きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

ありのままの自分を受け入れるレッスン

2014-03-03 | 母子家庭だから思うこと
kekeが大学を辞めてひきこもるようになってから、私は図書館で心理学の本を借りるようになった。

その中で必ずぶつかるのは「ありのままの子供を受け入れる」と言う言葉である。当時はその意味が理解できなかったのだ。何故なら私は「ありのままの息子」の姿を受け入れられなかったからだと思う。

私にとって息子は、生きて行くための旗印だったのだ。
母子家庭で「不幸のかたまり」と思われていた私が(今思えば、そうみなす方もどうかと思うのだが)、それを見返してやる手段に息子を利用しようとしてしまったのだと思う。はっきり言いたくないが、分かりやすく悪く言えばそうなる。

だからあの息子が大学に行かなくなった時期、私はあの子をしっかり愛せていなかった。どうしても大学を出てもらわなければ、その条件がなければ愛せなかったのだと思う。あの時期は今から思うとkekeを突き放してしまっていたと思う。謝らなければならない時期だったと思う。

そしてその時期に「ありのままの自分を愛してもらえないまま大人になると、同じことを子供に繰り返す」と言う概念を本で知って、「よもや」と思い始める。
そうだ、私はありのままの自分を認めてもらえた記憶があまりないのでは?

なんでだろう?
考えてみると、幼稚園や小学校の半分はずっといじめられてきたので、私は迎合と言う自分を押し殺して、相手を持ち上げる事でコミュニケーションを取ってきたからだ。いつも相手に気を遣って、自分が思うこと、自分が言いたい事を飲み込んできてしまったからだ。いじめられるのが怖くて変人にされるのが怖くて、多数決では多い方にわざと手を挙げていた、とにかく空気のように目立たない事を望む人間になっていたのだ。

もしかしたら離婚もあるのかもしれない。2度目の離婚はあれはちょっと相手もひどかった。父や妹も最初こそ話を聞いてくれたけど、いつまでも相手にしてくれない。フォローをしてくれるところが無かったんだ。あれも1つの要因かもしれない。

でも祖母はありのままの私を愛してくれていたし、両親もだんだんと認めてくれるようになったから、悪いことばかりではなかったはずなのに、よく考えてみると、たしかに私が安心して心を許せる場所がどこにもないのだ。
結婚していれば夫とか妻なりと言う存在があるのに、私の場合は逆にそれが裏切られた形で爪あとまで残っているのである。

だから心を許しても、かならずいつか報復を受けるような気持になったし、実際にたいていの人は困った話をすると「頑張りなさい」「あなたを変えなさい」ということを遠まわしに言ってくる。それが悪いことではないのだけど、私のとってはうまく機能しない。私が良くなるように「こうすればいいよ」と言っても、それは遠まわしに今の私を否定する事にすぎないから、やがて傷ついてしまう。
私に必要なのは「ありのままの私を受け入れてくれる」ことだったからだ。

でも、本を読んでまた知ったのは、それを他人に委ねてはいけないらしい。
私がありのままの自分を認められずに育ってきたように、他の人も完璧じゃない。それに他の人は他の人で家族や大切な人がいたり、私と同じように自分で自分を修復する必要があったりするから。
だから、自分の心は自分でメンテしないとならないのである。

ありのままの自分を自分で認められるように、自分で誇れるように、自分の考えを述べる練習をしている。
それと同時に、ありのままのkekeを認める、近くにいるありのままの彼を認める、それから周りの人。損得関係無しに良い所も悪い所も分かりながら、その人を好きになる。そういう練習をしようとしている。

それをしていかないと、まだ勝った負けた、誰かと比較することで自分を維持する世界に戻ってしまう。
自分の価値観をちゃんと固めておかないと、誰かに何か言われるとグシャとなってしまう。それが悪いわけではないけれど、もともとが気が弱いから人の間に入っていくのを目指していくと、また迎合する癖が出てしまう。

人と比べること、何か(例えば見栄の様なもの)を見せること、人から見られる意識、そういうところで自分を奮い立たせようとすると、ずっと心は休まらないような気がする。
そうやって考えていくと、やっぱり「ありのままの自分を受け入れる」ことの大切さをまた思い知る。

だから今の自分はとても不完全な状態だと思う。
自分を守るために、人を思いやれない状態なのだ。
でもどうしても今ここでやっつけておかないと、この先変われない。

頑張ることで、人にほめられることで、維持することも悪いことではないけれど、そうしているうちは私は自分の子供をありのまま愛することができない。
本当に心から自分に自信を持てるようになって、初めてkekeの親になれるのではなかろうか。

今考えていることは、そういうことだ。