きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

ふわふわ生きる

2014-03-19 | 息子keke
会社にもやっと新人の子が面接に来た。

知り合いの方の息子さんである。今月大学を卒業すると言う。
ちょっと不器用な感じはするけれど、真面目で堂々と自分をアピールしてる。
もちろん、即採用決定である。
「質問する事は何でも答える。きっと練習してきたんだろうな。」とnanuさんは言う。
 
私はこんな姿を見て、kekeのことを思わずにいられない。
学校を卒業していないから、学校からの紹介もできず、新卒扱いでもない。
面接もとてもこのように立派な受け答えができるとは思えない。
たちまち不安になってしまう。

一方家に帰ると、kekeは寝ている。
具合が悪いのか、マスクをしている。

最近はほとんど家にいて、ひきこもりの状態である。
夜バイトをして、昼間仕事を探すと言うことはできないのだろうか。
本人に言うと、仕事が決まってもそういうバイトはすぐには辞められない、と言う。
では、この状態で良いのだろうか。
親として、悩む。

悩んで悩んで、悩みつかれる。
もうその果てに、いったい何が良くて何が悪いことなのか分からなくなる。

kekeは「昔は切腹と言う(責任を取る)方法があったのに、なぜ自殺をしてはいけないのだ。」と言う。今の私は「そうだよね。」と思う。
私達親子はいい加減、生きるのに疲れている。

kekeが小さい頃は、そうでなかった。
私が稼いで、頑張って節約してお金を貯めて、両親揃った家庭の子とひけをとらないように、育てる気力があった。だから、どこでだって働く意欲があった。

今はそうではない。
今の職場だから、だらだらどうにかしているが、そうでなかったら引きこもったかもしれぬ。そう思うから、余計kekeの心境も分かる。
もう23歳だ。
仕事は必死になれば見つかる。
それをしないのもできないのも本人の意思で、それから意思で無いもの、例えば日陰で育ったひょろひょろしたひまわりが、太陽をしっかり浴びて育ったのとどこか違うように、萎える、それはどうしようもないってこと。そんな事も考える。

社会はしっかり育ったものだけが欲しくて、そうでないものは要らないから落ちる。落とされる。
必要とされてない。
一番必要とされるのは這い上がる力。自分だけが。

なのに「命は大切」とか、「自殺は止めましょう」とか、そういう見た目きれいな言葉だけが平気で歩いている。
そして死ぬことも許されず、生きている心地のしないまま毎日が空回りしている。そして何より悲しいことはそれを「悪」と呼ばれることだ。

それが分かっているのに、「今日は仕事を探してね」と言ってしまった。
言わずにいられないのは、これでどんどん年を重ねていくのが怖いからだ。
年を取ればますます門は狭くなる。
そんなこと、本当はどうだっていいのに。

こんな言葉を年中子供に言わなければならないなら、もう生きていなくていい。
世の中、なんかおかしいぞ。
生きたいも死にたいも好きでいいじゃないか。

本当はそう思うのに。