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きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

めざせ、ノーミス

2013-09-21 | 歌謡曲・カラオケ
先月からコツコツ弾いているピアノ。

「ルパン三世80’」はひと通り弾けるようになった。
そして今はミスがないように弾こうと思うが、これがなかなか上手くいかない。
ちょっとした間違いなら、スルーしてしまおうと思うのだが、重大なタッチミスが必ずどこかで起きる。
たかだか4分ぐらいの時間なのに、ノーミスで弾くことがまったくできないのだ。

これが演奏会であるなら、曲が止まってしまって、慌てふためいて楽譜を探し、どこからか戻らなければならない、そういうタッチミスである。

私が習っていたのは、近所でピアノを教えるお母さんで、ヤマハとかカワイとかそういう組織ものではなかったが、それでも年に一度「お弾き初め」と言う行事があり、正月に集まって、今得意な曲を披露しあう行事があった。
それから、ホールで弾くような発表会にも出させてもらったことがある。

そういう場所で、こんなタッチミスをする子供はあまり居ない。
もちろん私もしていなかったはずだ。
この違いはどこから起きるのだろう。

たぶん、子供の頃は多少音を誤っても、そこから次の音を正確に叩いて状態を戻すことができていた。今はそれができない。一つ間違えると次も間違えてしまう、そこから先ボロボロになる。
これは練習不足なのか、脳の老化なのだろうか。それともメンタルの問題?

ちゃんと通して弾けないのは情けないな。
フィギアスケートを思いだした。あれも4分5分と言う時間を高度な技を取り入れながら、ノーミスで演技しないとならない。それも一発勝負で。どれだけ強いメンタルが要求されるんだろう。

「炎のたからもの」の方も一通り弾けるようになった。こっちはまだ全て譜を見ながらなのでかなりゆっくりだ。
楽譜はちょっとジブリっぽい淋しげなポツンとした曲である。「カリオスの城」と言う映画の主題歌。この映画がどんなあらすじだか私は知らないので、勝手に大きな火の鳥が夕暮れの空を羽ばたいて飛んでいく姿をイメージしてる。

まるではかなくひとりさまよう私みたい・・・というオチまでつけながら。


最初はやっと一つ一つの音を押しながら、「こんなんで曲になるのかな」と思いながらも、何回も何回も弾いていると、自然に曲になっていく。
この「何回も」がクセモノで、何十回何百回と言う単位なのである。

kekeは「一つ法則をみつけた」と言い、「ピアノを習っていると勉強もできるようになるらしい。」と言う。
実際にそういう友達がいるのだろう。
kekeは「それは脳みその使い方ではないか」と言うが、私はこの何百回と言う繰り返しの根気強さ→達成感が、ドリル勉強のたくましさにつながるのではないか?と考えてみた。

私自身、ドリルみたいな単純演習を何十回もすることや、暗記すること、目標を持ってそういうことを何十回も繰り返すことが、人に比べると苦にならない気がする。
(そのかわり何々を述べよみたいな、単純でない勉強や研究は苦手。)