きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

「人間の覚悟」/五木寛之さん

2014-05-22 | 読んだ本
昨日は1日へこんだ。
誰かさんが会社を辞めるかもなんて言うから。

私もいつかそんな日が来るだろうとは思ってたけど
本人から言われると結構へこむ。

みんなで楽しかったことばかりを思い出してしまう。
何もしてもらってない、何も助けてもらってない、と思ってきたけれど、こんなにへこむのだから、心の拠り所だったのだろうか?
でも、流れるものは「縁」だから仕方ないね。


今は五木寛之さんの「生きる事はおもしろい」と「人間の覚悟」である。
「生きる事はおもしろい」は短いエッセー集。「人間の覚悟」は2008年に出た新潮新書である。

「生きる事~」は読んでいて、何かこの話聞いた事がある、デジャブか五木さんと前世であった事があるのでは?なぁんて一瞬思ってしまったが、たぶん以前借りたことがあるのだろう。それで最初のうちだけ読んで、そのまま返してしまったのだと思う。(何となくタイトル的に私がいかにも借りそうなタイトルだからである。)

私が熱心に読んでいるのは「人間の覚悟」の方。
初めから引用したいところがあちこちあるのだけど、今読んでいる所(4割ぐらい目)にも興味あることが書いてあった。

五木さんは50歳前後で鬱状態になり、60歳の頃もあった。そして70代と3回鬱状態になったそうである。その時心に思ったことを書き最後に「うれしかった」「かなしかった」で綴るノート(日記)を作った。3回目の鬱の時はそれでも治まらず、「あんがとノート」ありがとうと思ったことを綴るノートを作って乗り越えたそうである。

そんなことも踏まえて、ロシア語の「トスカ」と言う言葉と、韓国にある「恨」と言う言葉を書いている。
特に韓国の「恨」に例えると(ある母親から息子への会話から)、大人になるとある時期、何とも言えない無気力・憂鬱な気持に襲われる事がある。その時は家族さえも他人のように感じられて、母親さえも敵のようになってしまい、自分なんかこの世からいなくなればいいと思ってしまうのだそうだ。

この状態が、「心に恨が宿る」と言う状態なのだ、と言う。
この時はどうしようもない、だから無理に押さえ込もうとせずに、体全体で大きくため息を三度四度、五度六度でもつくんだよ、そして少し心が軽くなったらふっと歩き始めればいいんだよ、と母親が息子に語った、と言う話である。

日本にはこれに該当する言葉が無いが、何でも「うつ病」として治療するのはいかがなものか、これは誰でも自然に訪れるものでそれを抱えながら生きていくものではないか、と言う。
前回読んだ養生の本でも同じ、治さねばならない病気と捉えず、それを抱え込みながら生きていくのが人生、とする五木さんのこの考え方がとても好きなのである。

喜び一辺倒の人生なんてありえない、そこには必ず悲しみや愁いがある。
体に関しても何でも思い通りに行くのは50まで。それからはどこかに何か抱えるものだ。
そう思うと、逆に安心できるし、たしかにそうだよなぁと思う。


かなり大袈裟だけど時々、無国籍なぁという気分になる。
何も心に拠り所がなくて、頼る当てが何もどこにもないと思う時だ。

でもそれでも今までも自分の人生が続いてきて、まだ明日へ続いて行く。
出会いも別れも乗せながら、心に隙間を抱えながらそのまま私の人生は続いていく。
そう思うしかない。


ちなみに「生きる事~」の本の方は、五木さんが「パーティで誰も人の話を聞いておらん」とか「新幹線に乗って食べたかったK軒のシューマイ弁当がない」とかあちこちで愚痴っている。
この本だけ読むと気難しいオヤジみたいだが、他の本を読んでから読むとこれだけ自然派の五木さんが、あちこちでケチばかりつけるはずがなく、独特の毒舌=ユーモラスなのだと分かって面白い。
(でもこちらは最後まで読まずに返す事になると思う。)