
 どちらが好き?
 当然両方だ。
 ついでに春の雲も、冬の雲も好きだ。
 みんなまとめて好きなら、一年中空を見上げる楽しみがあろうというものではないか。

 こんなことをぐだぐだ書いていたら、植木等の歌を思い出した。
 
  金のない奴はおれんとこへ来い 俺もないけど心配するな
  見ろよ青い空白い雲  そのうち何とかなるだろう

 
 大らかで良い歌だ。


上の写真のうち2枚が夏のものだがどれかを敢えて言う必要はあるまい。
 
 








コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

遠足! 思えば遠くへ来たものだ!

2008-10-09 00:46:27 | 想い出を掘り起こす
 岐阜駅での遠足の小学生たちである。
 授業から解放された子供たちの表情は明るく楽しげだ。

 

 自分の子供の頃の遠足を振り返ってみる。
 戦後の国民学校、小学校時代のそれは、行く先なども含めてほとんど記憶にない。
 ただ、文字通り「遠足」だったことは覚えている。
 つまり、今様に電車やバスで行くのではなく、歩いて出かけたのである。
 その距離は高学年になるほど遠くへ伸びたはずだが、小、中学生の頃のそれはどこへ出かけたのかさっぱり思い出せない。

    

 かといって楽しくなかった訳では決してない。
 前夜にリュックサック(今のようにスマートなものではない)にいろいろ詰め込みながら、「あ~した天気になぁれ」と願ったものだ。
 てるてる坊主を吊したこともあった。
 そして、ワクワクしながら寝たものだ。

 行く先やそこで観たものは覚えていないが、弁当だけは覚えている。
 昔から食い意地が張っていたのだろうか。
 主食はおにぎりである。
 母は三角のおにぎりは握らなかったから、俵型かやや平たい円形のものだった。
 中味は梅干ししかなかったが、ほかに、紅生姜や紫蘇を細かく刻み込んだものをご飯に混ぜて握ったものがおいしかった。
 海苔で巻かれてはいなかった。海苔が登場するのはもっと後になってからである。

 

 副食で一番楽しみなのはゆで卵であった。
 当時、卵は貴重品で、遠足か運動会、或いは病気の時ぐらいしか口にすることが出来なかった。
 それがまるまるひとつ食べることが出来るのだ。うれしかったなぁ。
 1950(昭25)年ぐらいでも、卵かけご飯は贅沢で、大きなどんぶりに作って、父と私が半分ずつ食べた。
 母は、私はいいからと手を付けようとしなかった。
 その他の副食は覚えがない。あ、そうだ沢庵が付いていた。自家製の沢庵は今から考えると旨かったに違いないが、子供の舌はそれを賞味する術を欠いていた。

 デザートは柿か梨だった。それらが身近にあったからだ。リンゴの時もあったが、今様にでかくて甘いそれではなく、小さめで酸味のきいた紅玉といわれるものだった(その紅玉も、その後品種改良されて、今は当時のものとは違うようだ)。
 それらのラッピングは竹皮であった。それをやはり竹皮を裂いた紐で結び、さらには新聞紙で包む、それが一般的であった。

 

 書いているうちに行った先なども思い出せるかと思ったが、やはり思い出せない。
 ひとつだけ思い出したのが、大垣郊外に住んでいた小学生の頃、近くの金生山(山ごと石灰岩で化石も豊富)へ行ったことだ。もちろん徒歩である。
 
 途中で、美濃赤坂線の列車に向かって石を投げるいたずらをし、それが発覚して問題となった。
 首謀者と目され、親まで呼び出されて叱られた。
 「石は列車には届いていない」と抗弁したが、もとより聞き入れられることはなく、強情な子だと判断された。
 届かなかったのは事実で、あの距離では列車を狙ったのかどうかすら今となっては定かではない。

 
 
 話が列車だけに脱線したようだ。
 遠足に列車やバスを利用するようになったのは中学以降だろうか。それもあまり鮮明に覚えていない。
 高校生以降の遠足は、蒲郡や彦根へ行ったのを思い出すことが出来る。
 割合近い過去(といっても半世紀前だ)ということもあるが、この頃からやっとそうした行事に写真を写すという習慣が普及したからだ。

