きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

限りない挑戦

2013-04-11 | 息子keke
家に帰ると、kekeは部屋でひきこもっていて、私はさっそく料理を作ることにした。

昨日買った半額の牛肉で、「ステーキサラダ柚子コショウだれ」と言うのに挑戦して、豚バラと白菜の蒸し煮、それから半額のサーモンでサーモン丼を作った。

kekeにできたよーと言っても返事がないので、何回か「できたよー」と言うと、「聞えてるだろ!」と言う返事がくる。

いつものパターンも(ここで笑顔を投げかけなくては)と軽い挑戦を試み、私は夕飯を並べる。


そして二人で夕飯を食べるのだが、「これ初めて作った牛肉のステーキサラダ、どうかしら?(^o^)」と言うと、kekeは「まずい。」と言う。

「え?まずいかしら?@@私は別に普通に食べれるけど。柚子コショウも初めて買ったんだけど。」と言うと、「まずいものはまずいと言わないと、また作るでしょ。」とkekeは言う。

「え?@@せめてまずいにしても、これドレッシングも合わせて作ったんだよ、もう少し【美味しいけど、もう作らなくていいかな】とか、もう少し別の言い方考えないものかねぇ。」

「そんな言い方したら、アンタは【美味しいけど】ばかり強調してまた調子に乗って作るでしょ。」

「せめて、どこがまずいのかしら?」と言うとkekeは「ステーキをサラダにするのがおかしい!」と言う。


出たよ。
これだよ。
これが、私が夕飯を作る気力を失くす要因なんだよ!

私はそう思い、「だから、うちは半額弁当ばかりになるんだよね。。」と言うとkekeは「それでいい!」と言う。


これでも私は家で料理を作らなければいけませんか。


と思った所で、シャラップ。

私はこれでも笑顔を投げかけるのだ。
それが私にはできる。

何て言ったって、見返ることの無い男に愛情を注ぎ、褒められることの無い男の新しい靴を褒めれる、私ならできる。そして、このドラ息子に限りない笑顔を注げた時、全世界のどんな人でも笑顔を注げるのではないか、とまで思い始めた。それが私の限りない挑戦なのだ。

そしてまたできる時には料理を作ることにしよう。

見返りもせず

2013-04-11 | 息子keke
早く家路について「今日ぐらいは飯を作ろう」と考えた。

しかし玄関のドアを開けて、グースカ寝てるkekeの姿を見たとき。
ひと頃みたいに怒ることはなくなったが、がっくりしてしまう。

昼間チョロっとバイトして、後は引きこもるか寝てるかのkeke。。
帰ってこれから食事を作りましょう、と言うテンションにあの姿が水をさす。
あれを「怠け」と呼ばずに何て呼ぶ?


しかし待てよ、と今日は考えた。
私は、結婚できもしない男にもニコニコ付き合うこともできるし、褒めてもくれないZENさんの新しい靴も「いいですね!」なんて言える女なのだ。何の見返りも無い相手に優しくできる女なのだ。

それがどうして、自分の息子に同じことができないのだろう?
どうして、ここで見返りを期待してしまうのか。

kekeが寝てようと、怠けていようと、いっさい、何の見返りも持たず、私は笑顔を続けることが(やろうと思えば)できるはず。
自分から笑顔を投げかけてみたらどうだろう。

考えてみれば、私は笑顔の人に笑顔を返すことはできるけど、自分から笑顔を投げかけたことがなかった。別にお金が掛かることではないんだから、それをやってみたらどうだろう。


そうやって、アクセルを踏みながら、父がいつもニコニコしていたことを思い出した。
いつも仏頂面の私に、どうして父はニコニコしていたのだろう。

「sakeは服を買ってもらう時だけはニコニコしてるなぁ」なんて言ってたっけ。
よっぽど私はいつもつまらなそうな顔をしてたんだろう。

待てよ・・父もわざと笑顔を投げかけていたのかな。
今の私と同じように考えて、自分だけは笑顔でいようと思ってわざとそうしていたのだろうか。

何てことだろう。
そんなことに今まで気がつかなかったなんて。