きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

好きな国

2009-08-21 | 巷の話題
日の丸。

子供の頃は祝日になると、箱から日の丸を出して門の前に掲げていた。
旗竿の上にはたしか金色の丸い玉がついていたように思う。
ピカピカに光っていた。

あれは何歳の頃なのだろう。
妹は覚えているかな。
おばあちゃんが現役で元気だったころだ。


ちなみに祖母は教員だった。
今では「日教組」なんて言葉があるが、当時の教員だった私の祖母は祝日が来るたびに、箱から大切に日の丸を出して、揚げていた。

祖国の日本。
大好きな国。

戦争反対。
もっともな言葉。
間違ってはいない。
 
けれども、手足を縛るためには使って欲しくない。

暴力と言う手段が正しいとは思わない。
でも、この国を、日の丸をどうして愛してはいけないの?
君が代は日本の国家。
大切な歌。

戦争をしなくても、この国を愛することはできるはず。
まずはこの国を、日の丸を尊重したい。

おばあちゃんが愛した国。
おじいちゃんが命を掛けた国。
それがこの日本という国なんだ。

誇りを持とう。

父の面会(志願編)

2009-08-21 | 父の記録と母の思い出
父の面会に行く。
今日は父の事を気に入ってくれるおばあさんとソファーに座っていた。

私が傍によると、「あら、この前も大勢で来てくれたでしょ?」とおばあさんが言う。
お盆中に妹が家族で父の面会に行ったようだ。
「いえいえ、それはたぶん妹家族で、私は姉なんです。」とおばあさんに説明した。

おばあさんは何度も「家族がこんなに来てくれるなんて、あなたみたいな幸せ者は居ない」と父に連呼していた。
父は返す言葉もなくその度に「シワとシワを合わせると幸せ」と言うギャグをかまして、照れている。

そのおばあさんは父の事を「歌の天才」と呼び、突然昔の歌の一部が甦って来た時に、それを覚えておいて、父と会った時に続きを教えてもらうのだと言う。
「(看護士さんに)紙を用意してもらって、父の歌の続きを聴きながら、紙に歌詞をメモするの」と言う。

私は「父は加山ユウゾウもよく歌ってたんですよ。」と言うと、おばあさんは「どんな歌?」と訊くので、父と二人で♪二人を~ゆうやみが~包むぅ~この窓辺に~♪と歌ってみせると、「何となく聴いた事あるような気がするわ」と言う。

あれ?この歌を知らないなんて・・・と思って、お年を尋ねると、「大正生まれ」と言う。

大正生まれ?!
それじゃ、加山ユウゾウは若すぎるかな。
しかし、それ以上古い歌は私が分からない。

戦争の話題をふると、「B29で家が焼けて、防空壕もダメになって居れなくなって、娘の家に疎開した」と言う。
戦争は思い出したくないのかなぁと思い、他の話題と思うが、娘さんは今も健在なのか、お孫さんも居るのかどうか分からず、他に触れるような話題も思い浮かばない。

おばあさんは父の事を「あなたは一番幸せな人」と繰り返す。

「戦争に自分で志願して、生きて帰ってこれるだけで運があったのよ。」
(正しくは戦地に行く前に終戦になったので別に運があった訳ではないが、そうよそうよ、と相槌を打っておく。)

すると父はまた照れて「志願して 戦争に行く バカがいる」と一句みたいに詠む。

「お国のために志願する人がバカだったら誰がリコウなのよ。(笑)」
「当時、志願する人は珍しかったんですか?」と尋ねると、「逃げ回って隠れている人も多かったのですよ。」とおばあさんは言う。

「それをね、自分から志願する。しかも元気で帰ってくる。こんなに運のいい人は居ないですよ。」
「はぁ。」
「それでこんなにいつも大勢来てくれて・・・こんな幸せな人はないです。」
「はぁ。」
「だからね、この人の運を分けてもらおうと、近くにいるんですよ。」

と言うと、また父が「近くに居られる時だけは(オレは)不幸せ」と余計な相槌を打つ。

まぁこの憎まれ口が本来の父の姿で、今日は元気そうで何よりでした。^^;

この日はいつものように、私が帰ろうとするたびに話しかけてくるようなことも無く、「それじゃまたな」と手を振る。

この認知症棟内で、話の合うおばあさんがいて、本当に良かったと思う。
「それでは父の事を宜しくお願いします」とおばあさんに行って別れる。


階下で婦長さんに会って尋ねてみると、こんなに元気そうで会話が成り立つおばあさんでも認知症らしい。調子のいい時と悪い時があるらしい。

父は最近お尻が荒れて皮膚がすれているようなので、軟膏を塗っていますと言う話だった。
ショートステイでよその施設もあちこち見ていた妹が「ここの病院は気配りしてくれていい」と言っていたのを思い出した。

父の面会で通い始めて5ヶ月になろうとしている。
最初は絶対に自分はこんな所では働けない!一日で頭がおかしくなってしまう!と思ったが、気のせいかだんだん目が慣れてきた。

ここに居るじいさんばあさんは、みんな戦争を乗り越え、高度成長期を支えてきたんだな~
と思うと、敬意すら感じるようになった。

「月月火水木金金」そんな時代もあったはずなんだけどなぁ。