 アルバムを繰ると、使用前の紅顔の美少年が、笑顔で私に問いかける。
 「さて、半世紀経ったが、お前はこの私を何に作り上げたのか?」と。








コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自転車で秋風に吹かれての出会い・・

2008-10-07 16:46:03 | よしなしごと
 ここんところぐずついた天候なのですが、晴れ間を縫って母が入院している病院まで自転車で出かけました。
 
 やはり自転車からの目線は車のそれとは全く違います。
 それに、オヤ、と思ったら即座に止めて観察できるのがいいですね。
 車だったら、そんなことをしたら追突されること必至です。
 あ、そうそう、車では滅多に通らない裏道や農道を行けるのもいいですね。
 そうしたおかげで、いろいろなものが目に入ります。

 
 
 近くの流れで鴨が遊んでいるのを見かけました。
 カメラを構えるとすーっと離れてゆくのですが、そちらへ移動すると今度は反転して反対側へ移動します。その繰り返しでなかなか良いアングルで撮らせてはくれません。

 
 
 車では薫りだけで通りすぎる金木犀のありかも確認し、観察できます。
 あまり近づくとむせ返るようで頭がくらくらします。
 やはり、風に乗ってほのかに薫るぐらいがいいのかも知れません。

 

 柿が実っていました。
 秋定番の風景ですが、ここのは違います。まるでグレープフルーツのように、まさにたわわというか鈴なりというか、密集して実を付けているのです。
 おそらく、柿の種類が違うのでしょう。

 

 始めに述べたように、それらをじっくり見ることができるのが自転車の効用ですが、加えて面白いのは、足への抵抗の軽重によって微妙な地形が分かることです。
 オヤ、緩やかだがここは登り坂だったのだ、ア、ここは下りかといった起伏がペダルからの応答によってよく分かります。
 車だったらまず気づかない微妙な違いがそれを教えてくれるのです。

 秋の気配を身体全体に感じながら帰途につきました。
 やらねばならないことが山積している部屋に帰るのがおっくうでした。

 

 










コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

街の中の壁画(出題付き)

2008-10-06 01:11:59 | よしなしごと
 都市のビルなどの外壁は無機的です。
 自社ビルですと品よく会社のロゴマークが書かれていたりしますが、雑居ビルだとそれさえもなく、無地っぽい壁面があるのみというのが多いようです。

 
          岐阜駅近くの高架下自転車置き場

  そんな中で、なにか絵画的な表現があると結構目立ちますね。
 限られた通りすがりの中でそれらを撮してみました。

    
           名古屋市柳橋付近(広小路筋)
 
  かつて、南ドイツでロマンチック街道の一部を旅したことがありますが、その途中、さして大きくない集落のどの家にもフレスコによる壁画が施されているところがあって、大いに目の保養をさせてもらったことがあります。
 各戸の画がそれぞれが違っていて、その集落全体がまるで美術館のようでした。

 
        同じく柳橋付近で(こちらは錦通り沿い)

  もっとも、こうしたものが今日の都市に氾濫したとしたら、それはそれで結構うるさいものがありそうですね。
 やはりフレスコ画や壁画の伝統があるヨーロッパの集落や寺院の中にあってこそ、そのアウラがあるのかも知れません。

  ところで、今日の日記のおまけですが、あるところの壁面に以下の写真のような掲示を見つけました。

 

  この掲示の中で、
  「○○は 持ち帰りましょう」
  とある○○の中に、なにか文字を入れて文章を完成させて下さい。
 文字数は二文字でなくてもいいことにします。
 その他、アレンジも構いません。
 これは一例です。
 
 「くずかごは置いてありません。
  辞任した大臣は持ち帰りましょう。
               永田町 」







コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

黒沢 清『トウキョウソナタ』を観る

2008-10-04 15:30:49 | 映画評論
 ネタバレは最小限に留めました。 

 いわゆる家庭崩壊と再生の物語であるが、黒沢作品としては結構端正にまとまっている。これは脚本や監督の技量に対する評価であるとともに、いささかの疑念でもある。
 あんなに端正にまとまるものであろうか?
 まとまるとしたら何がそうさせたのだろうか?

 そう考えてゆくと、どうも一筋縄ではゆかないものの介在がほの見える。
 それは「死ないしは死との直面」ではあるまいか。

  

 母(小泉今日子)は、あの海岸に浮かぶシーンで一度、死に至ったのではなかったか。
 父(香川照之)は、車にはねられて一度死んだのではあるまいか。
 それは再生のための必要条件ではなかったのだろうか。
 兄の考え方においての転回もそうである。彼はイラクで一度死んだのかも知れないのだ。
 そうなると、最終局面に至るシーンはいささかホラーじみてくるのだが、考えてみれば、黒沢監督はホラーの第一人者でもあった。

