遮断機が下りる踏切を見ながら、昔、姑に言われたことを思い出した。
元夫の不倫がわかって姑は田舎に引っ越しておいでと言った。
そうすれば、じき女のことなんて忘れるだろうと。
その田舎は飛行機で行くようなところである。
行ったらたぶん東京へは戻れない。
正月には向こうのご両親も、なんて考えるような人ではない。
強引に一人で飛行機に乗って帰るしかない。
すると姑は言う。
「東京で暮らしたい、愛人とは別れてほしい、ってあれもこれもsakeさんの思い通りにはいかないんよ」
あれもこれも。
そんな言葉をふと思い出した。
あれもこれもと言う欲望を、もう少し謙虚に捉えたらもっと生きやすくなるかもしれない。
たしかに、あれもこれも願いが叶っているみたいな人もいるけれど、その人の全ては分からないから、とりあえず比較はしないでおこう。
分かりやすく言うと例えば、「結婚したい」。
誰でもよいのだったら、相談所でもどこでも行って相手を探せば良いのである。「こんなのはイヤだ」「こう言う事情があるから」とか他に条件をつけて結婚せずにいるのである。
自分は「結婚がしたい」のか「ある程度の相手でなければイヤ」なのかを明確にすれば生きやすくなるし、「ある程度の相手と結婚しなきゃイヤ」と強く思うなら、今の自分がそれに見合う魅力があるのかどうかを謙虚に受け入れもっと努力しよう。
それから「パートナーの浮気は許せない。」
これも「浮気はイヤ」だけだったら簡単だ。他の女が寄ってこないような全く魅力の無い相手を選べば良いのである。「ある程度イイ男」かつ「浮気は許せない」とするから傷つく。「イイ男だからこの人は浮気しても許す」のか、「まあまあイイ男だけど浮気されるぐらいなら即別れる」のか最初から心の整理をしておくと、もう少し生きやすくなるのではなかろうか。
モテる男に浮気を許さないとするのは、「世界中で一番私が魅力的なはず」と言う心の驕りがどこかにあるかもしれない。
そして通り過ぎる電車を見ながら、「絵に描いたような幸せ」と「心を豊かにする」こともそうかもしれない、と考えた。
ごく普通の家庭を持ち子供がすくすく成長することを望んでいたけれど、離婚や子供の引きこもりや、恋愛、その前には流産、やり場の無い気持・・・そんなことが自分を成長させてくれた。
周りを見渡せば、幸せそうで心が豊かに見える人もいっぱいいるけれど、他人のことは正確にはわからない。自分の胸に手を当てれば、自分がつまずかなかったら、悩んでいる人の気持なんて全然分からずにいただろう。
「絵に描いたような幸せ」と「心を豊かにする」ことは別物なのだ。
「絵に描いたような幸せ」がどうもムリっぽかったら、心を豊かに磨いて生きていこう。
いろんな悲しみを覚えて、そのたびにまた一つ優しくなれるように。これからは。
「絵に描いたような幸せ」でなければ、世間的にはなかなか認めてもらえない。
でも、心が豊かでいたら、独自の感性で幸せもついてくる。
そして、同じ心を持っている人には見えてくるはず。
それで充分ではないだろうか。
元夫の不倫がわかって姑は田舎に引っ越しておいでと言った。
そうすれば、じき女のことなんて忘れるだろうと。
その田舎は飛行機で行くようなところである。
行ったらたぶん東京へは戻れない。
正月には向こうのご両親も、なんて考えるような人ではない。
強引に一人で飛行機に乗って帰るしかない。
すると姑は言う。
「東京で暮らしたい、愛人とは別れてほしい、ってあれもこれもsakeさんの思い通りにはいかないんよ」
あれもこれも。
そんな言葉をふと思い出した。
あれもこれもと言う欲望を、もう少し謙虚に捉えたらもっと生きやすくなるかもしれない。
たしかに、あれもこれも願いが叶っているみたいな人もいるけれど、その人の全ては分からないから、とりあえず比較はしないでおこう。
分かりやすく言うと例えば、「結婚したい」。
誰でもよいのだったら、相談所でもどこでも行って相手を探せば良いのである。「こんなのはイヤだ」「こう言う事情があるから」とか他に条件をつけて結婚せずにいるのである。
自分は「結婚がしたい」のか「ある程度の相手でなければイヤ」なのかを明確にすれば生きやすくなるし、「ある程度の相手と結婚しなきゃイヤ」と強く思うなら、今の自分がそれに見合う魅力があるのかどうかを謙虚に受け入れもっと努力しよう。
それから「パートナーの浮気は許せない。」
これも「浮気はイヤ」だけだったら簡単だ。他の女が寄ってこないような全く魅力の無い相手を選べば良いのである。「ある程度イイ男」かつ「浮気は許せない」とするから傷つく。「イイ男だからこの人は浮気しても許す」のか、「まあまあイイ男だけど浮気されるぐらいなら即別れる」のか最初から心の整理をしておくと、もう少し生きやすくなるのではなかろうか。
モテる男に浮気を許さないとするのは、「世界中で一番私が魅力的なはず」と言う心の驕りがどこかにあるかもしれない。
そして通り過ぎる電車を見ながら、「絵に描いたような幸せ」と「心を豊かにする」こともそうかもしれない、と考えた。
ごく普通の家庭を持ち子供がすくすく成長することを望んでいたけれど、離婚や子供の引きこもりや、恋愛、その前には流産、やり場の無い気持・・・そんなことが自分を成長させてくれた。
周りを見渡せば、幸せそうで心が豊かに見える人もいっぱいいるけれど、他人のことは正確にはわからない。自分の胸に手を当てれば、自分がつまずかなかったら、悩んでいる人の気持なんて全然分からずにいただろう。
「絵に描いたような幸せ」と「心を豊かにする」ことは別物なのだ。
「絵に描いたような幸せ」がどうもムリっぽかったら、心を豊かに磨いて生きていこう。
いろんな悲しみを覚えて、そのたびにまた一つ優しくなれるように。これからは。
「絵に描いたような幸せ」でなければ、世間的にはなかなか認めてもらえない。
でも、心が豊かでいたら、独自の感性で幸せもついてくる。
そして、同じ心を持っている人には見えてくるはず。
それで充分ではないだろうか。