きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

いったいどうなるやら

2011-08-05 | 息子keke
久しぶりにkekeに怒る。

怒る事はアレしかない。
今後いったいお前はどうするの?って言う事だ。

ちゃんと定まっているなら安心できるが、そうではない。
「学校に行かないなら、ハローワークに行け」と言えば、あたかもこれから学校に行くようなムードをかもしだす。

昨日は「行く気があるなら、【行かせてください、お願いします】ぐらいの一言があっても良いのでは?」とさすがに言った。己に向かって「お願いします」と言えと、そんなバカ親になりたくないのだが、他に言ってくれる奴がいないから、自分で言うしかない。私に向かってお願いしますと言えと。

でも、そうではないですか?

勝手に学校をサボり辞めたいと言い、それでは今すぐハローワークで仕事を探せと言えば、考えたいから休ませてくれと言い、現実休んでいるが、何も状況は変わらず、今後どうするのか?と言えば、寝るか怒る。

いい加減にしろよ、お前?と言いたくなるもなる。

そうすると、そんなにギャアギャア言うからますますやる気がなくなるだの言う。
そこまで私のせいか。

今は何かと言えば病気病気、病気と言えば済んでしまい、それも周りがこれこれこうして優しくしてあげないと治りませんとでも言うのだろうか。
いったい、kekeのどこにストレスのたまる要素があるのだろう。

親にブースカ言われるのが原因だ、としても、私は昼間ほとんど家におらず、夜もkekeは部屋にこもっているから、話もせず。
部屋を開ける事もなければ(怒るから開けない)、ほとんど口もきかず。
いったいそれのどこにストレスがたまる要素があるのか。

この状態でストレスで生きていけないなら、この先生きて行く事はできないだろう。

「どうして、そうやって未来に対して逃げてばかりいるのだ?」と尋ねると、「まだ生きているから逃げていない。本当に逃げるとは死ぬ事だ」と言う。

失敗してもいい、チャレンジする事は大切だ。
ハローワークだって、バイトだって、学校だって。
それなのに、その前であーあと言って不貞寝するから、気に入らないのだ。

「病気のせいじゃない。やる気だよ。家に金がないから(治療に行けない)と言うなら、金を稼いで家に入れろ」と昨日は言った。日に日に語尾がきつくなるが、実際成人して勉強もせず稼ぎもせずなら、言われても仕方ないのではなかろうか。
本当に病気の人もいるだろう。
でも、kekeは病気では無いと思うし、私も高校時代(前にも書いたけど)毎朝吐き気がして、洗面所に何度も行ってゲーゲーしながら高校に向かった記憶があるが、それさえ、ゲーゲーしながらでも学校に行けたし、行ってみたら日常の学校生活が待っているし、何よりしばらくすると「電車にさえ乗ればゲーゲーが収まるんだ」と気がついたので、これらは自分の心の問題だと分かったのである。
心理的にできないと分かっても、そこに向かって行く姿勢は大切だと思う。
百歩ゆずって、学校がもう無理にしても、ハローワークには行けるはずである。
失敗しても失敗してもハローワークに通う事はできるはずである。それぐらいはせめてしろ。

こんなはずではなかったが、kekeはもうこの先生きていけない子(いや大人)なのかもしれない、と思う。
それをいつまでもヨシヨシしているだけが親なのか。
生きて行かないなら、それも仕方がないのではないか、と言う思いも芽ばえる。

自分が後で後悔しないがためだけに、私はヨシヨシしていくしかないのだろうか。
そんなの、本人のためでも何でもないのではないか。

いずれにしても、私が何を思った所で、何一つ状況は変わらないし、結局休んだって、何も変わらないってことだ。
秋になって、しばらくは行ってみるが、また休んでしまう、しいては部屋にこもりきり、と言うパターンになるだろう。それ以上良くなる予想がまったくつかない。

ほんとに情けない。
自分が死んでkekeが変わるものなら、まったくそうして変えたいぐらいである。

もう二人で死ぬか、言うと、「死ぬならアンタだけ死んでくれ」とkekeは言う。


ここんところ怒ってばかりのようだが、そうではない。
生活は普通にこなしている。
怒ると言うより、これは悲しみだ。