香典
今日は朝支度をしていると、学生時代の友人M君からのメールだった。
お母様が亡くなったそうだ。家族で見送ると書いてある。今の時代は家族葬もオンラインで参加できるそうだが、仕事中だったし、私はそれは無理かなと思う。(申し訳ないけれど・・・)
そこでせめて香典と手紙を書こうと思うけれど、良識やマナーめいたものが欠けている自分なので、正直なところ、何かするたびに失礼がないのか不安だ。
全然話が変わるが、今日はお金の出し入れをしに銀行へ向ったのだが、ATMで入金をしようとする時に何てあろうか、入金すべきコイン(100円玉)1枚が、入金口(硬貨用)に入らず、スッテンテンテン・・・と転がり落ちた。私は(あ!!!)と思ったが、冷静を保ち、他の硬貨やお札を丁寧に入金口に入れ、・・それから落ちた100円硬貨も入れようと思うが、振り向いても・・・無い。
「どうしよう、どうしよう?100円玉が無い、どこどこどこ・・?」と慌ててキョロキョロ探していると、隣のATMで何かしてたオバサンが「アナタ!そこよ!!」と大きな声で指差してくれたお陰で、100円玉を拾って、滞りなく入金を果たすことができたのだった。(よくATM前にいるATMの世話人さんは別客の相手をしててそれどころでは無かった模様。)
・・・ハァ。
ATMでお金を口座に入れることすら、まともにできない私が、身内を亡くした友人へ思慮のある手紙が書けるのだろうか?・・という素朴な疑問なのでした。
それはさておき、M君と言えば=必然的に頭に浮かぶのはG子である。
いつもの行動パターンからして、私への愚痴もM君に言っているのだろう。
・・・別に。
・・・・言いたい人には言わせておくしかない。
何か真実かなんて、本当のことなんて、分かりやしない。
当事者だって、相手の気持なんて分かりやしない。
私、最近「自分に聞こえてこないことは無かったこと」だと思うことにしてる。
だから
私の耳にまで届かないことは、誰がどこで何を言おうと、
どんなことになっていようと
私の中では無かったことになっている。
ああだろう、こうだろう、とは想像は巡るけど
私の耳にまで届かないなら、誰がどこで私のことを何と言おうと
私には関係ない。
そんな奴のことは、もうこっちから相手にしないんだ、って思ってる。
だから香典と手紙は送るけど、
もう、たぶん会うことはないかな。。。