きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

鬱の時代

2014-05-28 | 息子keke
kekeが「バイトは今日で最後」というので、「正社員にって言う話でもないかねぇ」と言うと、途端に不機嫌になり、「正社員、正社員って、どうしてそれしか言わないんだ。」と捨てセリフを残して家を出て行く。

また言ってしもうたか、と私はひとり残された。

五木寛之先生の本には「時代は鬱の時代です。」と書いてある。
昭和40~50年代は躁の時代だったそうで、誰もが「これから良くしていこう」「これからは良くなるだろう」と活気にあふれていたそうだ。そして90年代でピークを迎えしばらく定着をして、あと下降していった。

私が20代前半にいたのは80年代である。まさにバブルの全盛期だ。
その20代と同じ感覚で今のkekeと接してても、ズレズレにずれているにちがいない。

「若いから」というだけで、ほれもっともっと、もっとできるだろうと言われても、何もこの先いいことが見えないし、いい時代が来るとも思えないし、そんな中で何の為に生きているかさえわからない。自暴自棄みたいな事件が増えてそれ自体はもちろんいけないことなのだけど、そういうのが増えていくのも分かるような気がしてしまう。

今では正規に就職をして、ちゃんとお嫁さんをもらって家庭を築く、というのが当たり前にできることではないのだ。五木先生は、物書きでエライ先生なのに、どうしてそれが分かるのだろう?たくさん本や新聞を読んでいるからだろうか。女流作家のエッセー(林マリコとか)をたまに雑誌で読んでも、そういう下々の生活に対する理解や関心はあまりないように思う。そう言う所が神様的である。

そしてお金持ちっぽいのに、どんどん買い物をしているように見えないところが、またまた神様的なのだ。「最近痩せて足が小さくなってのか30年前に買った靴が履ける様になった」と書いてあったり、旅先で買った安い靴が足にあって、それをいつも履き続けているとか、案外みみっちいことが書いてあったりする。

今はマネーゲーム?みたいなことをしている人、うまく世間を操って金儲けをしている人がいるような噂をきくけれど、もしもそういう人がいるなら周りが見えなくなってしまっているのだろうか。
それとも不安で貯金をたくさんしていないと心配なのだろうか。(それなら分かる気がするが。)

たくさんのお金を儲けて、それを使ってチヤホヤされる?
高いものを買って見せびらかす?
いったい何の意味があるのだろうね。

それだけ力があるのなら、もっと世の中(若者)が元気になるような使い方があるのでは。

病院にあれだけたくさん集まるお年寄り。
そりゃ健康保険も破綻しそうになるだろう。

父のようにもうほとんど寝たきりのような状態でも年金が払われるなら、年金も破綻するだろう。
(父には長生きしてほしいけれども。)

私は働けなくなったら(働く場所が無くなったら)、病気になっても病院にはあまり行かず、さっさと死んでしまおう。ましてや寝たきりなんて。
それこそ貧乏人が、潔く日本のためにできることなのではないかと思ってしまう。

あーやれやれ、今日は愚痴だ。