行かなくていいのかと言うと、うんと言い、kekeは小さな声で「バイト探さなきゃ」と言った。
それ以上言わなかった。
私は浪人した年の受験を思い出して、あれは何年経っても重く沈んだグレーである。
電車に乗る景色も、大勢の受験生の流れにトボトボ歩いていくさまも。
でも、それでも今ほど重くは無い。
ある意味それは「当たり前」の通過点だから。
今の自分達は「当たり前」と言う線上にすら立つことはなく、この先
それはとっても途方に暮れることだったけど、誰にも迷惑は掛けてないから
生きていられたら生きていればいいんだわ、と思う。
訊く人がいれば正直に答えてる。
大学は辞めたんですよ。
私は記憶力が悪いので、誰に何て言ったのか忘れてしまうから、ウソをつくとややこしくなる。
夜は咳が止まらずノドも痛い。
もう観念するように内科に行った。
週刊誌は瀬戸内寂聴さんのコーナーがあり、「経験しないとその人の苦しみは分かりません」と書かれていた。それまで寂聴さんは来られた方の痛い腰や足をさすってあげたのだが、「一昨年腰の痛みで大変な思いをして初めて、足腰の痛いことがどれほどのことだったか初めて分かりました。」と言うのである。
さて、診察。
先生の話では「マイコプラズマ肺炎」と言うのが流行っているそうで、熱がないのでたぶん違うと思うけど、薬を飲んでも治らなければまた来るように、とのことである。
診察と薬を合わせて1,600円。
これだったら、最初から内科で看てもらった方が早かったか。
その後はkekeと昼食を食べて、図書館に行った。
今日もまた数冊本を借りたのだが、その中に『不登校、ひきこもり――こころの解説書 僕がひきこもりだったときに言えなかったこと 』がある。
これは別館にあった本をわざわざリクエストで取り寄せてもらった本である。
子供の気持を理解するのにとても役立つと言う評判だったので、リクエストしたのである。
フリースクールの方が書かれた本はこれまでにも何冊か読んでみたが、その多くが高校中退が対象でその学校の指導により立ち直りました、と言う実績が中心で、「ここから何ができるのだろうか」と後で寂寥感が残ることが多い。
この本もそう言う部分が無きにしもあらずなのだが、前半部分で書かれた方の当時の気持が詳しく書かれていて、「あぁkekeもそう言えばこんな事を言ってたな」と重なることがとてもあった。それに対する親の対応など一つ一つ解説されていて、目からウロコの部分もあり、参考になる本である。
そう思えば、もう少し自分が何かできる事があったかもしれない、と思うのだが、いまさら過去を思った所でどうにもならないし、それができたら人生に挫折はない。
これを受け止めて、ここからどうするかしか、もう無いのである。
寂聴さんは「その痛みが分かってから、本当に足腰が痛くても講演に見える方に心から感謝するようになりました。」と書いたその後に、「その経験があるから人は優しくなれるのです。」とも書いてあった。
私の経験がこの先役立つ事になるかどうかは分からない。
でも、どんなにお金があっても、経験(特にマイナス面での)は買えないのである。
だから、これもチャンスの一つだと思った方が良い。
悪い結果と捉えると更正が必要になる。
しかし、チャンスならば直す必要は無くこの続きを考えればいいのである。
この差は大きい。
私は離婚することで、離婚する人の気持が分かってこうして友達も増えた。
それからプライベートで違うものは「違う」と思えるようになった。
自分の力で食っていけるので、不要な付き合いはしなくていいし、やむを得ず付き合わねばならない人間関係も「それは違う」と思いながら付き合っているので、引きずられずに済む。
それまで誰かに言われれば「受け入れる」しか手段の無かった自分にとって、それは大きな変化だった。
悪い面(旦那・父親不在)もあっただろうが、トータルすれば決してマイナスではなかったのである。
だから、今だってきっとそうなる。
図書館では、上野のホームレスの人を取材して、一人一人の今までの成り行きと言葉を綴った本をたまたま読んだ。
もう少し明るい(開き直った)内容かと思ったら、本当に底の内容だったので、こちらは借りてまで読む気が失せた。
でも私が生きているうちはどうにかなるだろうし、これもそれ以上考えて変われることではないのだよな。
