きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

父と「無力」

2014-05-25 | 父の記録と母の思い出
父の所に行くと、食事が始まるところだった。

下のあごがガクガクしているのであまり状態が良くないのだと思う。
案の定、一口食べてもなかなか口が開かずひと昔前のようである。

あまりにも食べ方が遅い(1時間以上にもなる)ので、看護士さんが気にしてシャツの中に手を入れてみると、体温が温かく熱があるのでは?と言うことになり、計ると38.8度であった。

急遽、食事は取り止め点滴になった。
たまたまレントゲンの取れる日なので、肺炎かどうかも調べてみるという話であった。
心残りもあったが、レントゲン室に向かったようなので今日は帰ることにした。

父に会うたびに「いつまでもこの状態は続かないだろうな」と思う。
昔、まだ自分でご飯を食べていた頃は、途中で歯につまるものが気になっていたようだ。今はもちろんそんな感覚なんてまったくない。
「今日このまま最後になったらどうしよう」と思ったけれど、後悔しないことにした。

ある日父は死んでしまうのだろうけど、一気に死んだと言う気がしないのではないか。
こういう形で最終的に死ぬ場合は、少しづつ少しづつその方向にこうして向かっていくのだ、ということを考える。それは身内にとっては大切なことだ。


帰りに古本屋に寄ってみると、たまたま五木さんの「人間の覚悟」が108円であったので、ラッキーと思って、竹内久美子さんの本と一緒にレジに持っていくと152円ぐらいで、今日は3割引の日だったようである。心のバイブルが70円台で買えるなんて超ラッキーと思いながら、次に図書館に寄り、五木さんの「無力」と言う本を借りる。

そしてさっそく「無力」(←題名はムリキと読む)を読んでみると、「他力」を力説する五木さんのもとに読者の方から意地悪な質問が届いたそうである。

「五木さん、そうやって他力を信じて、他力を一生懸命目指している事が既に「自力」じゃないんですか~?」

五木さんはそれを読んで「たしかにそうだな」と思ったようで、

「他力と言う考えを信じているが、100%他力でなんて境地にはまだまだ自分はとても到達できない。」
「自分は他力と自力を行ったり来たり、ぶれながら進んでいく存在なのだ。」

と考え、さらに力をなくしたい、ブレながら迷いながら進む自分を「無力(ムリキ)」としたのである。
この本は去年発売されたようであった。

70何円でバイブルを買ったら、もう五木さんは進化して「無力」の世界が発売されていたのだった。が、私は今まで自力にだいぶ比重が置かれ過ぎていたので、ここしばらくは他力を目指した方が良いだろう。他力を目指しながら、フワフワ迷いながら生きることにする。

そして7割がた読んでいるが、前回の「人間の覚悟」ほどのインパクトは今のところ無い。
なんせ「無力」なので、「こんなメッセージを送りたいんですよ!」という力をあえて抑えてみたのだろうか。しかしまた、最後の章まで読んでみないとどうなるかは分からない。

「人間の覚悟」は2008年に発売された本である。
このあとに震災、原発問題が起こり、憲法改正問題や軍隊の是非?などが少しづつ沸き起こってきて、このたかが6年でも少しづつ大衆(世論)が変わってきたことが改めて分かる。これが良い方向なのかどうかは、五木さんもはっきり書いてないし、私もよく分からない。