きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

両親から学んだこと

2014-03-11 | 父の記録と母の思い出
STAP細胞の論文が取り下げかと言う記事を見て、がっかりしてしまう。
(まだはっきり決まったわけではないのかもだが。)

あの聴力がない作曲家の事件もそうだが、単なるうっかりではなく、そういう意識があって世間を騒がせているのかなぁと思ってしまう。人様のことをなるべく批判しないように心がけたい、自分だって欠点だらけの人間だから・・・と思うつつ、やっぱり物を申したくなる自分が悲しい。

いつになったら人から自由になれるのだろう。
自分が精一杯正直に素直に生きていれば、他人なんてもうどうでも良いはずなのに。
最近、そんなことを考える。

そうだ、逆に考えよう。
私が両親からもらった財産はたくさんあるけど、1つは見栄を張らなくていいことだ。
私は私、このままでの私でいいや、そんな風に思えることだ。

この前さんまの「ホンマでっかTV」を見ていたら、「男は収集癖があって、女は高級品に目がくらむ」と言っていた。女は必ず宝石店があると覗いてしまうと言うのである。

でも私は宝石店にあまり興味が無い。ぶっちゃけ宝石が似合わないのである。見て「きれいだなぁ・・」と思うけどつけたことがないから、つけようと思わない。なくすと怖いので見た目だけのイミテーションで充分なのである。そもそも親が宝石店に入っているのを見たことが無いから、ものの価値が分からないのである。

その分両親は食事には金をかけていたかもしれない。
美味しい店にも(今から思えば)連れて行ってもらった気がするけれど、吉野家の牛丼でもマックのハンバーガーでもレトルトカレーでも同じように「おいしいおいしい」と両親は食べていたので、私がその価値の違いがわかるようになったのは、だいぶ大きくなってからである。

今から思うと、両親は「あれもいい、これもいい」と言う価値観で育ててくれたのだと思う。
高い寿司もおいしいけれど、牛丼も同じようにおいしいと教えてくれたのだ。
今はもちろん高い料理は食べられないけれど、そこで卑屈にはならない。
牛丼だってマクドナルドだって同じように私にはおいしいからだ。
財布に合わせてチョイスすればいいだけの話である。

人も会社も同じなのかもしれない。

学歴があったってなくたって、同じように偉いんだ。
大きな会社も小さな会社も、同じように大切なんだ。

私はこの前まで、息子にはちゃんと大学を出てもらい、大きな会社に勤めてほしかった。
自分が前にそう言う所に勤めていて、あれが良かったそれが幸せだと信じていたからだ。
でもそれは間違いだった。

どんな人生を選んでも、人に順位なんてつけられないのではないかと思う。
順位をつけることが不幸の始まりのような気がする。
驕ることも卑屈になることも、そこから始まるような気がする。

ましてやウソをついてまで人に良く見られる必要はないでしょう?
そんなことからオサラバしよう。

人と比べずに、戦わずに、今の自分で進化し続ければよいのではないだろうか。
また今日もそんなことを思う。

そんな価値観を教えてくれた両親に感謝したい。
いつかkekeにもそんなことを伝えよう。