それ以上言わなかった。
私は浪人した年の受験を思い出して、あれは何年経っても重く沈んだグレーである。
電車に乗る景色も、大勢の受験生の流れにトボトボ歩いていくさまも。
でも、それでも今ほど重くは無い。
ある意味それは「当たり前」の通過点だから。
今の自分達は「当たり前」と言う線上にすら立つことはなく、この先
それはとっても途方に暮れることだったけど、誰にも迷惑は掛けてないから
生きていられたら生きていればいいんだわ、と思う。
訊く人がいれば正直に答えてる。
大学は辞めたんですよ。
私は記憶力が悪いので、誰に何て言ったのか忘れてしまうから、ウソをつくとややこしくなる。
夜は咳が止まらずノドも痛い。
もう観念するように内科に行った。
週刊誌は瀬戸内寂聴さんのコーナーがあり、「経験しないとその人の苦しみは分かりません」と書かれていた。それまで寂聴さんは来られた方の痛い腰や足をさすってあげたのだが、「一昨年腰の痛みで大変な思いをして初めて、足腰の痛いことがどれほどのことだったか初めて分かりました。」と言うのである。
さて、診察。
先生の話では「マイコプラズマ肺炎」と言うのが流行っているそうで、熱がないのでたぶん違うと思うけど、薬を飲んでも治らなければまた来るように、とのことである。
診察と薬を合わせて1,600円。
これだったら、最初から内科で看てもらった方が早かったか。
その後はkekeと昼食を食べて、図書館に行った。
今日もまた数冊本を借りたのだが、その中に『不登校、ひきこもり――こころの解説書 僕がひきこもりだったときに言えなかったこと 』がある。
これは別館にあった本をわざわざリクエストで取り寄せてもらった本である。
子供の気持を理解するのにとても役立つと言う評判だったので、リクエストしたのである。
フリースクールの方が書かれた本はこれまでにも何冊か読んでみたが、その多くが高校中退が対象でその学校の指導により立ち直りました、と言う実績が中心で、「ここから何ができるのだろうか」と後で寂寥感が残ることが多い。
この本もそう言う部分が無きにしもあらずなのだが、前半部分で書かれた方の当時の気持が詳しく書かれていて、「あぁkekeもそう言えばこんな事を言ってたな」と重なることがとてもあった。それに対する親の対応など一つ一つ解説されていて、目からウロコの部分もあり、参考になる本である。
そう思えば、もう少し自分が何かできる事があったかもしれない、と思うのだが、いまさら過去を思った所でどうにもならないし、それができたら人生に挫折はない。
これを受け止めて、ここからどうするかしか、もう無いのである。
寂聴さんは「その痛みが分かってから、本当に足腰が痛くても講演に見える方に心から感謝するようになりました。」と書いたその後に、「その経験があるから人は優しくなれるのです。」とも書いてあった。
私の経験がこの先役立つ事になるかどうかは分からない。
でも、どんなにお金があっても、経験(特にマイナス面での)は買えないのである。
だから、これもチャンスの一つだと思った方が良い。
悪い結果と捉えると更正が必要になる。
しかし、チャンスならば直す必要は無くこの続きを考えればいいのである。
この差は大きい。
私は離婚することで、離婚する人の気持が分かってこうして友達も増えた。
それからプライベートで違うものは「違う」と思えるようになった。
自分の力で食っていけるので、不要な付き合いはしなくていいし、やむを得ず付き合わねばならない人間関係も「それは違う」と思いながら付き合っているので、引きずられずに済む。
それまで誰かに言われれば「受け入れる」しか手段の無かった自分にとって、それは大きな変化だった。
悪い面(旦那・父親不在)もあっただろうが、トータルすれば決してマイナスではなかったのである。
だから、今だってきっとそうなる。
図書館では、上野のホームレスの人を取材して、一人一人の今までの成り行きと言葉を綴った本をたまたま読んだ。
もう少し明るい(開き直った)内容かと思ったら、本当に底の内容だったので、こちらは借りてまで読む気が失せた。
でも私が生きているうちはどうにかなるだろうし、これもそれ以上考えて変われることではないのだよな。