昨日は、さっそく「児童扶養手当」の申請を出しに行って来た。
書類の不備があってはならないので、手渡しで持っていっている。あれ?この申請は郵送じゃいけなかったんだっけかな?毎年のことなので、いちいち手紙も読んでいない。
私が母子家庭(気取って書くとシングルマザー)になったばかりの頃は、窓口も5時までしか開いてなかったから行くのに仕事をサボらねばならなかったが、今は7時まで開いてるから便利だ。それから医療負担の申請も一緒にしてくれるようになったので、便利になった。しかし、手当ては毎年のように減っていき、医療負担も今では1割負担になったがそれでもありがたいと思ってる。3割負担になってたら歯医者にも行かなかっただろう。
あと最低6年生きればいいと思っているから、気が楽だ。そこから先はお金がなければしょうがない。できる事をして、後は死のうがどうしようがこっちの自由だ。
よく頑張ったな、自分。
しかし、毎年抵抗があるのは、扶養手当の申請で前年度の旦那の養育費の金額を書かねばならないことだ。これによって私の手当の額は減る。書くのはいいが、養育費は来月貰える保証は何も無い。現に先月分は滞納されている。金額と共に、いかにヤツ等は払わないか、これをもらうのに何回電話をしてイヤな思いをしているのか、をどこかでお上は悟ってもらえないだろうか。そして、もっと制度を整えてはくれぬだろうか。
まぁ、いいか。
今、たまたま読んだ佐藤愛子の本に書いてあった。
「弱いと思うなら強くなればいいのだ。強くなると言うことは、やたらに傷ついた傷つけられたと騒がぬことである。人を傷つけるのはよくないことだろうが、むやみに傷つく方もよくないとかねてから私は思っている。」
本当にそうだと思う。
私は手当が減ったと、ぶーたれるのはやめよう。
生きれなくなったら死ねばいい。
それを誰かにどうにかしてもらおうと思うのが甘えなのだ。
死んだ後の遺体なんぞ、蹴飛ばされても構わない。
おにぎりの孤独死の人ではないが、死んだ後で慰めなんてほしいものか。だったらそれこそ、一日分おにぎりでもくれたらどうだ、と思う。
もっとずるく賢くお金に苦労せず生きる方法があったはずなのに、両親はそれを教えなかった。
でも、だから今の自分があるんだわ。
たぶん誰も騙すこともなく、素直に正直に生きてきたつもり。
家族は心から好きで信頼しているし、家に帰るのは毎日楽しい。
何よりも誰かにどうにかしてもらおうと言う根性が消えた。私は自分の足で稼いで、それで食っていこうと腹を括る。こうなったから、ここまで根性がついたのだ。
もちろんできる仕事とできない仕事もあるだろう。
でも、私は新しい所に飛び込んでも、仕事ができる事ならやっていくつもり。それにリタイアする時はその仕事ができなかった時、手に負えなかった事しかないのだ。
言い訳なんてしない。
そう思うのは、今までの生きてきた経緯があるからだ。
さて、今日もこれからガンバロー。
書類の不備があってはならないので、手渡しで持っていっている。あれ?この申請は郵送じゃいけなかったんだっけかな?毎年のことなので、いちいち手紙も読んでいない。
私が母子家庭(気取って書くとシングルマザー)になったばかりの頃は、窓口も5時までしか開いてなかったから行くのに仕事をサボらねばならなかったが、今は7時まで開いてるから便利だ。それから医療負担の申請も一緒にしてくれるようになったので、便利になった。しかし、手当ては毎年のように減っていき、医療負担も今では1割負担になったがそれでもありがたいと思ってる。3割負担になってたら歯医者にも行かなかっただろう。
あと最低6年生きればいいと思っているから、気が楽だ。そこから先はお金がなければしょうがない。できる事をして、後は死のうがどうしようがこっちの自由だ。
よく頑張ったな、自分。
しかし、毎年抵抗があるのは、扶養手当の申請で前年度の旦那の養育費の金額を書かねばならないことだ。これによって私の手当の額は減る。書くのはいいが、養育費は来月貰える保証は何も無い。現に先月分は滞納されている。金額と共に、いかにヤツ等は払わないか、これをもらうのに何回電話をしてイヤな思いをしているのか、をどこかでお上は悟ってもらえないだろうか。そして、もっと制度を整えてはくれぬだろうか。
まぁ、いいか。
今、たまたま読んだ佐藤愛子の本に書いてあった。
「弱いと思うなら強くなればいいのだ。強くなると言うことは、やたらに傷ついた傷つけられたと騒がぬことである。人を傷つけるのはよくないことだろうが、むやみに傷つく方もよくないとかねてから私は思っている。」
本当にそうだと思う。
私は手当が減ったと、ぶーたれるのはやめよう。
生きれなくなったら死ねばいい。
それを誰かにどうにかしてもらおうと思うのが甘えなのだ。
死んだ後の遺体なんぞ、蹴飛ばされても構わない。
おにぎりの孤独死の人ではないが、死んだ後で慰めなんてほしいものか。だったらそれこそ、一日分おにぎりでもくれたらどうだ、と思う。
もっとずるく賢くお金に苦労せず生きる方法があったはずなのに、両親はそれを教えなかった。
でも、だから今の自分があるんだわ。
たぶん誰も騙すこともなく、素直に正直に生きてきたつもり。
家族は心から好きで信頼しているし、家に帰るのは毎日楽しい。
何よりも誰かにどうにかしてもらおうと言う根性が消えた。私は自分の足で稼いで、それで食っていこうと腹を括る。こうなったから、ここまで根性がついたのだ。
もちろんできる仕事とできない仕事もあるだろう。
でも、私は新しい所に飛び込んでも、仕事ができる事ならやっていくつもり。それにリタイアする時はその仕事ができなかった時、手に負えなかった事しかないのだ。
言い訳なんてしない。
そう思うのは、今までの生きてきた経緯があるからだ。
さて、今日もこれからガンバロー。