 だとすると、ピアノを弾き終えた次男を囲んで父母が会場を去るシーンは、一見、ハッピィなエンドのように見えながら、いささか現実離れをしたフェイドアウトにも見える。
 要するに最終シーンは、彼らの「死」の中で夢見られた再生願望の虚像かも知れないのである。
 映画の中で二つの自死が描かれているのもその伏線とも思える。

 
 
 香川照之、小泉今日子は相変わらず巧い。とりわけ小泉今日子は、自身が主演をした05年の佳作『空中庭園』(豊田利晃・監督)の主婦との繋がりをおもわせる演技が印象的である。
 脇も良くて、黒須役の津田寛治も好演。家族内では次男の井之脇 海の表情がよい。

 黒沢映画の常連、役所広司も顔を見せるが、この映画ではいささか芝居をしすぎた感じで、映画全体の流れの中で幾分違和感のある場面もあった。

 最後のピアノシーンでは、私の好きなドビュシーの「月の光」がみっちり聴けたのがおまけのようで得をした気分になれた。

 この間、観てきた、『ぐるりのこと』、『あるいてもあるいても』などと共々、日本映画の成果といえる作品であろう。


『空中庭園』の豊田利晃監督は、上記作品の後、麻薬使用の疑いで逮捕され、懲役2年執行猶予3年の判決を受けた。
 そろそろ執行猶予の期限も切れる頃、才能のある人だけに新しい作品に取り組んで欲しいもの。



  



コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

曼珠沙華とジャガタラお春

2008-10-01 01:13:31 | 想い出を掘り起こす
 近くの空き地で、曼珠沙華が雨に濡れていました。
 この花を見ると思い出す歌があります。
 「長崎物語」という歌で、別名「ジャガタラお春の歌」といいます。

 1939年(昭14)年に、作詩:梅木三郎 作曲:佐々木俊一 唱:由利あけみでリリースされた歌なのですが、さすがの私も、この時期のものを知っているわけではありません(もう、生まれてはいましたよ)。
 私が耳にしたのは、敗戦(1945・昭20)になって以後です。その頃の歌謡曲は結構長持ちしたのです。

 

 歌詞は以下のようです。

1 赤い花なら 曼珠沙華
  阿蘭陀屋敷に 雨が降る
  濡れて泣いてる じゃがたらお春
  未練な出船の あゝ鐘が鳴る
  ララ鐘が鳴る

2 うつす月影 彩玻璃(いろガラス)
  父は異国の 人ゆえに
  金の十字架 心に抱けど
  乙女盛りを あゝ曇り勝ち
  ララ曇り勝ち

3 坂の長崎 石畳
  南京煙火(はなび)に 日が暮れて
  そぞろ恋しい 出島の沖に
  母の精霊が あゝ流れ行く
  ララ流れ行く

4 平戸離れて 幾百里
  つづる文さえ つくものを
  なぜに帰らぬ じゃがたらお春
  サンタクルスの あゝ鐘が鳴る
  ララ鐘が鳴る


 

 この歌の主人公お春という少女は、長崎にいたイタリア人と日本人女性の間の子供でしたが、1639(寛永16)年、幕府の鎖国政策の一環として、当時、長崎市中に在住していた外国人とその家族287人と共々バタビアのジャガタラ(現インドネシアのジャカルタ)へ追放されてしまったのです。
 当時14歳で、母方の祖父の元で日本人として育てられていたお春は、嘆き悲しむのですが幕府の権力の前にはどうしようもなく、泣く泣く平戸の港から送り出されてしまうのでした。
 
 しかし、お春の望郷の念は止みがたく、その思いを切々と綴った手紙が届くようになります。
 それがいわゆるジャガタラ文といわれるもので、「あら、日本恋しや、ゆかしや、みたや、みたや・・」などと書かれていました。
 しかし、ついに彼女は、その最期まで、日本の土を踏むことは出来ませんでした。
 
 「長崎の鶯は鳴くいまもなおじゃがたら文のお春あわれと」
 は、歌人、吉井 勇のの歌です。

 
 
 当初は、この異国情緒に溢れた歌詞が幼い私を魅了したのでしょうが、長じるにつけ、国というものが人の定めを有無をいわせず左右する理不尽さ、それにもかかわらず、当時の禁制を破って遠いジャガタラの地から文を届けるという熱い望郷の念などがいっそうの感興をよぶようになりました。

 曼珠沙華を見る度に、この歌のメロディが頭の中で湧き上がります。
 ましてや、雨に打たれた曼珠沙華など見た日には、その水滴を宿した真紅の花が370年前の少女の嘆きと血の叫びを象徴しているようで、切ない思いがこみ上げてくるのです。

 




コメント (7)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする